まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヴィーコの「共通感覚(常識)」論

今回はヴィーコの「共通感覚(常識)」論というテーマで書きたいと思います。

目次

はじめに

ヴィーコは早熟な独学者として知られており、彼の死後、様々な歴史家に影響を与えたと言われています。

さて、表題にある「共通感覚(常識)」とは何でしょうか。この言葉はアリストテレスの『霊魂論』におけるコイネー・アイステーシスにその起源を求めることができると言われていますが、その後は時代とともに紆余曲折を経て、健全なる判断能力としての常識と見なされたり、共同体的な感覚と見なされたり、五感とは区別される第六の内的感官などとして捉え直されたりしてきました。これが日本語だと「共通感覚」(希:ϰοινὴ αἴσθησις(コイネー アイステーシス)、羅:sensus communis(センスス コムニス)、独:Gemeinsinn)や「常識」(英:common sense、独:gesunder Menschenverstand)などと翻訳されています*1。 

ヴィーコの「共通感覚(常識)」

ヴィーコ『学問の方法』によれば、「共通感覚(常識)」は「知識」や「誤謬」とは異なるものにその起源を持つと述べられています。

「知識が真理から、誤謬が虚偽から生まれるように、真らしいものから共通感覚(常識、sensus communis)は生まれる。確かに、真らしいものは、あたかも真理と虚偽の中間物(media)のようなものである。そうして、ほとんど一般に真理であり、極めて稀にしか虚偽にならない。したがって、青年たちには共通感覚(常識)が最大限教育されるべきであるから、我々の〈クリティカ〉によってそれが彼らにおいて窒息させられないように配慮されるべきである。」(ヴィーコ [1987]、26〜27頁)

(Vico [1709], p.20-21.)

ここで、「知識」と「誤謬」と「共通感覚(常識)」という三つのものが取り上げられていますね。これを整理すると、

  • 真理から知識は生まれる(真理→知識)。
  • 真らしいものから共通感覚(常識)は生まれる(真らしいもの→共通感覚(常識))。
  • 虚偽から誤謬は生まれる(虚偽→誤謬)。

となります。上のように示すと「真らしいものは、あたかも真理虚偽の中間物のようなものである」ということが視覚的に捉えやすいかと思います。

上の引用で〈クリティカ〉という言葉が出てきたので、上村先生の説明を引用しておきます。

ヴィーコにおいては、「クリティカ」とは、広い意味では、真偽の判断に関わる術を教える科目のことを言う。そして、それは、論拠の在り場所の発見に関わる術を教える科目として古来弁論家の要請にとって必須の科目と考えられてきた「トピカ」と対をなして用いられる。(上村 [2007]、61-62頁)

さらに上村によれば、ヴィーコは、アルノー&ニコル『ポール=ロワイヤルの論理学』に代表されるデカルト主義的教育実践においては、もっぱらクリティカのみが重視されており、トピカが軽視されている点を鑑みて、ヴィーコは次のように述べたとされます、「トピカは教授においてクリティカに先立たねばならない」と。

先の引用の中でヴィーコは〈クリティカ〉という批判術によって「共通感覚(常識)」が潰されることを懸念しています。というのも、「真らしいものは、あたかも真理と虚偽の中間物のようなものである。そうして、ほとんど一般に真理であり、極めて稀にしか虚偽にならない」のであるから、「真らしいもの」は、その蓋然性の高さゆえに実用的なのであって、したがって「真らしいものから生まれる共通感覚(常識)」は決して退けられるべきではないからです。

もちろんどんなときも「真理」だけを扱うことができればそれに越したことはないのですが、しかし例えば歴史学におけるように、決して「真理」にはたどり着けず「真らしいもの」で満足するしかないような領野というものが存在するのであって、その場合には「共通感覚(常識)」を磨いていくことが重要視されるのです。

文献

*1:「共通感覚」や「常識」についての考察は、中村 [2000]をみよ。なお中村によれば、ヴィーコは、ベーコンのトポス論を取り入れ、また「レトリックのなかでもとくに〈トポス論〉を重視し、その考え方の中心に据え、そのことによってキケロルネサンス人文主義につながるとともに、デカルトと真向から対立する立場に立ったのであった」(中村 [2007]、177頁)とされる。

ヘーゲルの「倫理」について

今回はヘーゲルの「倫理」について書きたいと思います。

目次

はじめに

前回の記事で毎日更新する意志を提示しましたが、実際に毎日書こうとすると、体力は持たないし書く内容も頭に浮かばないということで、結構キツイものがありました。

というわけで、今回は僕にとって書きやすいテーマを選びました。

ただし、書きやすいと言っても、ヘーゲルの「倫理」という、いまいちつかみどころのないものを扱います。

ヘーゲルの「倫理」

まず、ヘーゲルのいう「倫理」(Sittlichkeit)について見てみましょう。

§142

倫理とは、生ける善としての、自由の理念である。その生ける善は、自己意識のうちに自らの知識と意欲を持ち、その自己意識の行動を通じて自らの現実を持ち、この自己意識もまた、倫理的な存在において自らの即且対自的に存在する基礎と動きのある目的を持つ。ーーつまり倫理とは、現前する世界と成った自由の概念であり、自己意識の自然と成った自由の概念である。(ヘーゲル [2001]、3頁)

(Hegel [1833], S.210.)

