まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヘーゲル『法の哲学』覚書:「世界史」篇(3)

目次

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ヘーゲル『法の哲学』(承前)

世界史(承前)

オリエント帝国

第355節

(1)オリエント帝国

 この第一の帝国は、家父長的な*1自然的全体から出発していて、内部で分化してはいない実体的世界観である。この世界観においては、現世的統治は神政政治*2であり、支配者は高位の神官あるいは神であり、国家体制と立法は同時に宗教であり、同様に、宗教的および道徳的命令、あるいはむしろ慣習が国法および法律である。この全体の壮麗さのなかで、個人の人格は権利のないものとして消え去り、外的自然は直接的に神的であるか、あるいは神の装飾であり、そして現実の歴史は詩である。習俗、統治、国家のさまざまな側面へと発展する諸区別が、法律に代わって、単純な習俗のもとで、重々しく、冗長な迷信的儀式となり、——個人的権力や恣意的支配の偶然性となり、身分の分化がカースト*3としての自然的な固定化となる。したがって、オリエント国家はみずからの運動のうちでただ生きているにすぎない。この運動は、国家それ自身のうちにはゆるぎないものが何もなく、確固としたものといえば石化しているために、そとに向かっていって、原始的な狂騒や破壊となる運動である。またその内的平穏は私的生活であり、また弱さと倦怠への埋没である。

(Hegel1820: 351,上妻ほか訳(下)368〜369頁,訳は改めた)

冒頭で「第一の帝国 erste Reich」と言われるように、「帝国」の登場には順序がある。「帝国」においてもやはり「自然」が出発点である。そこでは国家と宗教が固く結びついている。国家と宗教の関係については、第270節註解以下が適宜参照されるべきであろうが、長いのでここでは触れないでおく。

 ヘーゲルのいう「オリエント」すなわち「東洋」がどの程度の地域を指しているのかという点が気になる。「身分の分化がカーストとしての自然的な固定化 die Gegliederung in Stände eine natürliche Festigkeit von Kasten」だという箇所を読めば、一つにはインドに代表されるようなヒンドゥー教社会が想定されているのではないかと考えられる。ヘーゲルは下の地図(J. M. F. シュミット『地球の東と西の半球』ベルリン、1820年)を持っていたという(神山2013、註3)。

Johann Marius Friedrich Schmidt, Die östliche und westliche Halbkugel der Erde, Simon Schropp & Co., Berlin, 1820.

 ヘーゲルとオリエントに関しては、すでに神山伸弘編著 2012『ヘーゲルとオリエント――ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界像の反歴史性――』(科学研究費補助金基盤研究(B) 課題番号21320008 研究成果報告書)が出ている*4

ヘーゲルの〈オリエンタリズム

 ヘーゲル『世界史の哲学講義』(ベルリン、1822/23年)では、「オリエント世界」に多くの部分を割いている(伊坂訳、177頁〜455頁)。その際にヘーゲルは中国、インド、ペルシア、エジプトの四地域に言及している。ヘーゲルによって「オリエント」として一括りにされたこれらの地域は、一見するとそれぞれ異なった文化と歴史を持ち、到底ながら同一の原理と見做すことはできないように思われる。

 これに対してヘーゲルは、これらの地域を上に見たような「内部で分化してはいない実体的世界観」と一括りにする。これを乱暴な議論と見るか否かは議論が分かれる点であろうが、そこにはやはりヘーゲル〈オリエンタリズム〉(E. サイード)が垣間見える。ヘーゲルの〈オリエンタリズム*5は、オリエント=東を自由の発展段階の萌芽と位置付けており、自由の発展段階は最終的にゲルマン=西において回収されるというストーリーにみられる。

 それでは、東方から始めることにする。精神の黎明は東方に、すなわち〔太陽の〕昇る方向にある。[しかし]精神はただ、その〔太陽が〕西に沈むことになる。こうして、われわれはアジア的な原理をもって始める。

ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、178頁)

