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ヘーゲル『精神の現象学』「序言」における《哲学》と《科学》

目次

今回は、ヘーゲルにおける《哲学》と《科学》について書きたいと思います。

前々回、私は「ホッブズの「哲学=科学」論」という記事を書きましたが、この記事以降も私は「哲学」と「科学」の概念史に興味関心を持ち続けており、科学哲学などの関連書籍を読んでいます。

そんな中、今回の記事は、ヘーゲルの『精神の現象学』(1807年)を読み直したらどうなるのかという試みです。

 

「哲学が科学に高まる」とはどういうことなのか

 科学哲学史を学びながらヘーゲルを読むと、『精神の現象学』の「序言(Vorrede)」でヘーゲルが「哲学が科学に高まる時がきている」という言い方をしている点が、私には妙に引っかかりました。

「真理が存在する真なる形態は、真理の科学的な体系を措いてほかにはありえない。哲学〔愛智Philosophie〕が科学〔学問Wissenschaft〕の形式に一層近づくために、ーーつまり、知識〔智〕へのというその名を捨てることができ、現実的な知識であろうとする目標に一層近づくために、ーー努力を人々と分かとうとするのが、私の企てたことである。知識ヴィッセンとは科学ヴィッセンシャフトである、という内的必然性は、知識の本性のうちにある。そしてこの点についての満足な説明は、哲学そのものの叙述以外にはない。しかし、外的必然性にしても、個人や個人的機縁やの偶然性を別にして、一般的な仕方で考えられる限り、内的必然性と同じものである。つまり、時代が、この内的必然性の契機の現存する姿を表象する形から言えば、同じである。それゆえ、哲学が科学へと高まる時がきていることを示すことこそ、このような目的をもった試みを是認するただ一つの真の途であろう。というのは、時代はこの目的の必然性を述べるであろう、否、同時にこの目的を実現するであろうからである。」(ヘーゲル [1997]、20-21頁) 

(Hegel [1807], S.VI-VII. )

この箇所をざっくり理解するとこうなるでしょうか。すなわち、哲学は(他の諸科学と異なって)まだ科学の形式を備えていない(なぜなら知識が体系化されていないから)。「知識への愛」だけでは、知識は単なる寄せ集めに過ぎない。そうではなく、知識が体系化されたものとしての哲学(科学としての哲学)こそが「現実的な知識」である。「知識への愛」から「現実的な知識」への転化という目的が果たされるためには、哲学そのものの叙述(すなわち結果だけではなく過程も含めての叙述)が遂行されなければならない。

さて、ヘーゲルのテクストに内在して読もうとしてしまうと、ついつい視野が直近のドイツ哲学の内部に留まってしまいがちです*1。なので、ここでは科学哲学の本を参照してみましょう。アレックス・ローゼンバーグは「アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた」といいます。

「哲学は、アリストテレスいわく、驚きから始まる。そして、アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた。アリストテレスは正かった。科学は、こうした驚きを鎮めるために説明を求めるのである。」(ローゼンバーグ [2011]、45頁)

ここで確認しておきたいのは、アリストテレス以降、常にすでに「哲学は科学を意味していた」ということです*2。「驚き」とはタウマゼインのことだと思いますが、今回はヘーゲルに焦点を絞りたいので、アリストテレスの〈哲学〉と〈科学〉の内容についてはここでは深く追いません。

さて、ヘーゲルが「哲学が科学へと高まる時がきている」ということができるためには、哲学と科学とが異なることが前提とされます。しかしながら、もともと哲学とは科学のことなのですから、「哲学が科学へと高まること」それ自体が、普通に考えるとそもそもおかしいわけです。

「哲学が科学に高まる時がきている」というヘーゲルの先の論法*3が成り立つのは、ヘーゲルが「智(ソフィア、σοφία)への愛(フィレイン、φιλεῖν)」としての〈哲学〉(古典的な意味でのPhilosophie、ピロソピアー、φιλοσοφία)を捨てて、「現実的な知識」としての《哲学》を目指すからです*4。そうすると、古典的な意味での〈哲学〉と〈科学〉の同一性とは違う意味での《哲学》と《科学》の同一性がヘーゲル哲学において成り立つことになります。否、もっと言うと、『精神の現象学』においては〈哲学〉の《科学》への移行がなされており、かくして〈哲学〉はもはや〈哲学〉ではなくて、《科学》としての《哲学》となるのです。(ここで便宜上、古典的な意味での哲学と科学には〈〉を付け、ヘーゲル的な意味でのそれらには《》を付けて区別しました。)

 

