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ホッブズの「哲学=科学」論

目次

はじめに

 先日TwitterのTLにより、隠岐さや香先生が新書を出版されるということを知りました。『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社新書、2018年刊行予定)というタイトルからしてその内容が非常に気になっています。文系と理系がなぜ分かれたのかという点については、隠岐先生の本を読むことにして、今回この記事では文系と理系が分かれていなかった時代について簡潔にまとめたいと思います。

「文系」→「哲学」、「理系」→「科学」

 まず「文系と理系」という区別は、日本固有の文脈を持っているので、これを別の言葉に置き換えてみましょう。「文系」を「哲学」と置き換え、「理系」を「科学」と置き換えることによって、哲学史を遡って論じることができるように思います。今でこそ「哲学(科)」は文学部などの文系に位置しておりますが、哲学史上の哲学者が文系として活動していたかというと、全くもってそうではありません。

 18〜19世紀にかけて、例えばカント*1ヘーゲル*2のような大哲学者たちは自然科学についても論じていました*3。なので、少なくともこの時点で「文系」と「理系」とを分けるという発想はまだなかったと思われますし、むしろ両者を統一し総合することこそが重要だったと言えるかもしれません。

 もっと遡ってみると、17世紀にデカルトが『哲学原理』(1644年)で物体の運動法則について論じている(「哲学原理」第二部)のを眺めると、デカルトにとって哲学は科学だったと思います*4。またスピノザは『エチカ』で「幾何学的論証」という数学的手法を用いていました。ライプニッツ微積分の業績は言わずもがなです。

ホッブズの「哲学=科学」論

 ちなみに哲学者ホッブズにとって「哲学」とは「科学」の呼称に他なりませんでした。

(Hobbes [1651], Chap. 9, "Of the Severall SUBIECTS of KNOWLEDGE."の次ページに掲げられた表。「哲学=科学」の下位カテゴリーとして諸学が位置付けられていることが分かる。)

科学(SCIENCE)すなわち諸帰結についての知識、それは哲学(PHILOSOPHY)とも呼ばれる。

ホッブズ [1992]、148頁)

 では、ホッブズは「哲学」と「科学」について、具体的にどのように述べているのでしょうか。

「科学」

 まず「科学」について、ホッブズは『リヴァイアサン』第1部第5章「理性と科学について」で次のように述べています。

(Hobbes [1651], p.21)

(Hobbes [1670], p.23)

 このことによって明らかなのは、理性(Reason)は、感覚および記憶のように我々に生まれつきのものではなく、慎慮のように経験だけによって得られるものでもなく、勤勉によって獲得されるものだ、ということである。その勤勉とは第一に、名辞の適切な付与における勤勉であり、第二に、諸要素すなわち名辞から、名辞のうちの一つと他のものとの結合によって作られる断定へ、そして或る断定と別の断定との結合で或る三段論法へと進んで、ついに我々が当面の主題に属する諸名辞の全ての帰結に関する知識すなわち人々が科学(SCIENCE)と呼ぶところのものへと到達するための優れた秩序ある方法を得るための勤勉である。

ホッブズ [1992]、91頁)

ここでホッブズは「理性」について述べています。ホッブズによれば「理性」を勤勉によって獲得するという事は、アプリオリな生得物(感覚や記憶)でもなければ、アポステリオリな経験知(慎慮)でもないということです。ホッブズの文章を噛み砕いていうと、人が言葉の正確な用法を学び、これをもって三段論法のような論理学(これはアリストテレスまで遡ることができる)を勉強し、原因から結果について理解することで、ようやく「科学」と呼べる水準に到達できるということです。

 ちなみにここでホッブズは「慎慮」と「科学」という二つのターム*5によって、「科学」の位置付けを表現しています。「慎慮」は単に経験されただけに過ぎないものです。これが「科学」と区別されているのは、「慎慮」という経験知は未だ論証されておらず、それゆえ知が不確実なものに止まっており再現性が低いと考えられるからです。これに対して「科学」は論証された知識であり、それゆえ結果の確実性が高いものです*6

