まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

ホッブズの権利論 ─自然権と自由─

目次

 

 

承前

今回はホッブズの権利論*1について書きたいと思います。

この記事は以下の記事の続きです。

sakiya1989.hatenablog.com

「権利」はオランダ語のregtや英語のrightの翻訳語として用いられるようになりました。しかしながら、regtやrightという言葉それ自体が、ラテン語のius(jus)の翻訳語だと考えるとどうでしょうか。もしそうだとすれば、「権利」はiusの重訳から生まれた、と言えなくもなさそうです。

 

ホッブズの「自然権

例えば、政治哲学者ホッブズは、「自然権(Right/Ius)」と「自然法(Law/Lex)」の区別に留意しつつ*2、「自然権」について次のように述べています。

「著者が通常自然権Jus Naturale)と呼んでいる自然の権利(Right of Nature)とは、各人が自分自身の自然を、即ち自分自身の生命の維持のために、自分自身の意志する通りに自分自身の力を行使することに対して各人が持っている自由であり、従って、自分自身の判断力と理性において、それに対して最適な手段であると見做すような、如何なることでも行う自由である。」(ホッブズ [1992]、216頁)。

f:id:sakiya1989:20180501112726j:plain

(上の画像(英語版『リヴァイアサン』)はLeviathan - Thomas Hobbes - Google ブックスから)

f:id:sakiya1989:20180506010501j:plain

(上の画像(ラテン語版『リヴァイアサン』)はLeviathan, sive de materia, forma et potestate civitatis ecclesiasticae et ... - Thomas Hobbes - Google ブックスから)

ホッブズの言葉を敷衍すると、「自然権」が「自然の」と呼ばれる理由は、この権利が「自己の生命」というまさに「自然(Nature)」にかかわるものだからです。ホッブズにおいて「自然権」とは、自分の力(power/potentia)を行使する「自由」ですが、ここで「力」は「自己の生命を維持する」という目的に適合する限りで認められており、そのため「自然権」における自由とは極めて合目的的な、目的合理的な自由です*3

ここではホッブズ解釈にこれ以上立ち入りませんが、上述の引用箇所から、ホッブズが英語のrightをラテン語のjusの翻訳語として用いていることがわかると思います。したがって、「権利」はrightの翻訳語であると同時に、jusの重訳だと言えるのです。

 

自然権」と「自由」

そしてもう1つ指摘しておくと、「権利とは正しいことである」という、まるで辞書からその内容を引っ張ってきたような説明が専門家の中にもしばしば散見されるのですが、そのような説明は同語反復(トートロジー)に過ぎません。そもそも「権利(Right)」とは「正しいこと(ラテン語のiustum、これはもっと遡るならばアリストテレス『ニコマコス倫理学』のディカイオシュネーに該当する)」なのですから。「権利(Right)」すなわち「正しいこと(ius)」とは一体何なのかを説明しないことには、「権利」を説明したことにはなりません。 

ちなみにホッブズにおいて「自然権」という「権利(Right/Ius)」が、単に正しいとか正しくないという観点*4ではなく、むしろ「自由(Liberty/Libertas)」の観点から論じられている点には注意すべきかと思います。

実は私は以前、ヘーゲルの権利論の読解をまさに「権利」と「自由」という観点から注意を促した*5のですが、ヘーゲルだけでなく既にホッブズにおいても「権利」と「自由」との結びつきは非常に強いと考えられるのです。ヘーゲルの『法の哲学』の副題に「自然権(Naturrecht)」と書かれている理由も、まさに「権利」と「自由」の観点から説明できるような気がします。

ホッブズにおいて「自然権」は「力(power/potentia)」を行使する自由と言われているわけですから、「権利」と「力」が全く関係ないとは言い切れなさそうです。が、IusとRightの同一性という観点を持ちつつ、Iusとしての「権利」についてもう少し時代を遡ってみる必要があります。 

 

文献

 

*1:このテーマについてはすでに素晴らしい先行研究が存在する。小林によれば「ホッブズは, 「権利が法より先に存在する」という学説を自然法の分野に適用して「自然権自然法に対する優越」という見解を導いた。その見解は近代政治思想史上最初に論じられ, しかも後世に影響を与えた見解である。」(小林 [2007]、57〜58頁)。

*2:「この主題についてかたる人々は、権利Jus and Lex, Right and Lawを混同するのが常であるが、しかし、両者は区別されるべきである。」(ホッブズ [1992]、216頁)。

*3:同時に我々はホッブズによる後続の「自由」についての説明を考慮に入れる必要がある。「自由(LIBERTY)とは、その言葉自身の意味によれば、外的障碍の不在と解される。この障碍は、人がやりたいように行う力の一部を取り去り得るのだが、その人のもとに残された力を、彼の判断力と理性が彼に指示するであろうように使用することを妨げることはできない。」(ホッブズ [1992]、216頁)。 ホッブズの論理に従えば、「外的障碍」が「生命の維持」を脅かすようなものであるならば、そのような障碍は取り除かれなければならないということになるだろう。

*4:正しいとか正しくないという観点は、ホッブズのいわゆる「自然状態」ではそもそも存在しない。「正邪(Right and Wrong)と正不正(Justice and Injustice)の概念は、そこ〔自然状態の戦争状態〕には存在の余地をもたない。共通の権力がないところには、法はなく、法がないところには、不正はない。」(ホッブズ [1992]、213頁)。

*5:詳しくは荒川 [2017]を参照せよ。