まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

情愛・努力・死——『鬼滅の刃』の三原則

目次

鬼滅の刃』の三原則

 『鬼滅の刃きめつのやいば』(吾峠呼世晴ごとうげこよはる)のアニメの続きが知りたくて、コミックス7巻以降をKindleで買って読んでみた。

 もし「子供に『鬼滅の刃』のアニメの続きを見たいと言われていたのだけれど、何巻から買えばいいのか分からない」という人がいたら、7巻から買えばいいのである。アニメ最終第26話が、コミックス7巻のちょうど最初の話(第53話)に対応している。7巻から読めばシームレスに続編へと入っていけるのだ。

 もともとは「小学生が食い入るようにして観ている『鬼滅の刃』とは、一体どこに魅力があるのだろうか」と思って観始めた。最初のうちは面白いとも思えず馴染めなかったが、一通りアニメを観た後でその魅力が徐々に理解できるようになってきた。

 『鬼滅の刃』の魅力は、視聴者である我々が主人公の竈門炭治郎かまどたんじろうにその懐の深さを感じるところにあると思う。世の中ギスギスしているときにこういう感情を抱ける物語はなかなかない。

 週刊少年ジャンプの三原則は〈友情・努力・勝利〉だが、もし『鬼滅の刃』の三原則があるとしたら、それは〈情愛・努力・死〉ではないだろうか。

情愛

 ジャンプ三原則の一つ「友情」は主に炭治郎と我妻善逸あがつまぜんいつ嘴平伊之助はしびらいのすけのトリオの間柄に見られるけれども、『鬼滅の刃』の持ち味は間違いなく情愛にあると思う。情愛というのは、人を思う心のことである。炭治郎は妹の禰󠄀豆子ねずこを大事にしているし、炭治郎が出会った人々もまた人を大事にする。そこには情愛がある。ぶっきらぼうに見える登場人物でさえ、そうなのである。

努力

 鬼を倒すための戦いはまさしく努力の道のりである。『鬼滅の刃』は〈しんどいところで踏ん張ること〉の大事さを教えてくれる。なぜなら〈しんどいところで踏ん張ること〉ができなければ、次々と強敵として現れる鬼たちは倒せないからだ。こうして努力は鬼との実践を通じてなされるし、鬼殺隊の訓練としても描かれている。例えば、鬼殺隊入隊のための山籠りでの訓練や、蝶屋敷での機能回復訓練、そして合同強化訓練「柱稽古」などである。

 各々の登場人物は、に直面すると走馬燈が流れる。その人格を形成した原体験のようなものが想起されるのだ。そこで想い出される原体験とは、自身の家族の追憶であり、鬼との邂逅である。原体験を描くことによって、作者は個々のキャラクターに息を吹き込む。鬼もまた、倒され消滅する際に、鬼と化して生きながらえてなお未解決のままであった自己の原体験との了解を果たし、成仏していく。

鬼滅の刃』が読者の心の琴線に触れるのは、この作品が人間の情動を揺り動かす〈情愛・努力・死〉という三つの要素の織成す物語だからなのである。