まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

マルクス『資本論』覚書(8)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

マルクスの〈価値の現象学

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 ある個別の商品,たとえば一クォーターの小麦は,他の諸商品と最も様々な割合で交換される.しかしながら,その交換価値は,x量の靴墨,y量の絹,z量の金などで表現されようとも,変わらないままである.それゆえ,その交換価値は,これらのその様々な表現様式から区別可能であるに違いない.

(Marx1867: 3,下線引用者)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 ある個別の商品,たとえば一クォーターの小麦は,他の諸商品と最も様々な割合で交換される.しかしながら,その交換価値は,x量の靴墨,y量の絹,z量の金などで表現されようとも,変わらないままである.それゆえ,その交換価値は,これらの様々な表現様式から区別可能な或る内実を持っているに違いない.

(Marx1772a: 11,下線引用者)

(3)フランス語版『資本論

 ある個別の商品,たとえば一クォーターの小麦は,他の諸商品と最も様々な割合で交換される.しかしながら,その交換価値は,x量の靴墨,y量の絹,z量の金などで表現されようとも,変わらないままである.それゆえその交換価値は,これらの様々な表現とは区別される或る内実を持っているに違いない.

(Marx1872b: 14)

(4)ドイツ語版『資本論』第三版

 ある一つの商品,たとえば一クォーターの小麦は,x量の靴墨とか,y量の絹とか,z量の金とか,要するにいろいろに違った割合の諸商品と交換される.だから,小麦は,さまざまな交換価値をもっているのであって,ただ一つの交換価値をもっているのではない.しかし,x量の靴墨もy量の絹もz量の金その他も,みな一クォーターの小麦の交換価値なのだから,x量の靴墨やy量の絹やz量の金などは,互いに置き替えられうる,または互いに等しい大きさの,諸交換価値でなければならない.そこで,第一に,同じ商品の妥当な諸交換価値は一つの同じものを表わしている,ということになる.しかし,第二に,およそ交換価値は,ただ,それとは区別される或る実質の表現様式,「現象形態」でしかありえない,ということになる.

(Marx1883: 3,岡崎訳74〜75頁,下線引用者)

下線で示した通り,このパラグラフはいずれの版においても相違が見られる.ドイツ語版『資本論』の初版と第二版の間でも若干の違いがあるものの,その第三版は大幅に書き加えられていることがわかる.またフランス語版『資本論』は,ドイツ語版の初版には見られないGehaltをcontenuと翻訳していることから,フランス語版がドイツ語版の第二版を底本にしていることがわかる.

 マルクスがこのパラグラフの叙述を繰り返し改善したのは何故だろうか.「交換価値」が「表現様式」として現象するものであるがゆえに,マルクスのいわば〈価値の現象学 Phänomenologie des Wertes 〉を,読者にとって誤解のないように叙述することが,マルクス自身にとって難しかったのかもしれない.下手をすれば,読者によってマルクスの叙述した〈AがBとして現れる〉が,単なる〈AはBである〉という無理解に還元されてしまうおそれがあったのである.

 ちなみにマルクスがドイツ語版の第二版以降に書き加えた「内実 Gehalt 」については,テクストをもう少し読み進めておかないとまだ何とも言えないが,これはすぐ後の「共通物」や「凝固物」に繋がるものだと考えて良いだろう.

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文献

マルクス『資本論』覚書(7)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

〈現象〉としての「量的関係」

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.

(Marx1867: 2-3)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.

(Marx1872a: 11)

(3)フランス語版『資本論

 交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が異なる別種の使用価値と相互に交換される割合として³,時間と場所によって常に変化する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る任意の,純粋に相対的なものであるように見える.したがって,商品に固有の内在的な交換価値というものは,スコラの言うような,一つの形容矛盾contradictio in adjecto〕であるように見える⁴.このことをもっと詳しく考察しよう.

(Marx1872b: 14)

(4)ドイツ語版『資本論』第三版

 交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.

(Marx1883: 3,岡崎訳74頁)

 まず第一に,ある種の使用価値が別種の使用価値と比較されるとき,両者は質的に異なるものであるから,それらの交換比率(この比率は時と場所によって変動するにせよ)をどのようにして算出するのかが問題となるはずだ.つまり,質的に異なる二つの使用価値とを交換するためには,両者のあいだに共通する何らかの共約可能性(commensurability)が存在しなければならないはずである.そのような共通項を内在的な価値とする限りで,交換比率としての「量的関係」はそれの単なる現象に過ぎない.