翻訳は僕なりに改めましたが、一読してほとんど理解できるような内容ではないですね。 ちょっと敷衍してみましょう。

この節はヘーゲル『権利の哲学』の最後の部分まで続く膨大な「第三部 倫理」の最初の節に位置しています。この後に有名な「家族・市民社会・国家」という三章が展開されますが、その全体を端的にまとめると、この§.142.で述べられているような内容になるはずです。ヘーゲルはすでに導入部で自由を根本とする権利(Recht)について述べておりますが、そうであるがゆえに『権利の哲学』第三部では「自由の理念」であるところの「倫理」が主要テーマとして展開されるのです。

ここで同じパラグラフのうちに「自由の理念(Idee)」と「自由の概念(Begriff)」という二つの自由が出てきますが、両者の微妙な言い方の違いに着目していただければわかるように、「理念」と「概念」とは位置付けが異なっています。「理念」と比べると「概念」の方は出発点といいますか原初的な点に位置付けられます。 なので、「自由の理念」である「倫理」とは、「自由の概念」(という原初的なもの)が「現前する世界と成り、自己意識の自然と成った」ところのものである、と言えるでしょう。

 ちなみにさしあたり「倫理」と訳したこのSittlichkeitですが、Sittlichkeitについて永井先生は次のように説明しています。

ヘーゲルが意味を区別して用語として使っている "Sittlichkeit" と "Moralität" は、いずれも、ギリシャ語の ἦθος, ἤθεα*1, ラテン語mos, mores と同じく、語源的には、風俗・習慣、即ち、一定の規範性を持つ慣わし・仕来り・習俗などを意味している。習俗の持つ規範性は、その世界に生きる人々にとって自明であり、改めて意識されない。そのかぎりで、通常、人々はその規範性に対して格別の違和感や緊張感をいだかない。健康な肉体が取り立てて意識されることがないように。したがって ἦθος, mos, Sittlichkeit は、「道徳」や「倫理」などといった日本語の訳語の持つ積極的な「当為」のニュアンスを、元来は持たない。それらの語から派生した ἠθικός〔ethikos〕, moralia, Moralität, Sittlichkeit が、のちに「当為」を意味するようになるのである。(永井 [1992]、200〜201頁)

引用した後に気づいたのですが、ここで永井先生は後半でSittlickeitを二回使っているのですが、どちらか誤植なのでしょうか。「当為」のニュアンスを含むのは「道徳〔Moralität〕」かなと考えまして、最後のSittlichkeitに横線を引いておきました。

ヘーゲルのいう「倫理」(Sittlichkeit)が「当為」のニュアンスを含むのか否かというのは、一つ論点になると思います。結論から言うと、「当為」のニュアンスはヘーゲルの場合は「倫理」ではなく「道徳」の方に含まれています。それが読み取れるのは次の部分です。

§155

したがって普遍的意志と特殊的意志とのこの同一性においては、義務権利とは一つに帰するのであって、人間は倫理的なもの(das Sittliche)を通して、義務をもつかぎりにおいて権利をもち、権利をもつかぎりにおいて義務をもつ。抽象的権利においては、私が権利をもち、他者はこれに対する義務をもつ。ーー道徳的なもの(Moralischen)においては、私自身の知識と意欲の権利と私の福祉の権利は、もろもろの義務とただ合致すべきであるにすぎず、客観的であるべきであるにすぎない。(ヘーゲル [2001]、29〜30頁) 

(Hegel [1833], S.220.)

最後の部分を見ていただくと分かる通り、「道徳的なもの」においては、権利と義務との合一がまだ「当為」にとどまっているに過ぎないのであって、「倫理的なもの」のように現実的にそうであるところまでには到達していないと言えます。この点でも、「第三部 倫理」の前に「第二部 道徳」が位置付けられていることには一定の意味があると考えられます。 

文献

*1:エートス(ἦθος〔ethos〕, ἤθεα〔ethea〕)は、もともと「いつもの場所」(ἤθεα ἵππων)を意味した古代ギリシア語であり、習慣の意味に転じた。

不満について

今回は、不満について書きたいと思います。

目次

 

はじめに

最近あるサイトで、内容が薄くなってもブログは毎日更新した方がいいという趣旨の内容を読んだので、しばらく毎日更新してみようと思います。

とはいえ、研究ノートとなると、さすがに毎日更新するのはかなり難しいです。文献も常に持ち歩くわけにいかないので、先行研究もなかなか参照しづらい。

じゃあどうすれば良いのかというと、文献にこだわらずに自らの思考をそのまま書けば良いという結論に至りました。

 

