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カーネマンとヘーゲルの意志・思考論

目次

はじめに

今回は、ダニエル・カーネマンヘーゲルの意志・思考論、およびこれらの接合を試みたいと思います。

日本で普通に研究していたら通常はカーネマンとヘーゲル哲学とは接合されないはずです。僕もこのような内容を大学の紀要などに載せようとは思いませんし、もしそんなことをすれば他の研究者から叩かれることは目に見えているからです。なので、あくまでこのような異分野との接合はブログ記事のお遊びとしてお読みください*1

 

カーネマンの意志・思考論の2類型(システム1・システム2)

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』では、なぜ人はしばしば合理的な選択をしないのかが分析されており、この本に登場する二つの意思決定プロセスは有名です。

カーネマンによれば、人の意志決定プロセスには「速い思考」と「遅い思考」の二つがあります。カーネマンは「速い思考」をシステム1と呼び、「遅い思考」をシステム2と呼んでいます。

「速い思考と遅い思考のちがいは、過去二五年にわたって多くの心理学者が研究してきた。私はこれをシステム1とシステム2という二つの主体になぞらえて説明する。速い思考を行うのがシステム1、遅い思考がシステム2である。そして直感的思考と熟慮熟考の特徴を、あなたの中にいる二人の人物の特徴や傾向のように扱うつもりだ。最近の研究成果によれば、経験から学んだことよりも直感的なシステム1のほうが影響力は強い。つまり多くの選択や判断の背後にあるのは、システム1だということである。そこで本書では、システム1の仕組みおよびシステム1と2の相互作用を論じることに大半のページを割く。」(カーネマン [2014]、上31頁)

「速い思考」であるシステム1は、直感に基づく意思決定であり、これは感情を伴っています。それゆえ、システム1による判断にはバイアス(偏向)がかかっており、投資の観点から見ると、システム1は合理的に正しい判断を下さないことがある点をカーネマンは指摘しています。カーネマンの『ファスト&スロー』はこのシステム1の分析に多くが割り当てられています。

カーネマンのいうこのシステム1は、ヘーゲル意志論における選択意志と非常に近い性質を持っているように見えます。そこで次にヘーゲルの意志論を見ていきましょう。

 

ヘーゲルの意志・思考論の3類型(自然意志・選択意志・自由意志)

ヘーゲルは『法の哲学』の中で意志を自然意志、選択意志、自由意志の三つに分けています*2

ざっくりいうと、自然意志とは自然な欲求に左右される意志であり、選択意志とは感情に左右される意志であり、自由意志とは自らの思考に基づく意志です。ヘーゲルによれば、自然意志と選択意志は本当の意味では自由な意志ではなく、最も重要視されるのは自らの思考に基づく自由意志です。なぜなら権利の基本はこの自由意志にこそあるからです*3

たとえば、ヘーゲルによれば、民主主義的な選挙とは選択意志に基づくものであるがゆえに、民主主義では政治が人々の感情によって左右されていると捉えることができます。この感情による意思決定プロセスは、カーネマンの言うシステム1に該当します。システム1という速い思考は、我々の日常生活に欠かせないものですが、その結果が合理的であるということを保証するわけではありません。むしろ投資理論においては不合理な結果をもたらすのがシステム1だといえます。民主主義的な選挙がシステム1に基づく意志決定プロセスだということは、実は民主政治が必ずしも合理的であるとは言い切れないことを意味します。

<選択意志=システム1>に基づく意志決定は、日常生活のあらゆる場面で行われていると同時に、マーケティングはこの人々の<選択意志=システム1>の分析に基づいて行われています*4。例えば、A/Bテストのように、二つの異なるデザインを比較し、これらの売上への影響を統計的に分析して、より効果的なマーケティングを行うということは、別の側面から述べるならば、<選択意志=システム1>がマーケティングに利用されているということです。

 

