まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

これからの話

 師匠とオンラインミーティングをした。先日、LINEで師匠に『ニコラス・バーボンの翻訳をしました』と報告をしたことがきっかけだった。その報告からしばらく経って、オンラインで話しましょうということになった。僕は修士を出てからもう六年半も経つけれども、いまだに趣味で研究をしているということを、師匠も知っているようだ。本当は研究がしたいんじゃないのか、就職は厳しいかもしれないが、それでも博士号を目指す気はないのか、と。そういう話だ。

 核心を突かれている。そういえば学部生の四年生の時に大学院に行けと言ったのも師匠だった。正直、大学院に行ってどうするのかなんて、当時は何もわからなかった。そもそも行けるのか、自分がそこでやっていけるのかなんて想像もできなかった。僕の生まれた家庭は、それが理解できるような家庭ではなかったのだ。親父は大学に行ってないし、家業を継いだだけで、会社のしきたりのこともまるで分かってない。そして親父はおそらく自分が分かっていないなりに、僕に〈ごく普通の、まともな社会人〉になることを期待していた。〈ごく普通の、まともな社会人〉というのは、要するに、大学を出て、それなりの会社に就職して、30歳ぐらいには結婚して、子供を作って等々の、お決まりのライフイベントをこなしていくってことだろう。しかし僕は大学に入って哲学や思想の研究に人生を賭けることを志した時から、〈ごく普通の、まともな社会人〉にはならないことを目指していた。今時マルクスと取り組むなんて本気で言っている20歳そこそこの大学生が、そんな〈ごく普通の、まともな社会人〉なんて目指すわけがないだろう。だから、親父との確執が生じるのは、もう時間の問題だった。

 僕は修士課程に入ってからはまともに論文が書けたためしもなく、修論を形にするので精一杯だった。日本語で表現することが乏しくなるほど本当に書けなかったので、M2の終わりには指導教官の言葉で博士課程の進学をきっぱり諦めた。それから僕は修論が書けたら死んでもいいぐらいに思っていたし、それぐらい修論に全身全霊を費やした。修論が完成するまでも完成した後も、親父からは厳しい言葉が何度も投げかけられた。それでずっと精神の方は完全に消耗してしまった。

 僕は博士課程の進学を受験したことはないが、博士課程に行ってまで書きたい研究計画書なんてまともに思い浮かばなかったし、今の僕が研究計画書を書けるかどうかも相当に怪しい。そして僕は自分の惨めな実力を嫌というほど知ってしまっている。もうずっと妥協に妥協を重ねるだけの選択を日々繰り返すだけだ。それから僕は自分の人生を生きられていない。

 だいいち、僕の興味関心でどこの院に行ったらいいというのだ。一橋はもう社会思想の牙城ではなくなってしまったようだし。それより今後の収入はどうするのか。修士を出てから六年半も働いてきたから貯金はそれなりにあるが、これだって仕事を辞めたら二、三年ですぐに使い潰してしまいそうだ。今年32歳で、来年博士課程に入って博士号を取れたとしても、その頃にはもう年齢は40歳近く、あとは死ぬまで就職のあてもなくなってしまうのではないか。どう考えても詰んでいる。

 まあでも、既に生きながらにして死んでいるような人生だ。とっくに出世街道は踏み外しているのだから、これからいくら逸脱してももはや誤差の範疇かもしれない。