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坂上孝『プルードンの社会革命論』(平凡社、2023年)
フランス社会主義は「政治」革命ではない
阪上孝『フランス社会主義』(新評論、1981年)が平凡社ライブラリーに収められた。これを読むとマルクスが1843年頃に書いていた時評がフランス社会主義の影響を受けていたことがよくわかると思う。
生い立ち
プルードンの父親は自営業者だったが価格に利潤を上乗せすることを嫌い、製造コストぶんしか反映させなかったという。結果、倒産したわけだが、このエピソードが後々のプルードンの経済思想に影響を与えたであろうことは想像に難くない。
所有論
所有をめぐる問題は現代的な課題だ。いわゆる生成AIに喰わせる教師データをウェブ上からスクレイピングで取得したことを「データが盗まれた」として訴訟が起こされている。かれこれ十数年前にフリーミアム*1やコラボレーション*2をめぐる議論があったけれども、あらためて現代的な所有論が再検討される時期に差し掛かっているように思われる。その際にプルードンの所有論は無視できない。
産業組織論
仮想通貨以後の中央集権に対抗する分散型テクノロジーや、コロナ禍以降のZoomを介したリモートワーク、ソーシャルディスタンスについても、プルードンだったらこれをどう捉えるだろうか。一つ言えることは、プルードンの組織論は将来ここの組織がネットワーク状に広がっていくことを想定しているといえる。プルードンのこのような発想は当時よりもむしろ現代の我々のほうが理解しやすい部分である。
国家論
いわゆる「国家の死滅」よりも、リヴァイアサンとして国家の不死性に目を向けた議論のほうが「生産」的かもしれない。ただし、「国家の死滅」論が「生産」的でないというのは、文字通りの意味でそうであろう。ここで「生産」というのは資本主義的生産様式における「生産」の意味である。一方で、国家の不死性は、ホッブズがリヴァイアサンを「可死の神の生成」として見誤ったことを示している。社会契約論を斥けるヘーゲルの国家観は「不死の神」としてのそれに近しい*3。