まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

〔翻訳〕デステュット・ド・トラシー『観念学要論』(7)

目次

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デステュット・ド・トラシー『観念学要論』第二版(承前)

第一部 固有の意味での観念学(承前)

イントロダクション(承前)

 多くの人たちが君たちの年齢では私が君たちに従事してもらいたい研究はできないと信じている。これは間違いであり、そのことを証明するためには、私が君たちに自分の個人的な経験を引き合いに出して、君たちの誰よりも幼くて知性に目を見張るものがない子どもたちに私が話そうとしている諸観念のすべてをしばしば示したことを、そして子どもたちが容易に喜びをもってそれらの観念を捉えたことを話せば事足りる。だが、私はもう少し君たちに説明をしなければならない。その説明は後で無益にはならないだろう。

(Tracy1804: 5)

ある一定の年齢、つまり大人になってしまうと〈観念学〉のような科学は研究できなくなってしまうというように人々は思い込んでいる。トラシーの個人的経験からすれば、大人ではなく子どもはそれを易々とやってのけてしまうという。

 ここから先は余談だが、子どもというのは実に不思議な存在である。まだ様々な観念にさらされていない子どものような若い精神でないと入っていけない領域がある。心霊現象やオカルトを取り扱った番組を見ることは今の私には無理だが、小学生の頃はその世界を信じて真剣に見てしまうだろう。子どもがまだ小さいからといって何でも能力が貧しいと考えるのはおそらく間違いであり、むしろ大人になればなるほど劣ってしまう能力もあるように思われる。もちろんトラシーがこのように考えているわけではなさそうなのだが。

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