まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ルソー『言語起源論』覚書(1)

目次

はじめに

 『音楽思想史』に取り掛かるために,本稿ではルソー『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』(増田真訳,岩波文庫,2016年)を読む.

ルソーの『言語起源論』は死後出版であった.「訳者解説」によれば,この著作が書かれた時期は1750年代後半から1762年前半にかけてであったという(138頁).

ルソー『言語起源論』(1781年)

(死後出版されたルソー『言語起源論』1781年)

第一章 われわれの考えを伝えるためのさまざまな方法について

 章タイトルにある「われわれ nos」とは,一体何を意味しているのだろうか.それは人間一般のことを指しているのか.そもそもこの章タイトルはルソー自身がつけたものなのだろうか,それとも編集者がつけたものだろうか.この点については本来であれば手稿の写真を確認しなければならない.『グラマトロジーについて』(De la grammatologie, 1967)の中で本書を取り扱ったジャック・デリダJacques Derrida, 1930-2004)は,どうやらルソーのこの手稿の写真を持っていたようである.

derridas-margins.princeton.edu

話し言葉パロール言語ランガージュ

 ことばを話すことパロールによって,人間はほかの動物から区別される.言語ランガージュは諸国民を互いに区別する.ある人の出身地は,その人がことばを発してからでないとわからない.慣用と必要性によって,各人は自分の国の言語ランガージュをおぼえる.しかしその言語ランガージュがその国のものであり,ほかの国のものではないのはなぜなのか.それについて語るためには,地域に由来し,風俗にさえ先行する何らかの理由にまでさかのぼらなければならない.ことばパロールは最初の社会制度なので,その形態は自然の原因にのみ由来する.

(Rousseau1781: 357,増田訳11頁)

最初の一行目を文字通りに解釈するならば,「ことばを話すことパロールは人間を諸動物から区別し,言語ランガージュは諸国民を互いに区別する」とルソーは述べている.「言語ランガージュ」は,例えば英語やフランス語,中国語などのように,「国民 nation」という単位においてその民族が持っているものである.

 ここで「話し言葉パロール」と「言語ランガージュ」を単純に混同してはならない.このパラグラフでは,最初と最後のセンテンスでは「話し言葉パロール」について語られ,その中間の諸センテンスでは「言語ランガージュ」について語られている.「話し言葉パロール」と「言語ランガージュ」とでは,それぞれ区別する対象が異なる.「話し言葉パロール」があらゆる動物の中での人間の独自性(種差)を示しているのに対して,「言語ランガージュ」には,人間がその生まれ育った地域性や国民性が反映されている.

 

 まず第一章では、タイトルにある通り「われわれの考えを伝えるためのさまざまな方法」が考察される。ここから言語とは考えを伝えるための手段であるということがわかる。しかしながら、興味深いことに、『言語起源論』の最終章である第二十章「言語と政体の関係」では、近代人が言語によってはその内容を上手く伝えることができない様が描かれている。つまり、『言語起源論』は、いかにして考えを伝えるのかの考察から始まるにもかかわらず、いかに考えが伝わらないかという考察で終わるという構成になっているのである。

 われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ、つまり動作だけである。動作の作用は触覚を通じて直接的なものとなるか、そうでなければ身振りを通じて間接的なものとなる。前者〔動作の作用〕は腕の長さが限界となっているので遠くに伝えられないが、後者〔身振りの作用〕は視線と同じくらい遠くに達する。そのように、散らばった人々の間での言語の受動的な器官としては視覚聴覚しか残らない。

(Rousseau1781: 358, 訳12頁, 下線引用者)

このパラグラフを表にまとめるとこんな感じだろうか。

f:id:sakiya1989:20200111003553j:plain

ルソーは先の引用文で「われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ」だと述べているが、そもそも章タイトルは「さまざまな方法について(divers moyens)」となっていたので、考察されるのが「二つだけ」では少ない。上の表で示したように、訴求される感覚別にみると、人間のコミュニケーション方法は大きく分けて三つ(「触覚」に向けてなのか、「視覚」に向けてなのか、「聴覚」に向けてなのか)である。

 ルソーはこの第一章で「動作」を通じての言語コミュニケーションについて考察した上で、以降の章では「声」を通じての言語コミュニケーションの考察に入っていく。

 