ヘーゲルは、帝国の発展段階の最初にオリエントを置くのは、オリエントの語源に因んでいる。太陽は東から昇っていき西に沈む。だが、太陽の運動は天体という自然によって説明される。だが、そのような自然性を、帝国の発展段階を説明する論理として援用しても問題ないのかどうかという疑問が出てくる。否、そこではヘーゲル自身が自然性に堕落しているのではなかろうか。

 なおヘーゲルがオリエントを世界史の一段階に組み込んだ点を神山伸弘は高く評価している。

 このさい、聖書主義的な歴史観にしたがってオリエントを除外して世界史を構成する道もありえたかもしれないが、ヘーゲルは、オリエントも含めた歴史をトータルに説明するという、おそらく当時の歴史叙述としては画期的な選択をしたともいえる。ただし、オリエントをヨーロッパの歴史に挿入しないからには、自由が不在の自然的な世界としてギリシア以前の古代にそれを位置付ける、という選択にならざるをえなかった。このような自然性を先行させる歴史観は、ストゥールの議論(『自然国家の没落について』ベルリン、一八一二年)の影響下のものである。

(神山2012:17、強調引用者)

 これに対して、吉本隆明はより先行するアフリカ的段階について考えた(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社、1998=2006年)。

ヘーゲルの乱暴な「オリエント」論

 ヘーゲル『法の哲学』の「オリエント」論は、どのような点で乱暴なのだろうか。

 さしあたり、上のパラグラフで言及されている「カースト」はインドの特徴の一つであって、中国にはそのまま当てはまらない。というのも、中国の科挙は試験を通じて登用するメリトクラシーであり*6、これは学識能力ではなくその「血統」(Casta)に基づいて支配階級を固定化するカースト(Cast)とは、ある意味で対極だからである。

 ヘーゲルは『法の哲学』で示した「世界史的帝国」の図式を、後の「世界史の哲学」講義でより詳細に展開することになる。否、むしろヘーゲルは『法の哲学』において乱暴な「オリエント」論を見切り発車的に出してしまったからこそ、自らの「世界史的帝国」という図式を正当化するために、「世界史の哲学」講義では「オリエント」の箇所をより精緻に展開する必要に迫られた、と言った方がより適切かもしれない。この点に関して、「オリエント学そのものが確立し始めた時期にヘーゲルは際会していた」(神山2011:189)という背景事情を考慮に入れつつ、神山は次のように説明する。

 しかしながら、このような想定で図式だけを提示して済ますに済ませない事情も実際には進行していた。オリエント学の創建により、それがなお揺籃期のものであるとしても、その情報が学問世界で一般的に流通しはじめる状態になっており、ヘーゲルは、そうした情報に応接しながらみずからの図式を正当化しなければならない羽目に陥っていたのである。すなわち、オリエントについてものも知らずにこれに言及することが——たとえばシュレーゲル兄弟との関係においても——学者としてとても恥ずかしい状態になっていた、ということである。

(神山2011:188)

したがって、『法の哲学』刊行後にヘーゲルが「世界史の哲学」講義を開始しているのは偶然ではない。ヘーゲルは最新の東洋学を摂取しながら、それを授業でアウトプットしていたのである。

 ちなみにヘーゲル以前にもオリエントに関心を持った人々は居て、ヘーゲルが読んだどうかは不明だが、例えば、哲学者のライプニッツの中国論*7や、アタナシウス・キルヒャーがオリエントの研究を残している*8

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文献

*1:ヘーゲルは『世界史の哲学講義』の中で家父長制に関して次のように述べている。「中国国家の原理は、家父長的な関係に完全に基づいている。この関係によって、すべての人が規定されている。それは最も単純な関係であり、しかもその関係はこの巨大な帝国において一大民族の生命として発達を維持してきた。そのことによって、この関係は、とてつもない数の人々にとって、一つの秩序づけられた心構えをなすものである。この家父長的な関係が、家族関係を基礎にする国家の人為的な組織編成をなしている。その性格は、より身近には、国家が道徳的であるというように規定される。こうした〔国家〕形態の根本要素は、それが家父長的な関係としての家族関係であるということである。」(ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、195頁)。

