まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

『梨泰院クラス』所感

目次

はじめに

 Netflixで『梨泰院クラス』(이태원 클라쓰、JTBC、2020年)を観た。陳腐な言い方になるが、面白かった。最近では日本でリメイクされた『六本木クラス』(テレビ朝日、2022年)が放映されているらしい。先ほど1話だけ見始めたが、所々日本風にアレンジされていて、本家『梨泰院クラス』の記憶が上書きされそうだったので、忘れないうちに感想を書き残しておきたいと思う。

『梨泰院クラス』はプラトニック・ラブを描いているのか

 何よりも言及したいのはセロイとスアの関係性である。ものすごく乱暴に整理すると『梨泰院クラス』の主人公はパク・セロイ(パク・ソジュン)であり、ヒロイン役がオ・スア(クォン・ナラ)であるように見える(が、実はそうではない)。二人は結ばれることなく、セロイはチョ・イソ(キム・ダミ)と付き合うところで物語の幕は閉じる。スア派の俺からすれば、この落とし所は納得がいかない。

 物語が終盤に差し掛かった時、セロイは年齢差を理由にイソが好きだという気持ちに蓋をしていたことが明らかにされる。周囲の人間はセロイがイソを愛していることを気づいていたが、セロイだけが気づいていなかったことになっている。だが、その辺りから状況が飲み込めなくなった。より正確に言うならば、話の流れは理解しているつもりなのだが、その筋にどうも納得がいかないのである。『梨泰院クラス』はセロイとスアのプラトニック・ラブのストーリーなのかと思っていたが、「愛している」を連呼するイソにセロイは惹かれていくように話は展開していく。私の理解力が乏しいのか、セロイがスアを愛しているような演技をしているようには、どうにも見えなかった。

 そこで以下では、『梨泰院クラス』の展開に納得がいかないので、そのストーリーをロジカルに考察してみたいと思う。

悲劇としての『梨泰院クラス』

 『梨泰院クラス』は、いうなれば悲劇というジャンルに属している。悲劇とは、オイディプスの物語のように、首尾一貫していることが生むどうしようもない結果である。セロイというキャラクターは、「あんたは変わらない」とスアが言うように、首尾一貫していることを特徴としている。一方スアに対してセロイは「変わらない」と表するが、スア自身は「もっと良い女になったのでは」と言い、自身の変化を示唆している。

なぜセロイはスアと結ばれないのか

 セロイとスアが結ばれなかったのは、二人の性格——すなわち、セロイの首尾一貫した性格と、スアの誰の助けも借りずに一人で生きていこうとする性格——に原因があるのではないだろうか。二人が結ばれないという悲劇は、ロジカルに考察するならば、それが運命であり、宿命だとも言える。

 セロイがスアを好きになったのは、スアが大学受験の当日に受験票を忘れた際に、自力で会場まで走っていった姿に憧れたことがきっかけだった。スアの特徴を一言で言い表すならば、スアは〈自助努力〉の象徴である。

 実はここに一つの困難がある。セロイが付き合うことを選んだイソは、タンバムを大きく発展させるのに欠かせない存在であり、セロイにとって実質的な依存先になった。スアがセロイに「まだ私のこと好き?」「好きって言ってよ」と問い質しても、セロイがスアに対して「好きだ」と言えなくなったとき、セロイとイソとの関係性が変化したと同時に、セロイとスアの関係性が変化したことが示唆されていた。つまり、タンバム(株式会社IC)という事業が大きくなるにつれて、イソに対するセロイの依存度は大きくなった。同時に、スアは、自立の象徴である家を買うが、そのときにはもはや〈自助努力〉だけでは自分の人生に満足できないようになり、セロイの存在を明確に欲するようになる。だが、セロイが「好き」だったのは、自立して〈自助努力〉するスアであって、自分を欲して依存するスアではなかった。だから、スアがセロイの存在を欲するようになればなるほど、スアに対するセロイの感情は悲劇的なまでに冷めてゆくことになるのである。要するに、スアに対するセロイの「好き」という感情は、〈自助努力〉への憧憬に過ぎず、もとより恋愛感情ではなかったのである。

おわりに

 セロイとスアの関係性について、ここまでロジカルに読み解いてみたが、それでもセロイがイソと付き合って終わるシナリオに納得が行くかと言えば、感情としてはやはり納得がいかない。セロイの人生も過酷だが、スアもあまりに不憫すぎるのである。スアは物語の最後で自分の店を持った際に、若い料理人に一目惚れし、今後の新しい恋愛への希望を示唆しているが、これまでのストーリーからすればそれがむしろ第二の悲劇の始まりではないとは決して言い切れないのである。

 セロイとスアが結ばれないことによって禁忌が回避されたともいえる。母親から見放され、児童養護施設で育ったスアは、セロイの父親に支援されて生きてきた。セロイの血縁の父親は、スアにとっては精神的な父親でもある。だとすれば、セロイとスアは血縁関係になくとも、観念的には同じ父親の下で育った擬似的な兄妹である。だが、兄妹が婚姻関係で結ばれるというのは、近親姦を許容することになり、人倫に反する行為である。

 それでも、もし『梨泰院クラス』の第二シーズンがまた悲劇として描かれるならば、セロイとスアの関係性を再び——それがドロドロの不倫関係でもいいから——描いて欲しいものである。