第二章 ことばの最初の発明は欲求に由来するのではなく、情念に由来するということ

 第二章の冒頭でルソーは「それ故、欲求が最初の身振りを語らせ、情念が最初の声を引き出した、と考えるべきである」(訳23頁)と述べている。これはほとんど「言語の起源とは何か」という問いに対する答えであるように思われる。第一章で見たように、「われわれが他者の感覚に影響を与えうる一般的な方法は二つだけ、つまり動作と声だけである」(訳12頁)とされていた。この区別に従うと、「動作」としてのことば(ボディランゲージ)の起源は「欲求」であり、「声」(パロール)としてのことばの起源は「情念」だということになる。

われわれに知られている最も古い言語であるオリエントの諸言語の精髄は、その形成において想像される学術的な歩みとは相いれない。それらの言語は、方法的で理論的なものが何もない。その諸言語は、生き生きとしていて比喩に富んでいる。最初の人間の言語を幾何学者の言語のようなものとする人がいるが、詩人の言語だったことがわかる。

(訳23頁)

ここで「オリエントの諸言語」と呼ばれているものが具体的に何を指しているのか、私にはよく分からない*1。とはいえ、その「オリエントの諸言語」は「最も古い言語である」とされる。現代の私たちが言語を新たに学ぼうとするとき、基本的には単語と文法によって学ぶであろう。しかし、その最古の言語は「方法的で理論的なものが何もない」。つまりそこには文法と呼ばれるような言語の理論がないという。最初の言語は「詩人の言語」であり「比喩に富んでいる」。この点については、次の第三章「最初の言語は比喩的なものだったにちがいないということ」で展開されることになる。

 そこで「欲求」と「情念」がもたらす効果が考察される。「欲求」とは「飢えや渇き」などの生きるために必要なものであり、「情念」とは「愛、憎しみ、憐憫の情、怒り」(訳24頁)などの感情のことである。「欲求」は人々を遠ざけるが、「情念」は人々を近づけるとされる。

f:id:sakiya1989:20200219144808j:plain

それはそうであったにちがいない。人はまず考えたのではなく、まず感じたのだ。人間はその欲求を表現するためにことばを発明したと主張する人々がいる。この意見は支持できないように思われる。最初の欲求の自然な効果は、人々を近づけることではなく、遠ざけることだった。種〔人類〕が広まり、すばやく地球全体に人が住むようになるにはそうでなければならなかった。そうでなければ、人類は地球の一隅に寄せ集まり、残りの全体が荒野のままだっただろう。

(Rousseau1781: 364, 増田訳23〜24頁, 下線引用者)

ここで言語の起源を考察する際に、ルソーは「思考」よりも「感性」が先行する点を考慮している。この点について私は個人的にはフォイエルバッハの著作(「哲学改革のための暫定的命題」など)を思い出さずにはいられなかった(が、今は立ち入らないことにする)。

 ともかく、ルソーは「人間はその欲求を表現するためにことばを発明した」という主張を斥ける。一体何故であろうか。

 だが、そもそも「欲求」や「情念」といったものが人々を遠ざけたり、近づけたりするものだろうか、と私は疑問に思う。人々が互いに遠のいたり近づいたりするのは、場の要素(あるいは経済性とでも言おうか)が大きいのではないだろうか。衣食住を確保できるのは、土地柄(気候や風土)も関係していると思われるからである。人はどこにでも住めるわけではないのである。

f:id:sakiya1989:20200219145126j:plain

生きる必要によって互いに避け合う人間たちを、すべての情念が近づける。

(Rousseau1781: 365, 増田訳24頁, 強調引用者)

確かに「情念」はルソーの考えるように人々を近づけるかもしれない。だが、「情念」をこじらせてしまうと、近づこうとする相手がかえって離れていくこともあるかもしれない。

 

第三章 最初の言語は比喩的なものだったにちがいないということ

 ルソーによれば、最初の言語は「詩」だったという。

f:id:sakiya1989:20200219145404j:plain

人間がことばを話すパルレ最初の動機となったのは情念だったので、人間の最初の表現は 文 彩トロップ だった。比喩的なフィギュレことばづかいは最初に生まれ、本来の意味は最後に見いだされた。事物は、人々がその真の姿でそれを見てから、初めて本当の名前で呼ばれた。人はまず詩でしか話さなかった。理論的にレゾネ話すことが考えられたのはかなり後のことである。

