まだ先行研究で消耗してるの?

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ルソー『社会契約論』覚書(3)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

 

第一編 

『社会契約論』は四つの編(livre)から成り立っている。

 目次によれば、第一編の内容は「ここでは、いかにして人間が自然状態から社会状態に移るか、また社会契約の本質的条件はいかなるものであるか、が探求される」(訳7頁)とある。 自然状態から社会状態への移行は、社会契約論の肝である。ホッブズリヴァイアサン』において社会状態の成立は「こうなったらこうなる」というようなもので、なぜそのように移行するのかは明確ではなかった*1。これに対してルソーの『社会契約論』では、はたしてどのような論理展開がなされるのだろうか。

わたしは、人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして、取り上げた場合、市民の世界に、正当で確実な何らかの政治上の法則がありうるかどうか、を調べてみたい。わたしは、正義と有用性が決して分離しないようにするために、権利が許すことと利害が命ずることとを、この研究において常に結合するように努めよう。

(Rousseau 1762:1〜2、訳14頁)

ここでは"dans l'ordre civil"が「市民の世界に」と訳されている。"civil"とは、本書ではしばしば「社会〔状態〕」と訳されているように、「自然〔状態〕」の対義語である。したがって"dans l'ordre civil"とは、「自然状態から社会状態になったうえで形成される(自然の秩序とは異なる)秩序において」という意味である。自然状態のなかに何らかの自然の秩序や法則があるように、社会状態においても何らかの社会の秩序や法則があるとルソーは考えたのだろう。

 「正義と有用性が決して分離しないようにするために」とは、ルソーが正義を推し進めて、現実離れした形而上学で満足するようなものにはならないようにしたということだろう。

自由な国家の市民として生まれ、しかも主権者の一員として、わたしの発言が公けの政治に、いかにわずかの力しかもちえないにせよ、投票権をもつということだけで、わたしは政治研究の義務を十分課せられるのである。幸いにも、わたしは、もろもろの政府について考えめぐらす度ごとに、自分の研究のうちに、わたしの国の政府を愛する新たな理由を常に見出すのだ。

(Rousseau 1762:2、訳14頁)

ここでルソーがその市民として生まれた「自由な国家」とはジュネーヴ共和国のことである。ルソーは『社会契約論』を出版した後、ジュネーヴ共和国との関係が悪化した。その際に弁護に回った人々は、この箇所を引用し、ルソーが反国家的な書物を公刊したのではない証拠として愛国的な精神を持っていることを訴えたとされる*2

 ルソーはシトワイヤンであるがゆえに、『社会契約論』という政治研究の書物を書いたと述べている。「投票権をもつということだけで、わたしは政治研究の義務を十分課せられる」と述べているが、これは喩えであって、実際に政治研究の義務が市民に課せられているわけではないだろう。

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文献

*1:この点について詳しくは、重田2013を見よ。

*2:「祖国愛に満ちた人物が「我々の政府を破壊する傾向がある」作品を書くはずがないと、ルソーへの有罪判決に対して意義を唱える」(橋詰 2018:47)。