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スピノザ『エチカ』覚書(10)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

スピノザ『エチカ』(承前)

第一部 神について(承前)

自然と実体

 『エチカ』第一部定理五では「自然」と「実体」との関係について述べられている.

定理五

 諸事物の自然のうちには,同一の本性または同一の属性を有する二つの実体あるいはそれ以上多くの実体は存在し得ない.

証明

 もし数多くの異なる実体が存在するならば,(前定理により)それら異なった実体は属性の相違によってか,さもなくば変状の相違によって区別されなければならないであろう.もしそれらの実体がただ単に属性の相違によってのみ区別されるならば,そのことからしてすでに同一の属性を有する実体は一つしか存在しないことが容認される.一方で,もし変状の相違によって区別されるなら,(定理一により)実体は本性上その変状に先立つのだから,変状を考慮せずに実体をそれ自体として考察するならば,すなわち(定義三及び六により)実体を真に考察するならば,それは他のものと異なるものとは考えられない.すなわち(前定理により)同一の属性を有する実体がより多く存在することはできず,たった一つだけ存在できるのである.Q.E.D.

(Spinoza1677: 4,畠中訳(上)40〜41頁,ただし訳は改めた.)

上の"In rerum natura"という箇所が畠中訳では「自然のうちには」と訳出されている."rerum"は第五格変化名詞 rēs, reī f. (こと,物)の複数・属格であり,文字通りには「物どもの…」という意味である.したがって, "In rerum natura" は「諸事物〔万物〕の自然のうちには」と訳すことができる.畠中は "rerum natura" をただ単に「自然」と訳出しても同義だと判断したのだろう.

 「諸事物〔万物〕の自然」は,ニュアンスとしては「森羅万象」(この世のあらゆる物事)のようなイメージに近いかもしれない.この「羅万象」のイメージを, 後の部門で登場する有名な「神即自然」と掛け合わせると,それはもはや〈-羅万象しんらばんしょう〉だと言えるかもしれない.

 以前の定理では複数の実体が存在する場合について考察を進めてきたが,ここでは神羅万象に内在する「実体」は一つのみであり,すべて「同一本性」「同一属性」を有していることが述べられている.もし他の実体が存在するとすれば, 「事物の自然」の外側にあると考えられる.だが「事物の自然」の外側を思考することは可能であろうか.

「定義三および公理六」?

 『エチカ』第一部定理五の証明の "per Defin. 3. & 6."(定義三および六により)という箇所が,各邦訳では「定義三および公理六により」と訳出されている(畠中訳,工藤・斎藤訳).これは一体どういうことだろうか.

 原因は現在流通しているラテン語版『エチカ』ではこの箇所が"per definitionem 3 et axioma 6"とされていることに起因する.しかしながら,1677年ラテン語版の原文には「公理」に該当する文字が見当たらない.

 筆者はいつからこの箇所に"axioma"が付加されたのかをGoogleブックスを利用して調べてみた. すると1891年の英訳『エチカ』にまでは「公理」の文字を確認できなかったが, 1895年のオランダ語訳『エチカ』において初めて "axioma" が付加されていることがわかった.

オランダ語訳『エチカ』(1677年)

最初のオランダ語訳『エチカ』(オランダ語訳『遺稿集』,1677年)は,ラテン語版『エチカ』と同年に出版されているが,この最初のオランダ語訳『エチカ』はラテン語版『エチカ』の最終稿以前の草稿を底本としているので,両者には数多くの相違があるとされる.最初のオランダ語訳にもラテン語版と同様,第一部定理五証明には「公理」の文字が見当たらなかった.

 

フランス語訳『エチカ』(1842年)

フランス語訳『エチカ』(Émile Saisset訳『スピノザ 著作集』第二巻、1842年)には「公理」の文字は見当たらなかった.

 

英訳『エチカ』(改訂版,1891年)

英訳『エチカ』(R.H.M. Elwes訳,改訂版, 1891年)には「公理」の文字は確認できなかった.

 

オランダ語訳『エチカ』(1895年)

オランダ語訳『エチカ』(H. Gorter訳,1895年)においてようやく"ax."(公理)の文字が確認された.

畠中尚志は邦訳『エチカ』に付した自身の解説の中で,ラテン語版遺稿集とオランダ語訳遺稿集における『エチカ』の相違について次のように述べている.

オランダ語訳遺稿集における『エチカ』は,ラテン語遺稿集の『エチカ』すなわち原版『エチカ』とは独立して,スピノザ自身の原稿からーーしかも原盤『エチカ』よりやや古い別な原稿から訳されたものであると考証されるから,その利用は『エチカ』の本文批判テキスト・クリティーに欠くべからざるものである.もっと詳しく言えば,スピノザの死の以前『エチカ』の一原稿から友人によってオランダ語に訳されつつあったものがオランダ語訳遺稿集の『エチカ』として現われ,そのオランダ語訳の基となったラテン語原稿にスピノザが生前自ら手を入れて決定的にしたものが遺稿集の『エチカ』すなわち原版『エチカ』として現われているのである.原版『エチカ』とオランダ語訳『エチカ』との相違個所は,ゲプハルトによれば,一五六個所以上に及ぶという.このうち原版『エチカ』のみにあってオランダ語訳『エチカ』にない個所は,スピノザが生前最後の原稿においてそう付加あるいは改作したのであってむろんそれが決定的形態とされるべきであり,オランダ語訳『エチカ』はその点何の権威も主張することができない.オランダ語訳『エチカ』の利用の意義は,原版『エチカ』との些少の相違——それは原稿の誤記や出版の際の誤植や編集者の粗漏から原版『エチカ』のほうが正しくない場合もありうる——を通してしばしば原版『エチカ』の不備な箇所を是正し,またかなり多くの疑わしい個所について決定的形態を確立するのに役立つことである.さらに従来不完全な形で伝わっていると考えられた個所,あるいは研究者たちによって単なる推定に基づき訂正の提案がなされている個所は,もしその個所が原版『エチカ』と同じようにオランダ語訳『エチカ』にもそうあったとしたら,少なくともスピノザ自身は二度原稿にそう書いたのだから,我々はそれを決定的形態として保持しなければならぬことになる.

(畠中訳(上)25〜26,強調引用者)

1677年に出版されたラテン語版『エチカ』と同年に出版された最初のオランダ語訳『エチカ』の両方において,第一部定理五証明のうちに「公理」の文言はなかった.それゆえ「公理」の文字が付加された現在流通しているテクストは少なくとも1677年の最初の版に基づいて修正されるべきではないだろうか.

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