*2:ヘーゲルは『世界史の哲学講義』では中国の統治を神権政治(Theokratie)から区別しており、この点で『法の哲学』の上の記述と矛盾するように思われる。「皇帝は父親として家父長とみなされ、絶対的な権力を有している。この皇帝は、クルアーンコーラン〕を神に対する人間の法典とするトルコ人におけるような神権政治ではない。むしろ、政権こそが完全に絶対的である。[この帝国は]また、統治者がただ神の意志を言葉にするヘブライ人、つまりユダヤ人におけるようなものでもない。したがって、中国の統治は、そのような神権政治ではない。」(ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、198頁)。

*3:ヘーゲルは『世界史の哲学講義』の中で、国家有機体論の観点からカーストに関して次のように言及している。「今、注目しなければならないのは、こうした分肢がどのようにして有機的に組織化される必要があるのか、ということである。中国では、このように区別されたものが現実的で特殊な分肢に、つまり全体内部の団体にまで形成されるに至っていない。[というのも、こうした分肢は]中国では、ただ国家にとってさまざまに必要とされるものにすぎないからである。インドでもこの普遍的な特殊性が現れはするが、それは[しかも]カーストという独特の規定性を帯びることになる。」(ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、248〜249頁)。

*4:これは書店に流通している一般書ではなく、科研費の研究成果報告書なので、閲覧するためには所蔵されている一部の大学図書館または国立国会図書館を経由する必要がある。

*5:ただしヘーゲル自身が『世界史の哲学講義』の中で「オリエンタリズム」という語に言及している箇所がある。「第二の〔地域〕部分は中央アジアで、そこは山岳民族が優勢である。いわば平原の高地として見ると、われわれはそこにアラブ人も数え入れなければならない。それは高地という性質をもってはいるが、しかし平原のうちにある。これは対立の領域であり、[そして]ここでは対立が光と闇として、その最大の自由にまで到達している。それはオリエンタリズムという華麗さで、そこではそもそも純粋な精神的直観にとってのこの一なるもの〔神〕という抽象、すなわちイスラーム教が生起する。とりわけペルシアは完全にここ〔中央アジア〕に属してる。」(ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、153〜154頁)。ここでヘーゲルは、土地柄の「光と闇」の明確なコントラストのうちに「オリエンタリズムの華麗さ」を見出している。またヘーゲルが世界史を風土と地理を抜きにしては思考しなかったという点に関しては、モンテスキュー『法の精神』を交えながら考察に値するであろう。

*6:ヘーゲルが中国の科挙制度を知らなかったわけではない。ヘーゲルは『世界史の哲学講義』の中で中国の官僚制に関して次のように述べている。「文官の高級官僚になるには大変な勉強が必要である。文官の高級官僚は三つの段階を達成しなければならず、そのために三回の厳しい試験に合格しなければならない。そのうち最高段階の試験は皇帝の宮殿で行われ、試験で首席に認証された者は栄誉の服を授かって、皇帝だけが立ち入ることのできる宮殿に入ることを許され、その栄誉を称えられて皇帝から贈り物が下賜される。」(ヘーゲル『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23年』伊坂訳(上)、199頁)。

*7:ライプニッツ『中国自然神学論』(Leibniz, Discours sur la theologie naturelle des Chinois. 1716)。邦訳『新装版 ライプニッツ著作集 第I期 10 中国学・地質学・普遍学』(下村寅太郎・山本信・中村幸四郎・原亨吉(監修)、山下正男・谷本勉・小林道夫・松田毅(訳)、工作舎、2019年)

*8:神山は他にヴォルフの『中国の実践哲学に関する講和』やシュレーゲルの『インド人の言語と叡智について』、ゲーテ『西東詩集』などを紹介している(神山2012:18)。