「序言(Vorrede)」は哲学的著作にとって余計なものなのか

ヘーゲルは自らの見解がいわば常識に反して受け取られることを十分に理解していました*5。そこで次のパラグラフを見ると、ヘーゲルの見解が、通常の考え方とは異なるがゆえに、ヘーゲルは「序言」を書く必要があったことが解ります。

「真理の真の姿が科学性〔学問性〕に置かれるとき、ーー同じことであるが、真理は概念においてのみその現実存在のエレメントを持つと主張されるとき、ーー私は、この考えが、現代の人々の確信のなかに拡まっているとともに、極めて僭越なものとなっている一つの考え、およびその帰結と矛盾して相入れないように見えるということはよくわかっている。それゆえ、この矛盾について説明するのは、余計なこととは思われない。たとい、いまここ〔序言〕においては、この説明も、自らが反対するものと同じように一つの断言でしかありえないとしても、余計なこととは思われない。」(ヘーゲル [1997]、21頁)

(Hegel [1807], S.VII. )

ここの部分は、「序言」冒頭の「哲学的著作の場合には余計であるだけでなく、事柄の性質から言って適当ではなく、目的に反するようにさえ思われる」ところの一般通念としての「序言」に対する一つの解答になっています。つまり、「序言」は必ずしも余計なものではない、というのがヘーゲルなりの解答です。

次回以降で、ヘーゲルがかような常識に反して「序言」を付し、いかなる《哲学》《科学》論を展開したのかを見ていきたいと思います。(多分続く)

 

文献

*1:神山は「「哲学」が「学問」だとするのは、ヘーゲルの創見によるものではない」(神山 [2015]、29頁)と正しく述べているが、そこで参照されるのは(フィヒテ、カント、シェリングという)あくまで直近のドイツ哲学にすぎない。しかしながら、「哲学」が「学問」(ここでドイツ語のWissenschaftに英語のscienceの文脈を読み込むならば)だとするのを、十八世紀のドイツ哲学よりもっと以前に、すでにホッブズがずばり述べていることについては、拙稿「ホッブズの「哲学=科学」論」で論じた。

*2:ここで、おそらく「科学(science)」とはギリシャ語のエピステーメーέπιστήμη)のことであろうから、「哲学とはエピステーメーを意味していた」と言えるだろう。エピステーメーとは、ドクサ(臆見)ではない学問的知識のことであり、プラトンにとって真実在を認識する能力であった。ヘーゲルにおいても「科学」(独:Wissenschaft, 英:science, 希:έπιστήμη)はいわば「真実在」に関わる問題である("Die wahre Gestalt, in welther die Wahrheit existirt,…", Hegel [1807], S.VI.)。

*3:アーレントはこの箇所のPhilosophieを古典的な文脈の中で解釈している。「「哲学が科学へと高まる時がきた」と宣言し、哲 - 学、智への端的な愛〔philo-sophy〕を智(sophia)へと変えようと願ったのは、ヘーゲルである。このようにして、彼は自分自身に「思考することは活動なのだ」と説得することに成功した。しかし、活動こそ、この孤独な営みが決してなし得ないものである。」(アーレント [1994]、107頁)。「思考」と「活動」の関係については今はさておき(これはこれで興味深いが)、アーレントの解釈で興味深いのは、科学に高まる以前のPhilosophieを「愛智」として理解するだけではなく、「現実的な知識」にも「智(sophia)」を読み込んでいる点である。

*4:西周の「哲学」という翻訳語についての考察は、石井 [2018]を見よ。西周は当初「希哲学」という翻訳語を用いた(1861〜1870年頃)が、後に「希」を削ぎ落として「哲学」とした(1870〜1874年頃)。西が、ほかに見られるような儒学的理解に陥りがちな翻訳語(「理学」)を採用せず、これにより儒学的伝統を断ち切り、さらにヘーゲル以後の「哲学」観(「智への愛」ではないという)を咀嚼・反映させた結果、当初の「希哲学」から「希(philein)」を削ぎ落としたのだとすれば、そこには一定の合理性が認められるのである。

*5:アーレントがいみじくも指摘しているように、『精神の現象学』「序言」は、ヘーゲルによる「常識」(コモンセンス)に対する挑戦とみなすことができる。「私がヘーゲルについて述べたのは、彼の仕事の大きな部分を常識に対する絶えざる挑戦として読むことができるからである。とりわけ、『精神の現象学』の序言はそうである。」(アーレント [1994]、105頁)。「ヘーゲルが我々の脈絡で重要なのは、彼が、たぶん、他のどの哲学者よりも哲学と常識の間の内輪争いのことを公言したという事実のためだからであるが、これは彼が、天性、歴史家でありかつ哲学者の才を等しく与えられていたということによるのである。」(同前)。