まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

読書前ノート(20)A・S・バーウィッチ『においが心を動かす——ヒトは嗅覚の動物である』

A・S・バーウィッチ『においが心を動かす——ヒトは嗅覚の動物である』(太田直子訳、河出書房新社、2021年)

「におい」を忘れずに哲学できるか

 「におい」という存在をすっかり忘れていた。このことに気がついたのは、昨日ルミネの化粧品売り場を通りかかったからだ。女性販売員がアロマオイルか何かのボトルを案内している姿を見て思った。自分が鈍感なだけで、世の中の女性は私以上に「におい」に対して敏感に思考しているのだと。

 「におい」は、テクスト上から削ぎ落とされる物質性の最たるものではないか。もちろん本から香るインクの「におい」ではない。生活のありとあらゆるところに現れる「におい」である。火を通した食材からは、何か香ばしい「におい」が立ち上がる。その体験そのものを、テクストを通じて伝えることは絶対にかなわない。

 犬は人間の何倍もの「におい」をその嗅覚から嗅ぎ分けるという。だとすれば、人間の目の前に立ち現れている世界と、犬の目の前に立ち現れている世界とは、多かれ少なかれ異なっている、と考えざるを得ない。実際、病気になった時、あるいはコロナに罹り嗅覚と味覚を失った世界とそうでない通常の世界とは、同じ人間でも「世界」の感じ方が非常に異なっているのではないか。「世界」とはそれほどまでに確乎たるものではないのである(感覚的確信)。

 「におい」は哲学のテーマから抜け落ちがちだが、わずかな先行研究もある。アラン・コルバンは『においの歴史』についても書いている。さすがだ。そしてカール・マルクスの有名な言葉に、宗教は「人民のアヘン Opium」だというものがあるが、その直前でマルクスは宗教のことを「あの世の、精神的なアロマ jene Welt, deren geistiges Aroma」と呼んでいる*1マルクスの宗教批判はある意味でその「におい」を敏感に感じ取り、表現したものだともいえる。ではフォイエルバッハのように物質的前提から思考するとした場合に、我々は常に「におい」を忘れずに思考しているだろうか?哲学者にとって大事なのはこういう「嗅覚」であろう。

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