商品に〈内在的な〉交換価値は「形容矛盾」か

 第二に,このパラグラフで注意しなければならないのは,マルクスが「交換価値は偶然的で,純粋に相対的なものである」から「商品に内的な,つまり内在的な交換価値というものは,一つの形容矛盾である」と述べているのではないという点である.あくまでこのことがそのように「見える scheint 」ということが重要である.どういうことか.

 もし交換価値が商品に〈内在的な〉価値であるならば,それは他のものと比較せずにも常にすでに決まっている固有の価値を有しているというように考えられる.しかし,交換価値とは,ある種の使用価値と別種の使用価値とが比較され,それらが互いに交換しあうことのできる比率を表現したものである.交換価値を示すためには何かしらの比較対象を必要とするのだから,その商品に固有の内在的な交換価値というものは存在しないと考えられる.だとすれば,「商品に内的な,つまり内在的な交換価値」という言い方そのものがおかしいことになってしまう.

 ここで読解の鍵となるのは「見える sheint 」という動詞の用法である.この scheinen の用法は,ヘーゲルのそれをマルクスが真似したものである.つまり,そのように「見える」あり方は「仮象」であり,真実のあり方はそうではないという際に動詞scheinenは用いられる.したがって,「見える scheint 」という用法によってマルクスが実は「商品に内的な,内在的な交換価値というものは,一つの形容矛盾」ではないという結論を別途用意していて,その道筋を続く考察で提示するのではないかと推論することができる*1

ル・トローヌ『社会利益論』(1777年,パリ)

(1)ドイツ語版『資本論』初版

⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会利益論』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)

(Marx1867: 3)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会利益論』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)

(Marx1872a: 3)

(3)フランス語版『資本論

3.「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会利益論』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)

(Marx1872b: 14)

(4)ドイツ語版『資本論』第三版

⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会利益論』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)

(Marx1883: 3,岡崎訳74頁)

マルクスは注6でル・トローヌ(Guillaume-François Le Trosne, 1728-1780)の『社会利益論』(De l’intérêt social, 1777)第1章第4節「価値の定義 Définition de la valeur」から引用している.

(1)『社会利益論』(初版)

(Trosne1777: 9)

(2)『社会利益論』(デール編『重農学派』所収)

(Daire1846: 889)

マルクスは,ドイツ語版の初版ではル・トローヌの著作から引用した際に「価値」と「交換比率」に強調を加えていたが,第二版・第三版からは強調が消えている(フランス語版には強調が残存している).

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文献

*1:ヘーゲルの「見える scheint 」の用法については拙稿「ヘーゲル『精神現象学』覚書(2)」を参照されたい.

「6G」についての覚書(1)

はじめに

 今回は「6G」について書きたいと思う。(仕事に関わるとはいえ、以下の内容はほとんど独学でにわかの知識で書いているので、間違ったことを書いてしまっている場合もあることをあらかじめ断っておく。)

 『ようやくこれから「5G」を導入しようとしている段階なのに、もう「6G」の話するの?』と思われるかもしれない。

 結論から言えば、「6G」の世界ではIoTが本格的に活躍する時代になる。「5G」では不完全であった要因が解消され、インターネットに接続されたモノが自律的に動作できるようになる世界であると考えられる。

 とはいえ、「6G」は「5G」に続く次世代移動通信システムとして観念することは可能であっても、今のところ3GPPITUによって何ら規定されていないため、現時点では『「6G」は存在しない』と言っても過言ではない状況にある。だから「6G」ではなく「Beyond 5G」(総務省)と呼ばれる場合もある。

 しかしながら、すでに各企業は来るべき「6G」の世界に向けて日々研究に取り組んでいる。そして「6G」は2030年代には実用化が見込まれている。

 今後の「5G」の世界を理解するには、その先の「6G」の世界をみておいたほうがかえってわかりやすいと思う。

「6G」とは何か

 まず大前提として、「5G」は「4G」よりも高速な移動通信システムだということである。「6G」は「5G」の延長線上に構想されており、「6G」は「5G」よりももっと高速で高次な移動通信システムであると考えられる。

5Gの特徴

 そこで今一度「5G」の特徴について確認しておこう。「5G」の主な特徴は次の三つである。

1、高速大容量(eMBB: enhanced Mobile Broadband)

2、高信頼低遅延通信(URLLC: Ultra-Reliable and Low Latency)

3、多数同時接続(mMTC: massive Machine Type Communication)

