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ルソー『社会契約論』覚書(2)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

 

はしがき

 ルソーは『社会契約論』のはじめに、次のような「まえがきアヴェルティスマン」を付けています。

この小論は、わたしが、かつて自分の力をはかることなしに、くわだて、ずっと前に投げ出してしまったところの、もっと大きな一つの作品の抜き書である。すでにでき上っていた部分から、いくらかの断片を抜き出すとすれば、つぎに掲げるものが最も重要なものであり、また世に問う価値のもっとも少ないものではないように、わたしには思われる。残りの部分は、もうなくなってしまった。

(Rousseau 1762:I、訳13頁)

ルソーの『社会契約論』は「もっと大きな一つの作品の抜き書」だと述べられています。「残りの部分は、もうなくなってしまった」とありますが、ルソーが抜粋する前の膨大な草稿は残されていないのでしょうか。

 ちなみに『社会契約論』の初稿としていわゆる「ジュネーヴ草稿(Manuscrit de Genève)」*1が知られています。この「ジュネーヴ草稿」には『社会契約論』の中には書かれていない内容が見出されることで、これまでに注目されてきました。この点について山下俊一は次のように述べています。

『社会契約論』のいわゆる『ジュネーヴ草稿』には、よく知られているように、第一編第二章として、『人類の一般的社会について』という、決定稿には欠けているかなり長文の一章が含まれている。この章の標題は一度消されて書きなされており、もとは、『人間の間には決して自然的には社会は存在しないこと』(“Qu'il n'y a point naturellement de société entre les hommes”)となっていたことが知られている。この一章は、ヴォーンが明らかにしたように、ディドロが『百科全書』に執筆した一項 “Droit naturel” に触発されて書かれたもので、ルソーは、その論評を通じて『社会契約論』への展望を試みており、決定稿には見出されない一本の思索の糸を見せてくれる点で注目される。

(山下 1972:43〜44)

つまり決定稿である『社会契約論』からは省略され、初稿である「ジュネーヴ草稿」には見出される特徴の一つが、第一編第二章におけるルソーによるディドロの「自然法」批判*2であるということです。また「ジュネーヴ草稿」の第一編第七章「実定法の必要性」という箇所も『社会契約論』では省略されているそうですが、この部分はルソーの『政治経済論』にそっくりそのまま取り入れられているそうです(恒藤1951:131)。

 ところで、一体なぜルソーは「ジュネーヴ草稿」第一編第二章のその箇所を『社会契約論』では省略したのでしょうか。この点について、恒藤武二は次のように説明しています。

さて、草稿第一編第二章「人類の一般社会について」において、ルソーは完全に自然法を否定している。このような徹底した議論は十八世紀には例のないことである。しかるになぜこの章を後に削除したのか。ヴォーンはこれについて、自然法を否定すると社会契約の効力を保障するものがなくなり、しかもルソーは、いわゆる社会契約説を脱却するまでには至つていなかったので、結局問題の焦点をそらすために省略したのではないか、とのべている。しかし『社会契約論』においてもやはり自然法を排斥していることは変わりないから、ヴォーンの解釈は当らない。むしろ第二章があまりにディドロとの論争という形をとっているので省略したと考える方が自然である。

(恒藤 1951:131、なお旧漢字は断りなく改めた。)

この自然法の否定という点については、これから『社会契約論』の本論を解釈する際に検討していきたいと思います。

(つづく) 

文献

*1:ジュネーヴ草稿の執筆年代についてはこれまでに各研究者によって様々に推測さてきた。詳しくは飯田 2015をみよ。

*2:この点について詳しくは飯田 2018をみよ。