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ルソー『社会契約論』覚書(5)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

ルソー『社会契約論』(承前)

第一編第二章 最初の社会について

ルソーの家族論

 ルソーは最初の社会は「家族」だという.

あらゆる社会の中でもっとも古く,またただ一つ自然なものは家族という社会である.ところが,子どもたちが父親に結びつけられているのは,自分たちを保存するのに父を必要とする間だけである.この必要がなくなるやいなや,この自然の結びつきは解ける.子どもたちは父親に服従する義務をまぬがれ,父親は子どもたちの世話をする義務をまぬがれて,両者ひとしく,ふたたび独立するようになる.もし,彼らが相変らず結合しているとしても,それはもはや自然ではなく,意志にもとづいてである.だから,家族そのものも約束によってのみ維持されている.

(Rousseau1762: 5,訳16頁,強調引用者)

ここから「家族 famille」が二つの段階に分けられることがわかる.

家族の第一の段階は子どもたちの養育期の〈家族-1〉であり,次にその第二の段階は「約束」で維持される〈家族-2〉である.

  • 〈家族-1〉:自然にもとづく家族.子どもたちが大人になるまでの間の,養育期の共同体のあり方.
  • 〈家族-2〉:意志にもとづく家族.子どもたちが大人になって独立者となった後にありうる共同体のあり方.
〈家族-1〉における〈母親〉の欠如

 〈家族-1〉では,「父親 pere」と「子どもたち enfans」との関係性については言及されているものの,ここには〈母親〉の姿が見えない.これはつまり,〈母親〉という存在は,〈家族-1〉において文字通り無視されているということであろう.たしかにルソーが「あらゆる社会の中でもっとも古く,またただ一つ自然なもの」としての「家族」に言及するからには,〈母親〉を「父親」(古典古代の伝統における家父長制の主人としてのそれ)と並べることはできなかったであろう.

〈家族-2〉における「約束」の契機

 〈家族-2〉においては,父親と子どもたちが「相変わらず結合している」のだから,〈家族-2〉は〈家族-1〉の延長線上にあると考えられる.ここにも前回の「社会秩序」と同じく「約束 convention」の契機が見出される.

 ここで«convention»を日本語の「約束」の意味に解しては何とも据わりが悪い気がする.というのも,〈家族-2〉を形成するために,誰かが「約束」を交わしたわけではないだろうからである.«convention»は,もともと«con-»(一緒に)«vene»(行く)ことに由来し,そこから«conventio»(集会、同意)へと派生してきた言葉である.〈家族-1〉という「最初の社会」を経てきたことを,ルソーは「慣習に従って par convention」と述べているのであろう.

 ルソーは「それはもはや自然ではなく、意志にもとづいてである」とも述べている.家族は,子どもたちの養育期が終わり次第,解体する.もし家族を解体せずに維持するならば,そこには当人たちの〈意志〉が働いているとルソーは見る.ここから「意志 volonté」と「約束 convention」とは,近縁関係にある言葉であることがわかる.

 当人たちの意志に基づくのだから«convention»は「約束」でいいのではないかという気もしてくる.しかし,日本語の「約束」と「慣習」との間には,大きな違いがある.「約束」とは,諸個人同士の特別な決め事である.これに対して,「慣習」は社会一般的で歴史的な文脈を有している.«convention»は特殊性ではなく,普遍性に近い.«co-»の持つ協同性を見落としてはならないであろう.

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