はじめに
今回は「喫茶店と資本主義の精神——喫茶店で仕事が捗るのは何故なのか——」というテーマで書きたいと思います。
このテーマのきっかけとなったのは、千葉雅也先生の次のツイートです。
ルノアールの仕事の捗り方はハンパない。生産性の神様がいるんじゃないのか。
— 千葉雅也『デッドライン』発売 (@masayachiba) 2019年12月18日
「生産性の神様」という素晴らしいパワーワードが出てきていますが、これは本当にそうですよね。
「ルノアールで仕事をする」ということは、もちろん「仕事の相手と商談する」というのもよく見られる光景だと思いますが、それ以外にも本を読んだり、思索を深めたり、事務作業や原稿諸々含めてアウトプットするということもあるでしょう。
僕の場合は、近くにルノアールがありません。なので、代わりにベローチェ、サンマルク、ドトールコーヒーなどを愛用して、そこでこのブログを書いたり、本を読んだり、Googleドキュメントにノートをまとめたり、内省の時間を設けています。これらのチェーン店だけでなく、マクドナルドやモスバーガーも利用することがあります。いずれのチェーン店でもコーヒーが飲めますし、お腹が空いていれば同時に軽食も楽しめます。本稿では、これらの大手チェーン店を「喫茶店」*1としてひとまとめにして扱います。
喫茶店で仕事が捗る理由
さて本題ですが、喫茶店で仕事が捗るのは一体何故なのでしょうか。
千葉先生のいう通り、喫茶店には「生産性の神様」がいる。「生産性」という概念は、資本主義の精神そのものです。喫茶店には、このような仕事の「生産性」を高める要素が散りばめられている。その要素とは、一体何なのか。
僕は次のように考えました。
なぜこれらの場所で生産性が高まるのか。
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2019年12月18日
・適度な室温、適度な雑音
・限られたスペース、限られた手元資料、限られた利用時間
・知り合いに声をかけられないという安心感
・課金しているという意識
おそらくこれらの要素が集中力を高める。
これらの要素を一つ一つ見ていきましょう。
1、適度な室温、適度な雑音
ここでは身体にとって適度な環境について考えていきます。
適度な室温は、温度によって集中力を削がれないための重要な要素です。
仕事に集中する場合、室内は寒すぎても暑すぎてもいけません。寒いと家に帰りたくなります。冬に室温が暑くても、ムワッとして外の風を浴びたくなります。夏に外が暑いからといって、冷たい風に当たるのも辛いです。理想を言えば、風が当たらず、暑すぎず、寒すぎずという室温がちょうど良いでしょう。
適度な雑音は、音によって集中力を削がれないための重要な要素です*2。
あまり静かなところ、例えば図書館の自習スペースとかは、僕は馴染めません。静かすぎると、小さな音も気になって集中できない。これに対して、喫茶店では、クラッシックやBGMなどの音楽が流れています。席と席が適度に離れていれば、人々の会話はただのガヤになります。もちろん隣の人々の会話の内容が聞こえるようになってしまうと、時々目の前の仕事に集中できなくなるかもしれませんが、ほとんどの場合は無視できます。
2、限られたスペース、限られた手元資料、限られた利用時間
ここでは空間・道具・時間の制約によるメリットを考えていきます。
限られたスペースは、移動を最小限に抑えるための重要な要素です。
自分の部屋、自分の研究室であれば、資料をそこに置いたままあっちこっちに移動できます。なぜなら、そこに自分の物を置いておいても、基本的に盗まれる心配がないからです。しかしながら、喫茶店で座る椅子と机は、自分のスペースではなく、喫茶店のスペースです。よって、退店するまで、その店舗内で無駄な移動をする理由はなく、移動しないが故に目の前の仕事に集中することができるわけです。
限られた手元資料は、目の前の道具だけで集中するための重要な要素です。
原稿を書いていると、どうしても手元にない資料が気になってきます。もちろんその資料がないと先へ進めない場合は、資料を取り揃えて出直してくる必要があります。しかしながら、多くの場合は、目の前の道具だけである程度仕事を進めることができるのです。手元に無い資料は、別の機会に補完すれば良い。
限られた利用時間は、集中力を強化するための重要な要素です。
