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ヘーゲル『精神現象学』に第二版は存在するか?

はじめに

 先日「ヘーゲル『精神現象学』覚書(9)」という記事に関して,Twitterで小田智敏さんと浦隆美さんよりコメントを頂きました.その際に頂いたコメントの中で,ヘーゲル精神現象学』のテクストに関する疑問が出ましたので,その点に関して以下に述べたいと思います.

ヘーゲル精神現象学』に第二版は存在するか?

 原崎道彦(1959-)先生の著作の中に『精神現象学』第二版に関する記述があります.少し長くなりますが引用します.

 ……ヘーゲルは『現象学』の第二版をだそうとしたのだった.だが,その『現象学』第二版はついに出版されなかった.というのは,ヘーゲルが『論理学』の第一巻・第一文冊の改訂第二版のための「序文」を書きあげたのが一八三一年の一一月七日のことだったのだけれども,その六日後の一三日にヘーゲルは急死してしまうからだ.

……

 けれども,すでにこのときヘーゲルは『現象学』の第二版のための仕事をはじめていて,急死のまぎわ(二日前)には再版のための契約もむすばれていたのだった.第二版にむけて『現象学』に手をいれる仕事にとりかかっていた.ヘーゲルは,『論理学』の第一巻のような全面的な書き直しをするつもりはなかったのだけれども,こまかな(言葉づかいの)訂正くらいはするつもりだったのである.

 …(一段落中略)…

 ……そうしたこまかな訂正は,ヘーゲルが急死するまでに「序文」の途中まですすめられていたのだった.ヘーゲルが書きこみをしたテクスト(いまでは紛失)を見ながら,シュルツェが『現象学』のふたつの版をだした.一八三二年版と一八四一年版とがあって,四一年版のほうが訂正が少なく,オリジナルのテクストにちかい.ふたつをくらべてみて,三二年版にしかない訂正はシュルツェによるものであってヘーゲルによるものではないと考えられる(ただし四一年版の修正箇所にもシュルツェによるものが混じっている可能性もあるという).シュルツェによると,訂正は「序文」のオリジナルの三七頁まですすめられていたという.シュルツェによる修正もほとんどがその三七頁までになっている.

原崎1994:249〜250)

以上のことから,ヘーゲルは『精神現象学』第二版を出版するつもりであったが,それがついに出版されなかったこと(つまりヘーゲル精神現象学』に第二版は存在しない),今では紛失してしまったヘーゲルの書き込みをもとにシュルツェが訂正を施した『精神現象学』が1832年と1841年にそれぞれ出版されたということなどが確認できます.

シュルツェ版『精神現象学

 ヘーゲル没後に出版されたシュルツェ版『精神現象学』の表題紙を以下に示します.

(シュルツェ編『ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル精神現象学』,所収:『ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの著作集』故人の友の会による完全版,第二巻,ベルリン,1832年/1841年(第二版))

上の二つの表題紙のうち,1841年版には「原典第二版 Zweite unveränderte Auflage 」の文言が認められます.unverändertは「変更されていない,原文に忠実な」という意味ですが,いずれにせよこの再版ではシュルツェがヘーゲルの書き込みをもとにして『精神現象学』初版に変更を加えているのですから,形容矛盾であるように思います.(ここでは楽譜における「校訂版」と「原典版」のちがいに倣って,「原典第二版」と訳しました.)

 上で確認した通り,ヘーゲル精神現象学』に第二版は存在しませんが,Suhrkamp版はシュルツェ版と同じ訂正に従っておりましたので,その意味では現在もっとも普及している『精神現象学』はシュルツェ版であると言えるでしょう.(もちろんSuhrkamp版の注で初版の表記は示されていますが,原文に組み込まれているのは訂正された語です.)

