まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

〈政治経済学〉についての覚書(1)

目次

はじめに

 本稿では〈政治経済学〉について書きたいと思う。

 〈政治経済学〉とは英語のpolitical economyを訳したものである。これは今では単に「経済学」と訳されるのが通例である。しかしながら、「経済学」という言葉の下に観念される英語はEconomicsであって、polical economyではない。Economicsという語はアルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall, 1842-1924)が『経済学の原理』(Principles of Economics, 1890)で用いた言葉に由来する。

 では、Political economyとEconomicsの間には何か違いがあるだろうか。それとも両者の含意するものは同じものであろうか。こうした素朴な疑問点を解消するために、以下では〈政治経済学〉がこれまでにどのように論じられてきたのかを分析する。その際にまず第一に分析するのはアダム・スミス(Adam Smith, 1723-1790)の『国富論』における〈政治経済学〉についての言説である。その後に他の思想家の言説についても取り扱いたい。

アダム・スミス国富論』における〈政治経済学〉

 アダム・スミスは『国富論』第四編「政治経済学の体系について」において〈政治経済学〉について次のように述べている。

 政治経済学ポリティカル・エコノミーは、政治家や立法者の科学サイエンスの一部門として考えた場合には、二つの明確な目的がある。第一に、人民に十分な収入や食料などの生活物資を提供すること、つまり、より適切にいえば、人民が自分自身で、そのような収入や食料などの生活物資を入手できるようにすることであり、第二に、十分な公共サーヴィスを提供するための収入を、国家ステートないし共和国コモンウェルスにもたらすことである。それが提案することは、人民と統治者の両方を豊かにすることなのである。

(Smith1789: 138、訳614頁)

 ここからわかるのはさしあたり次のことである。

 第一に、ここでスミスは『国富論』の中で〈政治経済学〉を「政治家 statesman や立法者 legislator の科学の一部門」として考察している。〈政治経済学〉は、為政者のための学問であり、それゆえに政治哲学の一部門ともみなされうるようなものである*1。ここに〈政治経済学〉の「政治的 political 」な側面が示されている。

 第二に、スミスは〈政治経済学〉を「人民 people 」と「国家 state 」の二つの側面から考察している。すなわち、一方では「人民」はいかにして自らを豊かにするのかを考察し、他方では「国家」をいかにして豊かにするのかを考察する。要するにスミスは「人民」と「国家」のどちらの立場にもメリットが生じるような社会のあり方について考察するのである。

(つづく)

文献

*1:「スミス経済学はそれまでの古典的な政治哲学とは無関係なところで、あるいはそれから独立した専門的な近代科学として成立したのではなく、反対に先行する政治哲学の根本問題への新たな応答として構想された」(上野2015: 43)。