まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

読書前ノート(17)D. F. シュトラウス『イエスの生涯』

D. F. シュトラウス『イエスの生涯』(岩波哲男訳、教文館、1996年)

ヘーゲル左派運動はここから始まった

 ドイツの宗教批判は本書から始まり、フォイエルバッハやバウアー、マルクスへ影響を与えた。著者のダーフィト・シュトラウス(David Friedrich Strauß, 1808-1874)はヘーゲル左派の一人として知られている。

 今年1月に講談社学術文庫から出版されたヘーゲル『宗教哲学講義』(山﨑純訳、講談社、2023年)には「D・F・シュトラウスヘーゲル宗教哲学」講義」(1832年)の要約」が収められている。シュトラウスが『イエスの生涯』第1巻を出版したのが1835年であるから、その前にシュトラウスヘーゲル宗教哲学を我有化していたといえよう。

 それでは『イエスの生涯』にはいかなる点でヘーゲル宗教哲学の影響が見られるのであろうか。あるいはヘーゲル宗教哲学のうちにシュトラウス『イエスの生涯』に結実する萌芽が見られるのであろうか。

 歴史学の観点から福音書を神話として解体した本書の意義は、強調しすぎてもしすぎることはない。キリスト教国家の中でそれをやってのけたシュトラウスは、理論的には合理主義的であるが、当時の時代状況を鑑みると極めて異常な人間である。

 本書の冒頭でシュトラウスはイエスの物語の「考察方法 Betrachtungsweise」には三つあることを示唆している。一つ目が「自然的な natürlichen 考察方法」であり、二つ目が「超自然的な supranaturalen 考察方法」である。これらの考察方法は古くなっており、これに対してシュトラウスが本書で新たに打ち出しているのが三つ目の「神話的な mystische」観点である。「このこと(神話的な観点:引用者注)は、決してイエスの物語全体が神話的と称せられるべきだということではなくて、物語のうちのすべてが、神話的なものをそれ自身含んでいるのではないか、と批判的に吟味されるべきである、ということである」(5〜6頁)。したがって、イエスの物語における〈神話的なもの〉の絶妙な位置付けをいかにして把握するべきかということが、本書の重要な課題となる。

シュトラウス『イエスの生涯』第1巻(チュービンゲン、1835年)

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