目次
スピノザ『エチカ』(承前)
第一部 神について(承前)
他の定義についても概観しておこう.
「類」概念の有限性と規定性
定義二
同じ本性の他のものによって限定されうるものは,自己の類において有限であると言われる.例えばある物体は,我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに,有限であると言われる.同様にある思想は他の思想によって限定される.これに対して,物体が思想によって限定されたり,思想が物体によって限定されたりすることはない.
(Spinoza1677: 1,畠中訳(上)37頁)
「物体」と「思想」とは「同じ本性」を有していない.両者は同じ範疇ではない.「物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりする」というのは,カテゴリーミステイクをおかしていることになるので成立しない.
「実体」概念
定義三
実体とは,それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの,すなわちその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの,と私は解する.
(Spinoza1677: 1,畠中訳(上)37頁)
「実体」とはいかなる他者をも自分自身の構成要素として必要としない概念のことである.本来性,固有性とでもいうべきものだろうか.
「属性」と構成物
定義四は「属性」について述べられたものだが,この定義は解釈史上でも問題含みだと言われている.
定義四
属性とは,知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの,と私は解する.
(Spinoza1677: 1,畠中訳(上)37頁)
「属性」をこのように理解するのは「私」である.「実体についてその本質を構成していると知覚する percipit 」のは「知性 intellectus 」である.
この「知性」はどういう位置付けなのだろうか.第三者的な存在なのだろうか.
定義三より「実体」は自己内存在であって,他者の存在を必要としない概念であるのに,「その本質を構成している」ものは「実体」にほかならないはずだ.というのも,「実体」の本質が何か別のものによって構成されるなら「実体」ではないのだから.とすれば,結局「属性」とは「実体」にほかならない.
スピノザは「実体」の構成要素を「属性」と呼びたいようだが, これは表現するのがなかなか難しい概念だ. 「属性」は「実体」の外部から, つまり「知性」の側からみなされたあり方だと言える.
「様態」概念と「変状」としての他在
定義五では「様態」について述べられる.
定義五
様態とは,実体の変状,すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの,と私は解する.
(Spinoza1677: 1,畠中訳(上)37頁)
「様態」とは「実体」が他なるあり方へと変化したものの謂いであり,これを「実体の変状」とスピノザは呼んでいる.このような発想は,プロティノスの流出説(Emanationism)にありそうだが,同時にまたドイツ古典哲学にも影響を及ぼしていると思われる.
スピノザの「神」理解
定義六
〈神〉とは,絶対に無限なる実有, 言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体,と私は解する.
説明
私は,絶対的に無限な, と言うのであって, 自己の類において無限な, と言うのではない. なぜなら, 単に自己の類においてのみ無限なものについては, 我々は無限に多くの属性を否定することができるが, これに反して, 絶対的に無限なものの本質には, 本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである.
(Spinoza1677: 1-2,畠中訳(上)38頁)
「絶対的に無限な」あり方と「自己の類において無限な」あり方の違いは何であろうか.「自己の類」については定義二で述べられていた.「同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる」(定義二).「絶対的に無限な」あり方は「自己の類」を超越している.
自律と他律
定義七はいわゆる「自律」について述べたものと解釈できる.
定義七
自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に規定されるものは,自由であると言われる. これに対して,ある一定の様式において存在し・作用するように他から規定されるものは〈必然的〉である,あるいはむしろ強制されると言われる.
(Spinoza1677: 2,畠中訳(上)38頁)
ここでは「自由な」あり方と「必然的な」あり方という二つの区別が示されている.自分で自分を規定する自律的なあり方が「自由な」あり方と呼ばれ,他者によって自分が規定される他律的なあり方が「必然的な」あり方と呼ばれている.
自由と必然性をステレオタイプな対立概念と見なす場合,「自由な」あり方が「自己の本性の必然性」と一致していることに疑問を抱くかもしれない.しかしそういう通俗的観念は,すでにホッブズにおいて退けられている.
永遠=存在
定義八でスピノザは「永遠性」という時間的概念を「存在」という非時間的概念に還元している.
定義八
永遠性とは,存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り,存在そのもののことと私は解する.
説明
なぜなら,このような存在は,ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ,そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されえないからである,たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも.
(Spinoza1677: 2,畠中訳(上)38頁)
スピノザ自身も「永遠性」という概念が通常, 時間的概念であることは理解している.しかし「永遠性」とはあるものがずっと在るということ(始点と終点があろうとなかろうと)であり,それはもはや「存在そのもの」のことであろう, というのである.
これは『なるほど一本取られた』という感じだが,「永遠性」とは——通常は時間的な意味においてだが——「無限性」のことであろう.実際,スピノザは定義六において「永遠性」と「無限性」を並べている.「神とは,絶対に無限なる実有,言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体,と私は解する」(定義六).