時間無制限で利用でき、特に立ち去る必要のない場所では、人はなかなか集中することができません。なぜなら、「今」に集中する必要性がないからです。これに対して、喫茶店では、そもそも長居することはできません。喫茶店でずっと居座ると迷惑な客になってしまいます。なぜなら、お店側からすれば、資本の論理によって利用者の回転率をもっと上げなければならないからです。同時に、実は利用客自身がそのような「資本主義の精神」を内在化することによって、そこで利用できる時間あたりの生産性を上げることに資するわけです。換言すれば、「回転率を上げなきゃいけないのに、ここで仕事させていただいてすまんな」という罪悪感こそが、喫茶店での生産性を高めるのに役立っているのです。
3、知り合いに声をかけられないという安心感
喫茶店で知り合いに声をかけられないということは、思考や文字表現を中断させられないための重要な要素です。
仕事のほとんどは、人に声をかけられることによって一時中断されます。自分の仕事を一旦置いておいて、その人に対応しなければならないからです。
事務作業であれば、一時中断したとしても後で続きを行う事は可能です。しかしながら、思考をめぐらせている時に声をかけられると何が困るかというと、その思考がまだ文字として表現されるに至っていない時に人に声をかけられて思考の中断を強いられるや否や、その時の思考そのものが消え去り、その思考を取り戻すのはなかなか難しいということです。その思考とは、ベンヤミンが『歴史の概念について』のテーゼで述べているような、目の前をさっとかすめて消えゆくようなはかない存在*3であり、それを掴み取ることこそが重要なのです。
4、課金しているという意識
入店するためにコーヒーやパンなどに課金することは、課金した金額分のもとを取ろうと努力するための重要な要素です。
その都度利用料金を払わない図書館の自習室のようなフリースペースでは、実際のところは税金とか学費とか様々な形で料金がかかっているにもかかわらず、その課金意識を維持することが難しいが故に、目の前のことに集中せずに時間を持て余してしまう恐れがあります。
これに対して、喫茶店は毎回タダでは利用できません。利用するためにはその都度必ず何かしら注文しなければなりません。たかだか数百円の課金ですが、日常的に喫茶店を利用するとなると、年間では大きな金額になりえます。個人でお金を使うということは、経済学でいえば予算制約線の中で何に使うかを決めて振り分けて使うという意味で、資産上の制約があります。このような資本主義の精神を内在化している利用客は、課金した数百円分のもとを取る為に、集中力を高める努力をすることができるのです。
おわりに
以上、私が普段、喫茶店を利用しながら考えていることを言語化させていただきました。
今回書きながら私自身が新たな発見をしたのは「喫茶店の利用客自身が資本主義の精神を内在化させている時に限って、喫茶店で生産性を高めることができるのではないか」という仮説を持てたことです。ただし、このような発見はあくまでまだ仮説、あるいは臆見に過ぎないことを注意しておきます。
*1:【2019年12月20日追記】喫茶店すなわちカフェの研究としては、伊藤眞「私的カフェ論(その1〜9)」(三田商学研究 59(5)〜61(3)、2016〜2018年)がある。喫茶店をまとめたものとしては、JUNATA「【ルノアール・ドトール】カフェ・コーヒーショップ・喫茶店チェーンまとめ【スタバ・タリーズ】」(NEVERまとめ、2017年)に詳しい。【追記おわり】
*2:【2019年12月19日追記】適度な雑音についての研究としては、次のようなものがあります。Ravi Mehta, Rui (Juliet) Zhu, Amar Cheema, "Is Noise Always Bad? Exploring the Effects of Ambient Noise on Creative Cognition", in: Journal of Consumer Researtch, vol.39, 2012.(ラヴィ・メータほか「
*3:【2019年12月21日追記】テーゼⅤ「過去の真のイメージは、さっとかすめて過ぎ去ってゆく。過去はそれが認識可能となる瞬間にだけひらめいて、もう二度とすがたを現わすことがない、そのようなイメージとしてしか、確保できないのだ。」(ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』鹿島徹訳・評注、未来社、2015年、48頁)。このテーゼについては私が書いたこちらの記事も参照のこと。【追記おわり】