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論の違い

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論では、分類の仕方が異なっていることがわかります。

まずカーネマンは「速い思考」と「遅い思考」という思考の速度に着目しました。これは、ヘーゲルには見られない点です。ヘーゲルの場合は思考の速度について触れられていませんが、ヘーゲルのいう自然意志と選択意志の方を「早い思考」とみなし、ヘーゲルのいう自由意志を「遅い思考」とみなすことはできるかもしれません。

またカーネマンの意志論を単純にヘーゲルの意志論と接合できない点もあります。カーネマンの意志論は基本的に投資理論における合理性の観点から述べられたものであり、ヘーゲルの考える合理性とは異なっているということができます。もっというと、投資理論は期待値という数値的に還元可能な指標によって分析されていますが、数値に還元できるということは場合によっては、同じ事象でもKPIのようにどこに重点を置くかによって結果の良し悪しの判断が変わってきてしまう恐れがあります。

カーネマンは意志を二つのシステムに区別しましたが、ヘーゲルの場合は三つに区別されています。ヘーゲルの意志の類型の方がカーネマンのそれよりも区別の段階が一つ多い分、質的に多様だと言えるかもしれません。カーネマンの意志論では、自然意志と選択意志との判断が区別されていないように思われるので、ここで逆にヘーゲルの意志論を持ち込んでみるのも良いかもしれません。

 

文献

*1:カーネマンの二つの意思決定プロセスは、おそらく哲学分野にとっても興味深い内容を含んでおり、最近では植原 [2017]の中で取り上げられているので参照されたい。植原によれば、哲学と科学とをひとつながりのものとして扱おうとする運動のことを自然主義あるいは哲学的自然主義と呼ぶようである。「自然主義に立つ哲学者は、哲学を科学と緊密に結びつけようとする。この世界は自然的世界であり、そこには自然を超えるものは何も含まれていないし、人間も、したがって人間の心もまた、それを構成している部分にほかならない。だとすれば、哲学が人間を含むこの世界を理解しようとする試みであるなら、どの側面についても科学の方法を用いるべきだろう。なぜなら、世界について現在われわれが手にしている最良の認識は科学によってもたらされており、その意味で自然を探究するうえで最も信頼できるのは科学の方法だからであるーー。」(植原 [2017]、1頁)。この記事ではヘーゲルの哲学と他分野の科学的知見の接合を試みるが、これはある種の哲学的自然主義の試みと言えるかもしれない。ただし、この場合「自然主義」の「自然」はヘーゲル的な意味ではない。ヘーゲル的な意味での「自然」も慣習化された「第二の自然」も、哲学的自然主義の「自然」とは区別されるべきである。ヘーゲルの「自然」については中島[2015]、163〜164頁を参照されたい。ヘーゲル自然主義については大河内 [2017]を参照されたい。ちなみにマクダウェルの「第二の自然の自然主義」(詳しくは川瀬 [2018]を参照)は、ヘーゲルの「第二の自然」と絡めて理解する必要はないように思われるが、その代わりにマクダウェルのそれとコモンセンス(常識・共通感覚)とを絡めて議論する方が生産的かもしれない。

*2:ヘーゲルの意志論について詳しくは田中 [1989]を参照。

*3:この点、詳しくは荒川 [2017]を参照。

*4:マーケティングとシステム1の関係については、友野典男が『ファスト&スロー』に付された「解説」のなかで次のように触れている。「人々の欲望を作り出し、商品を売ろうとするマーケティングの力も現代の資本主義の特徴の一つである。昔からしばしば用いられているマーケティング手法は、コマーシャルやアンカリング効果を利用した値付けから、陳列棚の配置法、限定品、お買い得、店内のBGMに至るまで、消費者のシステム1を最大限に刺激して、利用することにある。資本主義はまさに認知的錯覚の上に成り立っているのである。資本主義は幻想の上に成立するという主張は目新しいものではないが、この主張に科学的な根拠を与えたと言うことができよう。」(カーネマン [2014]、下341頁)。