まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

〔翻訳〕デステュット・ド・トラシー『観念学要論』(6)

目次

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デステュット・ド・トラシー『観念学要論』第二版(承前)

第一部 固有の意味での観念学(承前)

イントロダクション(承前)

(原注1)この科学は、その主題にしか注意が払われなければ《観念学イデオロジー》と呼ばれ、その方法しか考慮されなければ《一般文法学グラメール・ジェネロー》と呼ばれ、その目的しか考察されなければ《論理学ロジック》と呼ばれうる。この科学に与えられた名前がいかなるものであれ、その科学は必然的にこれら三つの部門を含んでいる。というのは、他の二つを取り扱わずに一つを適切に論じることはできないからである。《観念学》は私にとっては類的なジェネリック術語のように思われる。なぜなら諸観念の科学は諸観念の表現の科学と、諸観念の演繹の科学*1とを含んでいるからである。これは同時に第一部の種差的なスペスィフィック名称である。*2

(Tracy1804: 5)

ようやくトラシーが「観念学 Idéologie 」について述べている箇所にたどり着いた。

 まずトラシーは『観念学要論』を構成する三つの部門について、その意図するところを説明している。「観念学」と「一般文法学」と「論理学」は相互依存関係にあり、それぞれ独立して取り扱うことができないとされる。

 トラシーは「観念学」を「類的な術語」として捉えている。ここで「類的 générique 」とは、「種差的 spécifique 」ものを包摂する関係にある(アリストテレス「カテゴリー論」)。「観念学」という「類的な術語」が包摂しているものは、「諸観念の表現 expression の科学」と「諸観念の演繹 déduction の科学」の二つである。

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文献

*1:初版「諸観念の組み合わせ combinaison の科学」(Tracy1801: 20)。

*2:初版には最後の一文(「これは同時に第一部の種差的な名称である。」)がない(Tracy1801: 20)。最後の一文は第二版において「類的な」の意味を説明するために加筆されたと考えられる。