 以上のことから次の疑念が浮かんできます.すなわち,私たちがこれまでに読んできたものは,実は,あくまでシュルツェ版『精神現象学』に過ぎず,ヘーゲル自身のそれではなかったのではないかという疑念です*1

 『精神現象学』のテクストに関してヘーゲルは「ずっと以前の独自の著作であり,書き直しはおこなわない.書き下ろしたときの時代にかかわっている」という断片を残しています*2.これは『精神現象学』の叙述がその書かれた時代というコンテクストに規定されているという意味ですが,そうであるがゆえに『精神現象学』のテクストにはなるべく手を加えないほうが良いでしょうし,そもそもヘーゲル自身にとっても『精神現象学』の抜本的な改訂は不可能だったのです*3

 もちろんシュルツェによる訂正は基本的に「序文 Vorrede 」のS. ⅩⅩⅩⅦまでの箇所にしか及んでいないということですので,『精神現象学』の総体的な解釈にはほとんど影響を与えないかもしれません.それでもようやく『精神現象学』初版(1807年)がGoogleブックスを通じて広く一般に読めるようになったのですから,今後は校訂前の『精神現象学』初版に基づく解釈が議論を活性化させる良いきっかけになるかもしれません.

文献

*1:「Glockner版(20巻,1927—30)も,また昨年Suhrkampから出た20巻全集もその底本にしている最初のヘーゲル全集——「ベルリン版全集」(18巻21冊,1832—45)は,ヘーゲルの死の直後に「故人の友の会」によって刊行されたのだが,その編集には大いに問題がはらまれていた.というのは,ヘーゲル哲学を完成した完結的体系として誇示することを基本方針としたために,⑴膨大な初期草稿を収録せず,⑵生前刊行された著作も,最終版をベースに先行版や草稿類,学生の筆記ノートなどを利用して,補遺の作成,本文の拡張や改竄さえおこなっており,⑶とくに全集の半分ちかくを占める講義類については,各年度のヘーゲルの草稿と複数の学生のノートとを素材として,完結的体系性を基準にノリとハサミでつなぎ合わせているのである.こうして,脈動する生成発展過程をおおい隠した,成果としてのヘーゲル哲学体系が構築された.マルクスが読んだのも,このようなヘーゲル哲学であった.」(細見1971:12).

*2:ヘーゲルは,1831年に『精神現象学』第二版のための改訂を試みた.この改訂は,彼自身の急逝のために,僅かに「序文」の途中(第31段)にまでしか及ばなかったが,それでも第一版で例えば,"diese Phänomenologie des Geistes, als der erste Teil des Systems"(24)とあるところは,この改訂により,実際にals以下の部分が削除された./ヘーゲルは,まさにこの頃に,かの『論理学』の第二版のための改訂を同時に行なっていたのである.とはいえ,また非常に興味深いことに,ヘーゲルはこの『精神現象学』の第二版のための「覚え書き」(Notiz)のなかで,この著作をもって「学の特定遺贈分(Voraus der Wissenschaft)すなわち「手をつけてはならない固有の初期著作」である,とも書きつけている.ヘーゲルは,まさに死の直前まで,体系全体におけるこの著作の位置づけを相対化しながらも,同時にその変わらぬ意義を正当化しようとしていたのである.」(飛田2005:18).

*3:ヘーゲルは,『現象学』を「改作」しない理由として,執筆当時の絶対者の規定,あるいは,それにかぎらない当時の風潮を挙げているだけのように見える.しかし,もし——おそらくはシェリングの影響を受けた——「抽象的絶対者」という規定に難があるならば,改稿を機に本来の絶対者概念に差し替えて論じればよいだろう.また,「当時の時代」そのものが問題なのであれば,改稿時の時代状況に対応した「現代版」に更新すればよい.ところが,ヘーゲルは——部分的な修正には応じつつも——こうした全面的な刷新をはっきりと拒んでいる.それは,『現象学』が「以前の固有の仕事」であること,つまり,本質的に過去に属しており,二度と現在化しえないものであることを示唆している.『現象学』に帰属する特異な時代性こそが,それを体系第一部に復帰させる格好の機会さえ無効にしているのである.」(飯泉2019:156〜157).