まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

「自立」の概念について

 先日の自分の昇進試験の際に、あるスライドに「自立して動けるチームを作る」というスローガンを盛り込んだのだけれども、このスローガンがはたして良かったのかどうかということが頭に浮かんでくる。実際、『「自立」とはどういうことかをしっかりと説明できていなかったのではないか』というフィードバックをいただいている。

 「自立」という概念が一筋縄ではいかないことは百も承知である。ヘーゲル哲学を例に取ろう。家族の成員だった子供は、成長して大人になると、家族から自立して市民社会に出ていく。この場合は、たんに生計を別にするという以外に、家族の成員として振る舞っていたところから、自己の決定に従って動く個人(個体)になるわけである。だが、一人で生活をするとはいえ、市民社会のいわゆる欲求の体系に組み込まれた個人は、結局、市民社会の成員として振る舞うことになり、欲求の体系に依存することになる。ここで自立は依存に転化するわけである。

 では「自立して動けるチームを作る」といった場合、チームは何から自立していることになるだろうか。「自立して動けるチーム」という場合には、大きく次の二つのケースが考えられる。

 第一の意味は、会社の中の部署の中でまとまった一つの「チーム」が会社や部署という組織から「自立して動ける」という意味である。この場合には、「自立して動けるチーム」というのは本質的にあり得ない。なぜなら、組織である以上は、いかなるチームも様々な部署との連携とバックアップの中で動いているからだ。

 第二の意味は、チームの成員の一人一人がそのチームリーダーから「自立して動ける」という意味である。私としては、こちらの意味でスローガンを提示したつもりである。チームの成員が会社や組織の方針を理解した上で、チームリーダーから「自立して動ける」ことが望ましいと思っている。ただしこの場合でも、チームそれ自体は組織に依存している。

 したがって、私が掲げたスローガンである「自立して動けるチームを作る」というのは、会社組織から「自立して動けるチームを作る」という意味ではなく、チームリーダーから「自立して動けるチームを作る」という意味であったことがわかる。この点については口頭で説明したつもりであるが、私の話が長くて伝わり難い部分があったかもしれないと反省している。

 その上で「じゃあ自立して動けるチームを作ったら、一体どんなメリットとデメリットがあるのか」ということも書かなければいけないと思うのだけれども、この点については別の機会に譲ることにし、今回はここで一旦筆を置いておこうと思う。