これらの特徴を実現するために「Massive MIMO」や「モバイルエッジコンピューティング」などの様々な技術が複合的に導入されている。

「6G」の特徴

 「はじめに」でも述べた通り、「6G」はいまだに規格化されていない概念である。

 とはいえ、NTTドコモはすでに「5Gの高度化と6G」(ホワイトペーパー、2020年)において「6G」の特徴を次のように挙げている。

  1. 超高速・大容量通信
  2. カバレッジ拡張
  3. 超低消費電力・低コスト化
  4. 超低遅延
  5. 超高信頼通信
  6. 超多接続&センシング

NTTドコモ「5Gの高度化と6G」ホワイトペーパー、2020〜2021年、「3 要求条件とユースケース」)

また総務省が「Beyond 5G」と呼んでいるものも「6G」の特徴である。

  1. あらゆる場所からの膨大なデータを瞬時に正確に処理できるようにする5Gの特徴的な機能の更なる高度化(超高速・大容量、超低遅延、超多数同時接続)
  2. 基地局等の設備やデータ処理量の激増に対応できるようにする超低消費電力
  3. 利用者が意識しなくてもセキュリティ・プライバシーが常に確保され、災害や障害の発生時でもサービスが途絶えず、瞬時に復旧する超安全・信頼性
  4. AI技術により人手を介さず(ゼロタッチ)あらゆる機器が自律的に連携し、有線・無線を意識せず即座に利用者のニーズに合わせて最適なネットワークを構築する自律性
  5. 衛星やHAPS等の異なる通信システムとシームレスに繋がり、端末や窓など様々なものも基地局とすること(ユビキタス基地局)で、至るところにある機器が相互に連動しつつ、海、空、宇宙を含むあらゆる場所で通信を利用可能とする拡張性

(『令和2年版 情報通信白書』295〜296頁)

先に見た「5G」の特徴と見比べていただければわかる通り、「6G」の構想は「5G」の規格を超える「高速・大容量、低遅延、多数同時接続、高信頼通信」という特徴のみならず、「超低消費電力」や通信範囲の拡張性にまで及んでいる。

 これらの特徴を実現すべく、現在、成層圏を利用した通信システム(HAPS)や、「OAM-MIMO多重伝送」などの技術開発が進んでいる。

(つづく)

文献

ヴィーコ『新しい学』覚書(18)

目次

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ヴィーコ『新しい学』(承前)

著作の観念(承前)

ホメロスの詩とその文体

こうしてまた,第二には,英雄物語 Favole Eroiche も,すべての諸国民においてそれらの国民が野蛮状態にあった時代に花開いていたのが見られる英雄たち Eroiかれらの英雄的習俗の真実の歴史 Storie vere なのであった.だから,ホメロスの二つの詩なおも野蛮状態にあったギリシアの諸氏族の自然法大宝庫であることが見いだされるのである.なお,その時代はギリシア史の父と称されるヘロドトスの時代までギリシア人のあいだで続いていたことが,この著作において確定される.じっさいにも,ヘロドトスの著作はいずれも大部分が物語で埋まっており,文体ホメロスなところを多分にとどめている.そして,かれのあとに続いてやってきて,詩的な語法と通俗的語法との中間を行くような語法を使っている歴史家たちもすべて,なおもこの勢力圏内にとどまっていたのであった.

(Vico1744: 7,上村訳(上)27頁)

ホメロスの二つの詩」というのは『イリアス』と『オデュッセイア』のことであろう.なぜこれらが「ギリシア諸氏族の自然法の二大宝庫」なのか.その理由は,まさにホメロスの詩が伝承された最も古い文学作品であったからではないだろうか*1

 今回注目したいのは,ヴィーコが「文体 Stile」に言及している点である.

 まず「文体」が「ホメロス的」だというのは,どういうことを意味するだろうか.ホメロスの詩が文字として書き起こされたのは紀元前6世紀頃であり,その作品の成立した紀元前8世紀頃よりもずっと後になってからである.それまでの間,ホメロスの詩は朗読されて伝承されてきたのであるから,そこには音楽的な抑揚があったと考えられる.

 その点を考慮すると,ヴィーコが「詩的な」フレーズと「通俗的な」フレーズという区別をしたことの意味も理解できるだろう.つまりヴィーコは,ホメロスの詩にみられるような音楽的な抑揚のある文体のことを「詩的な」フレーズと呼び,後にそうした音楽的な抑揚の失われた散文のような文体のことを「通俗的な」フレーズと呼んで区別したのではないだろうか.年代的には「詩的な」フレーズが「通俗的な」フレーズに先行していたのであり,「詩的な」フレーズが失われてしまうまでは,ホメロスの「勢力圏内にとどまっていた」のである.