「哲学」

次に「哲学」についてはどうでしょうか。ホッブズは『リヴァイアサン』第4部第46章「空虚な哲学と架空の伝統に由来する闇」の中で「哲学」について次のように述べています。

(Hobbes [1651], p.367)

(Hobbes [1670], p.315)

哲学は、ある事物の生成の仕方から、その諸固有性Propertiesにいたり、あるいは、その諸固有性からそのものの生成の、ある可能な経路に至る、推論Reasoningによって獲得された知識であり、それは、物質と人間の力が許す限り、人間生活が必要とするような諸効果を、生み出しうることを目指しているものであると解される。こうして幾何学者は、諸図形の構成から、それの多くの固有性を見出し、そして理性によって、その諸固有性から、諸図形を構成する新しい筋道を見出し、ついには、水陸の測量ができるようになり、さらに無限の他の用途に役立つのである。同様に天文学者は、天の様々な部分における太陽や星の、上昇下降と運動から、昼夜及び年の様々な季節の、諸原因を見出し、そうすることによって彼は、時間を測るのである。他の諸科学に関しても同様である。

ホッブズ [1985]、105頁)

ここで「哲学」は「推論によって獲得された知識」だと説明されていますが、これは先に見た「科学」についての説明と一致しています。加えて「幾何学者」と「天文学者」という科学者が取り上げられていますが、彼ら科学者と哲学者とは、理性をもって法則の発見にあたっていたという点で同義だったのです。

結語

 今回はとりわけホッブズに焦点を当て、近代初期において「科学」と「哲学」とが一致していたことを示しました。さらに冒頭で述べたように、ここで「文系」を「哲学」と置き換え、「理系」を「科学」と置き換えることによって、少なくとも近代においては「文系」と「理系」とが、また「哲学」と「科学」とが分離していなかったことを論じました。

 では、「文系」と「理系」とは、一体なぜ分かれたのかー、その答えは隠岐先生の新書を待つことにしましょう。

文献

*1:カント「天界の一般自然史と理論」「自然科学の形而上学的原理」(所収『カント全集 第十巻 自然の形而上学高峯一愚訳、理想社、1966年)。

*2:ヘーゲル「惑星軌道論」(所収『ヘーゲル初期哲学論集』村上恭一訳、平凡社ライブラリー、2013年)、ヘーゲル全集2『自然哲学』加藤尚武訳、岩波書店

*3:ただしアレントは、いわば文理融合の最後の哲学者をカントまでとしており、そこにヘーゲルを含めていない。「デカルトが近代哲学の父であるように、ガリレオは近代科学の祖である。そしてたしかに十七世紀をすぎると、主に近代哲学の発展によって、科学と哲学が、それ以前よりももっと根本的に袂を分かったことは事実である。たとえばニュートンは、自分自身の努力を「実験哲学」と考え、その発見を「天文学者と哲学者」の考察にゆだねたほとんど最後の人であり、同じようにカントは、ある種の天文学者であったと同時に自然科学者でもあった最後の哲学者であった。」(アレント [1994]、434頁)。

*4:「哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します、即ち医学、機械学(Mecanique)および道徳(Morale)、ただし私の言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする究極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。」(デカルト [2010]、29頁)。ここでデカルトが哲学全体を「樹木」に喩えているのは、ライムンドゥス・ルルスの「知識の樹」の思想的影響によるものである、と三中は説明している(三中 [2017]、46頁)。

*5:ホッブズは英語だけでなくラテン語でも思考している。「多くの経験が慎慮であるように、多くの科学は学識(Sapience)である。すなわち、我々は通常、双方に対して知恵という一語しか持たないが、ラテン人は常に慎慮Prudentia)と学識Sapientia)とを区別して、前者は経験に、後者は科学によるものとしたのである。」(ホッブズ [1992]、93頁)。

*6:なおホッブズの「科学的」という言葉について、髙橋秀裕は「彼〔ホッブズ:引用者注〕が用いた「科学的」という言葉が、古代・中世的な「論証学問的」、すなわち「厳密な証明を伴った学問の性質をそなえた」という意味をももっていたことは明らかである」(髙橋 [2010]、125頁)と述べている。