(Rousseau1781: 365, 訳26頁)

訳語について若干述べておく。ここでは«Tropes»に「文彩」の訳語が採用されている。しかし、修辞学の伝統においては«Trope»が「転義(法)」と訳されてきたのであって、他方で«figuré»が「文彩」や「比喩的なもの」と訳されてきた。内容的には、この章でルソーが「比喩的なことばづかい la langage figuré」について論じていることを考慮すると、ここで«Tropes»を「転義(法)」*2と訳しても良いのではないだろうか。

raisonnerも「理論的に」というよりは「理屈で」という感じではないだろうか。「理論的」と訳すと、その対として「実践的」が想起されるのだが、ここではそうではないであろうから。

f:id:sakiya1989:20200219145549j:plain

こうして情念がわれわれの目をくらませ、情念によって与えられる最初の観念が真理のものではないとき、比喩的なフィギュレ語は本来の語よりも先に誕生する。私が語や名前について言ってきたことは、言い回しについても何の問題もない。情念によって提示された幻想のイメージは最初に示されるので、それに対応する言語も最初に発明された。精神が啓蒙されその最初の間違いを認め、誤りを生み出したのと同じ情念でのみそれらの表現を使うようになり、その言語はそれから比喩的なメタフォリックものになった

(Rousseau1781: 366, 訳27頁, 下線引用者)

ここで«figuré»と«métaphorique»はどちらも「比喩的」と訳されているが、本来であれば両者を区別して後者(«métaphorique»)を「隠喩的」と訳すべきであろう。両者を混同してしまっては、それこそルソーの「文彩(ことばのあや)」を理解できなくなってしまうおそれがあるからである。少なくとも「隠喩」は修辞学の伝統において厳密に取り扱われてきたのであり、その区別はアリストテレス詩学』にまで遡ることができる*3

 情念により不明な対象に対して抱かれた最初の観念によって付けられた名前が、その内実が明らかになるや否や実は不適切な名前だったことがわかり、訂正されて言葉が差し替えられる。初期の言語に見られるこのような言葉の転用から、最初の言語は「比喩的なものになった」とルソーはいう。

 この箇所をよく読むと、〈比喩的な言語〉よりも前の段階として、情念によってもたらされた間違った観念に基づく暫定的な言語こそが最初の言語であったことがわかる。〈比喩的な言語〉が可能となるのは、その表現が誤りだと気づいてからのことであり、誤りだと気づくまでは誤りは認識されていないのだから、話者にとってその表現は比喩ではなかったはずである。まさしく「その言語はそれから比喩的なものになった」のである。比喩的な言語以前の原初的な言語は、情念がもたらした最初の観念によって発明された言語であり、しいていうなら〈情念的な言語〉であろう。

 このことを表で示すと以下のようになる。

f:id:sakiya1989:20200114024044j:plain

 時間軸として見れば、システム1(情念的)からシステム2(理性的)へと移行する。

 システム1は情念によってイメージが喚起されることによるものである。システム1の段階での判断は最速だが、ゆえに誤りが伴う可能性を常に秘めている。

 これに対してシステム2はシステム1の検証に基づく(エラー訂正的な)判断である。システム2はシステム1の後にやってくるため遅行性だが、理性的である。

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:訳注では「ここでいう「オリエント」とは、古代の地中海世界東部、すなわち中近東を指す」とある(訳25頁)。

*2:ルソーがこの『言語起源論』を書いていたのとちょうど同じ頃に、バウムガルテンは『美学』(第二巻、1758年)の中で文彩 figura と転義 tropus について述べている(バウムガルテン2016、第47節「転義」§783以下)。ちなみにこの書によれば、「転義(法)」とは修辞学の伝統において「その固有の意味から別の意味への、利点を伴う語、語法の変化」(クインティリアーヌス『弁論家の教育』8.6.1)と解されてきたが、それにとどまらない意義を持っているとされる(§780)。この点について詳しくは井奥2016をみよ。

*3:「隠喩(metaphora)は、非本来的な意味へと適応される語の転用である。たとえば、類から種への、種から類への、ある種から他の種への、あるいはまた、類比に即しての転用である」(アリストテレス詩学』1457b10)。