単語
  • l.7.【名詞】Favole「寓話、物語」: 女性名詞favolaの複数形
  • l.7.【形容詞】Eroiche「英雄的」: 形容詞eroicoの女性複数形
  • l.7.【動詞】furono「〜であった」: 動詞essereの直接法遠過去三人称複数
  • l.8.【名詞】Storie「歴史、物語」: 女性名詞storiaの複数形
  • l.8.【形容詞】vere「真実の」: 形容詞veroの女性複数形
  • l.8.【縮約】degli: 前置詞diと冠詞gliの縮約(contraction)
  • l.8.【名詞】 Eroi「英雄たち」: 男性名詞eroeの複数形
  • l.8.【限定詞】lor「彼らの」: 所有限定詞loroの語尾音消失(apocope)
  • l.8.【形容詞】eroici「英雄的」: 形容詞eroicoの男性複数形
  • l.8.【名詞】costumi「習慣、慣習」: 男性名詞costumeの複数形
  • l.9.【動詞】aver「を持つ」: 動詞avéreの不定詞avéreの語尾音消失
  • l.9.【形容詞】fiorito「花が咲く」: 形容詞fioritoの男性単数形
  • l.9.【形容詞】tutte「すべての」: 形容詞tuttoの女性複数形
  • l.9.【名詞】nazioni「国民、ネイション」: 女性名詞nazioneの複数形

(つづく)

文献

*1:なおホメロスについては拙稿「ルソー『言語起源論』覚書(2)」も参照のこと.

アタナシウス・キルヒャーの著作における図像(4)

目次

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キルヒャーの著作における図像(承前) 

1676年(Sphinx mystagoga: sive Diatribe hieroglyphica, qua Mumiae, ex Memphiticis Pyramidum Adytis Erutae…)

(6頁)

(8頁)

(14頁)

(16頁)

(22頁)

(24頁)

(25頁)

(30頁)

(31頁)

(32頁)

(34頁)

(42頁)

文献

アタナシウス・キルヒャーの著作における図像(3)

目次

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キルヒャーの著作における図像(承前)

1652-1655年『エジプトのオイディプス』(Oedipus Aegyptiacus)

(第1巻)

年代学(第1巻103頁)

1665年『マリアのエウスタキウス物語』(Historia Eustachio-Mariana)

1665年『算術学』(Arithmologia sive De abditis numerorum mysterijs)

1666年『エジプトのオベリスクヒエログリフ解釈』(Obelisci Aegyptiaci ... interpretatio hieroglyphica)

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文献

アタナシウス・キルヒャーの著作における図像(2)

目次

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キルヒャーの著作における図像(承前)

1636年『コプト語あるいはエジプト語の先駆』(Prodromus coptus sive aegyptiacus)

(表題紙)

(52頁)

(75頁)

なんとキルヒャーが漢字を読んでいるではないか!

(224頁)

(227頁)

(232頁)

(255頁)

(270頁)

1656年『忘我の旅』(Itinerarium extaticum)

1667年『シナ図説』(China monumentis, qua sacris qua profanis, nec non variis naturae and artis spectaculis, aliarumque rerum memorabilium argumentis illustrata)

(2頁)

(46頁)

(54頁)

(67頁)

(68頁)

(69頁)

(70頁)

(71頁)

(72頁)

(73頁)

(74頁)

(75頁)

(76頁)

(77頁)

(78頁)

(81頁)

(83頁)

(84頁)

(112頁)

(114頁)

(131頁)

(134頁)

(136頁)

(138頁)

(140頁)

(144頁)

(145頁)

(154頁)

(157頁)

(158頁)

(159頁)

(160頁)

(161頁)

(162頁)

(171頁)

(172頁)

(173頁)

(176頁)

(179頁)

(181頁)

(183頁)

(184頁)

(186頁)

(187頁)

(188頁)

(189頁)

(190頁)

(192頁)

(194頁)

(196頁)

(197頁)

(205頁)

(210頁)

(224頁)

(227頁)

(228頁)

(229頁)

(230頁)

(231頁)

(232頁)

(233頁)

(371頁)

1667年『自然界の磁気の支配』(Magneticum naturae regnum sive disceptatio physiologica)

(Kircher1667b, ÖNB2013)

上の絵はジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎、198頁)に収録されているものと同じものである。しかし私がGoogle Booksで検索した際に最初に見つけたのは以下の絵であった。

(Kircher1667c, BML2011)

よく見てみると、それぞれの絵が異なるエッチングで描かれていることがわかる。要するに、この著作(『自然界の磁気の支配』初版)には異版があるのだ。

 違いは出版地にも及んでいる。一方はローマで出版されているが、もう一方はアムステルダムで出版されている。一体どちらが真正版なのだろうか。

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文献