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ルソー『言語起源論』覚書(2)

目次

(以下の続きである)

sakiya1989.hatenablog.com

 

第四章 最初の言語の特徴的性質、およびその言語がこうむったはずの変化について

 ルソーは初期の言語の特徴を音の未分節の側面から考察する。

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自然の声は分節されないので、語は分節が少ないだろう。間に置かれたいくつかの子音は、それによって母音の衝突が解消され、母音が流暢で発音しやすくなるのに十分だろう。逆に音は非常に多様で、抑揚の多様性によって同じ声が何倍にも増すだろう。音長やリズムが別の組み合わせのもとになるだろう。つまり自然のものである声、音、抑揚、諧調は、協約によるものである分節が働く余地をあまり残さず、人は話すというよりは歌うようなものになるだろう。語根となる語はたいてい模倣的な音で、情念の抑揚か、感知可能な事物の効果であるだろう。擬音語がたえず感じられるだろう。

(Rousseau 1781:368、増田訳30〜31頁)

この辺りは、言語と音楽の起源が同一という第十二章「音楽の起源」におけるルソーの主張につながってくる。

 

第五章 文字表記について

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文字表記は言語を固定するはずのものと思われるがまさに言語を変質させるものだ。文字表記は言語の語ではなくその精髄を変えてしまう。文字表記は表現を正確さに置き換えてしまう。人は話す時には感情を表し、書く時には観念を表すものだ。

(Rousseau 1781:375、増田訳39〜40頁)

エクリチュールは正確さの面では優れているが、しかし同時にパロールがもっていた感情表現を失ってしまう。

 エクリチュールパロールのこのような違いは、次章でみるホメロスの詩の朗読者(アオイドスとラプソドス)の話にも関係してくる。音楽との関連で言えば、楽譜によって内容が固定化され作曲者によって楽曲が管理されるようになった近代音楽が言語同様に生気を失っていくことに似ているかもしれない。

 

第六章 ホメロスが文字を書けた可能性が高いかどうか

 第六章ではホメロスが取り上げられている。というのは、いわゆるホメロスの著作(『イリアス』と『オデュッセイア』)こそが現存する最初期のエクリチュールであり、言語の起源をめぐる議論において、現存する最初期のエクリチュールを取り扱わないわけにはいかないであろうから。

 さて、現代のホメロス学の観点から言えば、ルソーの述べていることは、ホメロス学の通説的見解とさほど変わらないかもしれない。しかし、ルソーの時代におけるホメロス学の観点から言えば、どうだろうか。ルソーは何か彼の時代において、彼独自の見解を示してはいないのだろうか。

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イリアス』が書かれたのなら、それが歌われることははるかに少なかっただろうし、吟遊詩人たちラプソドスは求められることも少なく、それほど増えなかっただろう。ヴェネチアにおけるタッソー以外、これほど歌われた詩人はほかにいない、しかも〔タッソーの場合は〕あまり本を読まないゴンドラの船頭たちによって〔歌われたの〕だ。

(Rousseau 1781:377、増田訳45頁)

ヴァルター・ブルケルト(1931-2015)の提唱以来、古代ギリシア吟誦詩人ラプソドス吟遊詩人アオイドスとは区別されている(Burkert 1987)。ブルケルトによれば、文字がない時代の詩の朗読者をアオイドス(ἀοιδός、吟遊詩人)と呼び、文字ができてからの朗読者のことをラプソドス(ῥαψῳδός、吟誦詩人、吟唱詩人)と呼ぶ。両者は似ているが、アオイドスと比較すると、ラプソドスは(文字が書かれたものに基づいた上演であるが故に)創造的な口承詩人ではなかったとされる*1。増田訳ではラプソドス(les Rhapsodes)は「吟遊詩人たち」と訳されているが、これはむしろ「吟誦詩人(吟唱詩人)」と訳したほうが良かったかもしれない。

 また内容を理解するのには差し支えない些末なことであるが、「ヴェネチアにおけるタッソー」とは、訳注にある通りトルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-1595)という叙事詩人のことである。ゴンドラの船頭たちによって歌われたと思われる彼の詩には『解放されたエルサレム』(La Gerusalemme liberata, 1581. 邦題「エルサレム解放」)という叙事詩がある。この叙事詩に基づく楽曲やオペラ、絵画がいくつも作られてきた。フランツ・リストFranz Liszt, 1811-1886)の曲に『タッソー、悲劇と勝利』(Tasso, lamento e trionfo)がある。リストはかつてヴェネチアでゴンドラの船頭がタッソーの「解放されたエルサレム」を歌うのを聞いて大変感銘を受けたという*2

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ホメロスによって使われた方言の多様性も非常に強力な先入観となる。ことばパロールによって区別される方言は、文字表記エクリチュールによって接近し混ざり合い、すべてが少しずつ共通のモデルにいたる。ある国民が本を読んで勉学すればするほどその方言は消え、民衆の間で訛りジャルゴンの形でしか残らない。民衆はあまり本を読まず、まったく書かないから。

(Rousseau 1781:377、増田訳45頁)

ホメロスの著作における方言の混交については松本 1972を見よ。

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この詩は長いこと、人々の記憶の中だけに書かれたままだった。かなり後になって、多くの苦労の末に書かれた形に編纂されたのだ。ギリシャで本と書かれた詩が増えてから、比較してホメロスの詩の魅力が感じられるようになった。

(Rousseau 1781:378、増田訳45頁)

ヴォルフ『ホメロス序説』(Wolf 1795)に、(「かなり後になって、多くの苦労の末に書かれた形に編纂された」という)ルソーと同様の主旨の主張が看取される。例えば、(和辻哲郎「ホーメロス批判」の要約としてであるが)佐藤は次のように述べている。

イリアス』や『オデュスイア』はいずれも唯一の作者の作ではなくして、多くの歌人の作である。それらの多くの古い歌をと横溢的な全体にまとめあげたのは、作の出来上がった時よりも数世紀の後の有名でない人々、ペイシストラトスの任命した文学委員達であった。これがヴォルフの主張の主旨である。彼はこれを厳密な本文批判によって証明したのではなく古くから言い伝えられた疑しい伝説と文字のない時代にこんな長い叙事詩を制作することは不可能であるということに基づいて結論したのであった。(佐藤 1976:6、強調引用者)

古典専門家ヴォルフよりも先にルソーが同様の主旨のことを述べている点は、ホメロス学におけるルソーの見解の先進性が評価されても良いのではないだろうか。

(以下につづく)

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:「天才詩人ホメロスの出現以降は、その権威がもたらした影響でアオイドスの比較的自由な創作はなくなり、ラプソドスによる固定したテクストの正確な伝承の段階に入った。そしてこの段階では、すでに文字使用もさかんになっていたから、例えば書くことに堪能なラプソドスなどが、ホメロスのテクストを文字で固定したと考えられる」(小川1990:127)。

*2:タッソー、悲劇と勝利 - Wikipedia