まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

マルクス「ユダヤ人問題によせて」覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではマルクスユダヤ人問題によせて」(Zur Judenfrage, 1844)の読解を試みる。

 「ユダヤ人問題によせて」は、1844年にマルクスがルーゲと共同編集でパリで出版した『独仏年誌』(Deutsch-französische Jahrbücher, 1844)の1/2合併号に掲載された。この『独仏年誌』には、マルクスの「ヘーゲル法哲学批判・序説」も掲載されている。「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判・序説」との間には思想的発展が見られるとの指摘もあるが、基本的には両方セットで読まれ解釈されるのが望ましい。

 私的な話を少しばかりさせてもらうと、先日、的場昭弘先生の研究室へ梱包作業に行った際に、先生が保管されていた筆者の学部ゼミ卒論を10年ぶりに返却していただいた。筆者の卒論はマルクスヘーゲル法哲学批判・序説」について書いたものであった(この卒論についてはresearchmapにあげておいた)。その際、今更ながら「ユダヤ人問題によせて」についてはしっかり書いたものを公表したことがないことに気がついた。

 マルクスユダヤ人問題によせて」には個人的な思い出がある。筆者が2012年の冬に(つまり後期試験で)一橋大学大学院社会学研究科を受験した際に、二次試験の口頭試問で面接官から渡された一枚の紙が、マルクスユダヤ人問題によせて」のドイツ語テクスト(確かMEWから)の比較的易しい部分から一部抜粋されたコピーであった。その時の面接官は平子友長先生と大河内泰樹先生であった。大学院の二次試験は面接官二人の前でこのドイツ語テクストを口頭で訳すことであった。筆者はその際に„eigenthümlich“を「所有的な」と口頭で訳してしまい、該当のパラグラフを一通り訳し終わった後に大河内先生から「〔„eigenthümlich“は〕「固有の」」だとフィードバックしていただいたことを今でもよく覚えている。

マルクスユダヤ人問題によせて」

Marx, Zur Judenfrage, 1844.

問題関心の類型

 「ユダヤ人問題によせて」を読む際に、どういう問題関心をもってテクストに臨むのか、という問題がある。これについては、さしあたり次の観点が挙げられよう。

  1. 初期マルクス(early Marx)研究として:『ドイツ・イデオロギー』以前の、いわゆる初期マルクスの思想的発展に関する研究の一環として読む。文献としては、山中隆次『初期マルクスの思想形成』(新評論、1972年)、渡辺憲正『近代批判とマルクス』(青木書店、1989年)など。
  2. ヘーゲル左派(Hegelsche Linke)あるいは青年ヘーゲル(Junghegelianer)研究として:ヘーゲルはもちろんのこと、直接言及されているブルーノ・バウアー(Bruno Bauer, 1809-1882)や、同時期に書かれた『貨幣体論』の著者モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-1875)ら、ヘーゲル左派(青年ヘーゲル派)の観点から読む(山中1970)。文献としては、モーゼス・ヘス『初期社会主義論集』(山中隆次・畑孝一訳、未來社、1970年)、良知力編『資料 初期ドイツ社会主義』(平凡社、1974年)、廣松渉マルクスの思想圏』(朝日出版社、1980年)、良知力・廣松渉編『ヘーゲル左派論叢』(全四巻、御茶の水書房、1986-2006年)、石塚正英編『ヘーゲル左派』(法政大学出版局、1992年)など。
  3. ポリティカル・エコノミー批判の研究として:「ユダヤ」という特定民族の特殊な問題を、貨幣一般の普遍的問題へと昇華したマルクスの、ポリティカル・エコノミー批判に占める意義について。しかしながら、この観点から読むことはひじょうに困難である。というのも、「ユダヤ人問題によせて」は「政治(学)批判からポリティカル・エコノミー批判へ」(隅田2020)という変化のちょうど過渡期に位置付けられるからである。ポリティカル・エコノミー批判の観点でいえば、この時はまだ同時に『独仏年誌』に掲載されたエンゲルス「国民経済学批判大綱」(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie, 1844)の方がマルクスよりも先行している。
  4. ユダヤ人の民族的問題として:マルクス没後の世界史的事件、とりわけ第二次世界大戦におけるユダヤ人虐殺と反ユダヤ主義(Antisemitismus)、イスラエルにおけるユダヤ人国家建設を通して、シオニズム(צִיּוֹנוּת)とレイシズム(racism)の観点から読む。その際、テオドール・ヘルツル(Herzl Tivadar, 1860-1904)のみならず、再びモーゼス・ヘスをも視野に入れる必要がある。文献として、野村真理の一連の研究や、徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、1997年)など。
  5. 文学研究として:「ユダヤ性 Judenthum」の比喩表現についての分析を通じて読む。文献として、シェイクスピアヴェニスの商人』(The Merchant of Venice)に登場するシャイロック(Shylock)に代表されるようないわゆる「ユダヤ人」の通俗的観念についての最新のシェイクスピア研究など。
  6. 宗教上の問題として:宗教としてのユダヤ教と貨幣崇拝の問題を、マルクスが取り上げた「解放」と、「宗教批判」以後のメシアニズム(Messianismus)の観点から読む。文献としては、モーゼス・ヘスはもちろん、ヴァルター・ベンヤミンやゲルショム・ショーレムなど。

以上の問題関心は、あくまで筆者が把握可能なものに限定されている。したがって、それ以外の観点から読む方法もあろう。

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