まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

規定性の捨象と創造性——喫茶店の源流としてのコーヒー・ハウス——

はじめに

 今回は「規定性の捨象と創造性」と題して、喫茶店の源流としてのコーヒー・ハウスについて取り上げたいと思います。

 前々回の「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」をリリースした直後、いくつかのコメントをいただきました。それらのコメントについては、前回の「「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」へのコメントとそのリプライ」で紹介した通りですが、それらのコメントの中には哲学者・永井均先生による「挙げられていないもっと根源的な理由があるような気がしてならない」という考えさせられるコメントがありました。

 このコメントをもらったことがきっかけで、僕はその「もっと根源的な理由」とは一体何だろうと考えを巡らしました。

 その結果「もっと根源的な理由」を明らかにするためには、コーヒー・ハウスの歴史にまで遡る必要があるのではないか、と僕は思い当たりました。——もしかすると、従来は主に17世期以降の社交性や公共性、世論形成の観点から考察されてきたコーヒー・ハウスの歴史まで遡り、どこかの時代で、喫茶店やカフェといった場所が、公共性を有する社交の場所から個人が集中して作業する場所へと構造転換を果たしたのではないかということが解明されると面白いのではないか。そして同時に喫茶店は、現代人の生活スタイルを支え、生活地域や所属組織のネットワークの切断と接合を兼ねている場所としてもあらためて考察されることによって、より根源的な理由が見つかるのではないか。——このような直観を僕は抱きました。

 以下では、このような直観を抱きつつ僕がコーヒー・ハウスについて調べ考えたことを取り留めもなくまとめておきたいと思います。

 

茶店の源流としてのコーヒー・ハウス 

 喫茶店の源流として考えられるコーヒー・ハウスとは一体何でしょうか。少し長いのですが、引用します。

コーヒーハウスは新しい飲み物を提供する単なる飲食店ではなかった。これが人気を博した大きな要因は、勃興しつつある活字文化、ニュースや時事的印刷物、「ニュース革命」と結びついた点にあった。そこには新聞が常備され、新たに出版された本屋、商品の市況に関する情報が提供されることもあった。コーヒーハウスは人々の新しい社交の場であっただけでなく、知識・情報を集め、交換し、意見を交わす場でもあった。その意味で、コーヒーハウスはきわめて都市的な、、、、空間だったと言える。それは教会や市場、ギルド仲間や近隣社会などの伝統的な、、、、社交の場とは異なった、人と人を結びつける新たな場——「市民的社交圏」と呼んでおこう——を提供するものだった。

(中野 2007:41、傍点引用者)

つまりコーヒー・ハウスとは、当時流行しつつあった活字文化に支えられて、様々な身分・階級の人々が商取引と情報と意見をくみ交わす社交の場所であり、したがってそれ以前に存在したギルドのような閉鎖的集団の中でのつながりとは異なるネットワークを生み出していたのです。

 これを現代的に言い換えるなら、人々は会社員であったり、大工職人であったり、芸術家であったり、大学教員であったり、はたまた所属組織の中で様々な役割を与えられ、何らかの規定性を有しています。喫茶店では、そのような自身の規定性を捨象して、いったん括弧に入れて措いておくことができるのです。

初期のコーヒー・ハウスには、身分・職業、上下貴賤の区別なく、どんなぼろを着た人間だろうと、流行の衣裳に身を固めた伊達男だろうと、誰でも店に出入りすることができた。いわば一種の「人間の〈るつぼ〉」的性格を持っていたのである。

(小林 2000:50)

一方でイギリスは階級社会と言われており、上から下までに様々な社会階層が存在します。他方、日本では人々がファストファッションブランドに身を包み、一見すると社会階層が見えにくくなっているようにも思いますが、しかし時にその人の立ち居振る舞い、言語表現の仕方によって、何らかの育ちや社会階層、あるいは世代間格差による見解の違いが表面化せざるを得ない場面もあります。喫茶店では、とりあえずそのような違いをいったん無視して、様々な社会階層の人々が同じ場所に居ることができるわけです*1

 

規定性の捨象と創造性

 このような没階級性という喫茶店の特徴は一体何を意味するのでしょうか。前回取り上げたビジネス・インサイダーの記事によれば、オープンオフィスでは生産性を損ねるのは、知り合いへの対応に注意を払わなければならず、そこにリソースを割かなければいけないから、という理由が挙げられていました。が、そもそもオープンオフィスはあくまで社内に対してオープンであるに過ぎず、その建物自体は社外の人間に対しては閉鎖的であり、その閉鎖空間の中で創造的な課題を行う場合、人間は無意識のうちに組織の中で自分に与えられた役割やポジションの中で遂行可能な範囲でしか発想できず、このような心理的な壁が創造的な課題において生産性を下げる要因になっているのではないでしょうか。あるいはオープンオフィスはある意味でコーヒー・ハウス以前のギルド的な社交性に留まっているに過ぎないと言えるかもしれません。

 これに対して喫茶店では、自身の組織内での役割やポジションといった規定性を捨象して、いったん括弧に入れて措いておくことができる。これにより自身の有する規定性によって形成された心理的な壁を壊して、より自由な発想を持てるようになる。だからこそ喫茶店では創造的な課題において生産性を高めることができるのではないでしょうか。

文献

*1:ただし、当時のコーヒー・ハウスは誰でも入れたわけではなく、現代のジェンダー観からすれば不当であろうが、そこでは女性の存在が排除されていたのである。「コーヒー・ハウスの利用についてもうひとつ指摘しておきたいことは、男性以外の客は立ち入りを許されなかった点である。「人間の〈るつぼ〉」といっても、人間の半分のみが許されて入ることのできる世界で、その点では明らかな差別が行なわれていたといえるかもしれない」(小林 2000:55)。