目次
はじめに
以下ではヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin, 1892-1940)の「暴力批判論」(Zur Kritik der Gewalt)を読む.
ドイツ語の"Gewalt"には,「性暴力 sexuelle Gewalt」や「公権力 öffentliche Gewalt」という場合の「力」という意味がある.ドイツ語では他にも"Macht"という語が「力」を意味するが,ベンヤミンが敢えて"Gewalt"を取り上げていることの意義についても考えてみたい.
ベンヤミン「暴力批判論」
倫理的諸関係における〈暴力〉
ベンヤミンは「暴力批判論」の冒頭で次のように述べている.
暴力の批判の課題とは,それが権利と正義に対して持つ関係の叙述と言い換えることができる.なぜなら,常に作用しているような一つの原因が,言葉の簡潔な意味での暴力となるのは,それが倫理的諸関係に介入したときだからである.こうした倫理的諸関係の圏域は,権利と正義という概念によって特徴づけられる.
(Benjamin1991: 179,野村訳29頁,訳は改めた)
ベンヤミンが〈暴力 Gewalt〉について語る際に,それと同時に扱われるのが〈権利 Recht〉と〈正義 Gerechtigkeit〉という法哲学の概念である.〈暴力〉とはそれだけで独立して問題にされるのではなく,あくまで「倫理的諸関係」の中で問題となる.このことは,例えば,包丁が問題となるのは,料理の場面においてではなく,それを(家の中の,あるいは街中の)人間に向けて振りかざしたりしたときであるのと同様である*1.
ちなみに,「道徳的なありかた Moralität」とは区別して,近代における「倫理的なありかた Sittlichkeit」を「家族」「市民社会」「政治的国家」の三つ組として概念規定したのがヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)であった.
上でベンヤミンは「倫理的諸関係 sittliche Verhältnisse」と述べているが,その際にベンヤミンが観念しているのは"Moralität"と"Sittlichkeit"のどちらにより近いであろうか.
(つづく)