まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

スピノザ『エチカ』覚書(8)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

 

(承前)第一部 神について

「物」と「実体」

定理三では共通点と因果の関係について述べられている。 

定理三

 相互に共通点を有しない物は、その一が他の原因たることができない。

証明

 もしそれらの物が相互に共通点を有しないなら、それはまた(公理五により)相互に他から認識されることができない、したがって(公理四により)その一が他の原因たることができない。Q.E.D.

Spinoza 1677:3、訳40頁、斜体引用者)

ここで述べられている「相互に共通点を有しない物 res 」とは、一見すると、一つ前の定理二で述べられている「異なった属性を有する二つの実体 duae sbstantiae」のことかと思うかもしれない。 だが、ここまでの間に「実体」が「物」だとは一言も述べられていない。したがって、この「物」を「実体」と解釈してもよいのかどうか、注意が必要である。

 この証明で参照されている公理四と五を見てみよう。

〔公理〕

四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。

五 たがいに共通点を持たないものはまたたがいに他から認識されることができない。すなわち一方の概念は他方の概念を含まない。

Spinoza 1677:2、訳39頁)

 公理においては「物 res 」はまだ登場していなかった。したがって、公理では「実体」にも「物」にも適応可能な、ヨリ抽象度の高い記述がなされていたことがわかる。 

Q.E.D.

 「Q.E.D.」とは"Quod erat demonstrandum"の略記である。これは訳注にも書いてある通り、「これが証明されるべきことであった」という意味である。

 この定理三の証明から「Q.E.D.」が付けられているのだが、以前の定理の証明に「Q.E.D.」が付いていなかったのは何故だろうか。以前の定理の証明に「Q.E.D.」をただ付け忘れていただけでないとすれば、そこには実質的な違いがあるはずである。

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