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自民党「日本国憲法改正草案」批判(1)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

はじめに

 以下では,自民党日本国憲法改正草案」(2012年,以下「改憲草案」と略記する)を批判的検討に付す.

自民党日本国憲法改正草案」

前文

「日本国民」の代わりに主体化された「日本国」

 憲法前文に関しては,全面的に書き改められている.現行憲法が主に恒久平和の理念を掲げているのに対して,改憲草案からはどことなく儒教イデオロギーの腐臭がする.

 日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって,国民主権の下,立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される.

自民党2012: 1)

冒頭一行目に関してまず目につくのは,現行憲法では「日本国民 We, the Japanese people」を主語 subject としているのに対して,改憲草案では「日本国 Japan」を主語としている点である.若きマルクスフォイエルバッハ主義の観点からすれば,「日本国」から出発するのか,それとも「日本国民」から出発するのか,という両者の間には天と地ほどの差が存在する.

 現行憲法が「日本国民」から出発するのは,いわゆる〈国家,エタ État またはステイト State 〉としての「日本国」が主体 subject なのではなく,〈人民,プープル people 〉としての「日本国民 Janese people」が真に主体であることを,文体上でも表現しているからである(主権在民,あるいはプープル主権論).

 これに対して,改憲草案では,「国民主権 sovereignty of the people」を明記しつつも,「日本国民 Japanese people」ではなく「日本国 Japan」こそが真に主体であることを,その文体によって示している.改憲草案では,〈人民〉としての「日本国民」が「長い歴史と固有の文化」を持つのではなく,〈国家〉としての「日本国」が「長い歴史と固有の文化」を持つとされるのである.

反近代的概念としての「日本国」

 ところで〈国家〉とは近代的概念であり,それ自体は決して「長い歴史」を持たない.それはせいぜいマキアヴェッリのstato論に遡ることができる程度である.そうすると,改憲草案の中で「長い歴史と固有の文化」を持つとされる「日本国 Japan」は〈国家〉ではないのではないか,という疑問が頭に浮かんでくる.

 もし「日本国」が〈国家〉という近代的政治的概念ではないとすれば,改憲草案の示す「日本国」とは一体いかなる政治的概念なのだろうか.

 これを読み解く鍵は,差し当たり「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」という箇所にある.ここには,「日本国民 Japanese people」——そこにアイヌや沖縄の人々が含まれるならば,いわゆる〈民族,ナシオン nation〉としては単一民族国家ではあり得ない——を「日本国 Japan」の名の下に統合して国民国家たらしめているのは,その象徴たる「天皇 Emperor」であるという認識が示されている.そしてここに示されているのは,単なる象徴天皇制ではなく,「天皇を戴く国家」すなわち「日本国」の「元首」として天皇が君臨するという立憲君主制の図式なのである*1

 天皇の由来はイザナミイザナギの神話(『古事記』および『日本書紀』)に遡ることができ,その神話をも含めて「日本国は,長い歴史と固有の文化を持」つと述べられていると考えられる.その限りで,改憲草案の「日本国」は近代的概念どころかむしろ反近代的概念でさえある.

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文献

*1:天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく.」(改憲草案,第一章「天皇」,第一条).