不満と欲求

そこで今回選んだテーマは「不満」です。なぜ「不満」について考えるのかというと、私自身が不満な状態だからです。不満とは、欲求が満たされていないことだと言えます。また不満と欲求は非常に似ていますが、似て非なるものです。不満とは、欲求が満たされない時期が一定程度持続し、我慢し難い状態になった際に自覚されるものです。したがって我慢を継続することができるような理由さえあれば、不満が顕在化することを抑制することができると考えられます。

「不満について」というタイトルのものがあるのかは知りませんが、哲学史上で参考になりそうな考え方としては、エピクロスの「アタラクシア(心の平安)」が想起されます。エピクロスの「アタラクシア」は、それ自体で満ち足りた状態のことです。

我々のいわゆる不満というものは、主に社会生活を営む中で生まれるように思います。社会生活において営まれる経済活動は、各々が商品を社会的に生産するという側面と、これによって各々の欲求を満たすという側面を持っています。これを言い換えると、欲求の不満足を満たすものが経済活動だということになります。

しかし、人々の持つ多様な欲求は、予め決まっているわけではなく、新たに作り出されていくものです。「新商品」の登場によって、人々の新しい欲求が創出され刺激されます。これは通常「需要の創出」などと呼ばれていますが、そのような呼び方は重要ではありません。むしろ人々の欲求が新しく作り出されるという事実に目を向けると、ここに不満をもたらす原因の一つが認められます。言ってみれば、不満は外部によって持ち込まれるのです。

 

不満の必然性

外部による不満の持ち込みは極めて避けがたく、ある意味で必然的です。というのも、我々が社会生活を営む以上は、広告という形をとって外部から持ち込まれる不満の流入を、予め阻止することはできないからです。街に出れば看板広告や電車内の広告が目につきます。また家の中に居たところで広告はテレビやWeb経由で常に入ってきます。Web広告については、目に入っているにも関わらずほとんど存在しないかのようにスルーする術を身につけたとしても、最近では動画や画像といった巧妙な形で、視覚や聴覚を刺激して、人がつい目を留めてしまうものが増えています。もちろん人間が何かに興味関心を持ち、学習し、自身の能力を具体的に強化していくことは、人間の成長において欠かせないプロセスです。しかしながら、広告による興味関心の創出は、必ずしも強化学習に繋がるものではなく、消費への意欲と欲求を創出するに過ぎないものも多いかもしれないのです。

 

不満の不可逆性

新たな欲求によってもたらされる不満の顕在化は、そこにある種の欲求が存在するということの発見です。例えば、会社の中で出世したいとか、新しいゲームが欲しいとか、意中の相手を自分のものにしたいとか、服でも家でも自分なりにコーディネートしたいとか、このようないかなる欲求であれ、一度不満を感じたということは、その対象における満足の度合いにつながる質の段階を理解し、認識したということです。しかも、その欲求を一度でも認識してしまったら、記憶喪失にでもならない限りは後戻りできないような性質のものです。この点で、不満の創出は、不可逆的な流れであると言えそうです。

不満についてはまだ書き足りず不満ですが、ここで一旦筆を置くことにします。

いわゆる「自由意志」論(1)

目次

はじめに

 今回はいわゆる「自由意志」論について書きたいと思います。前回の記事でヘーゲルの意志論についてちょろっと書きましたが、「自由意志」の概念史についてもう少し遡ってみようと思います。

 ちなみに余談ですが、先日トーマス・ピンクの『自由意志』(岩波書店)を買いました。この本は分析哲学的に叙述が進められていくので、内容を辿っていくことができ、非常に好感を持てます。第四章以降ではホッブズへの言及が非常に多くなっていますが、ピンクのホッブズ解釈も面白いと思います。

ピンクは「自由意志」について次のように述べています。

「自由意志の問題の長い歴史は、その名前のうちに表れている。自由意志という言葉は、日常生活の中で、自分の行為に対するコントロール、つまり、行為が私たち次第だということについて話す場合に、普段はあまり用いられない言葉である。それにもかかわらず、この二千年以上もの間、自身の行為を私たちが本当にコントロールできるかどうかについての問題を議論するために、西洋の哲学者たちは、まさにこうした言葉を使用してきたのだ。彼らが自由意志という言葉を選んだということは、私たちが行為をコントロールできるかどうかがなぜ重要なのか、そして、行為する仕方をコントロールすることが何を意味するかについて教えてくれる。」(ピンク [2017]、3頁)

「自由意志」は哲学史上の重大な探究テーマでした。ただしピンクは「自由意志の問題の長い歴史」それ自体にはほとんど言及しておらず、極めて近代的な意味での「自由意志」について論じています。

近代よりも前の「自由意志」を扱っているものとしては、アーレント『精神の生活』「第二部 意志論」が挙げられます。

 

いわゆる「自由意志」論

「自由意志」*1とは何か。これに答えるのは容易ではないです。とはいえ、「自由意志」を論ずるにあたって、今後も常に参照されるであろう文献があります。それはアウグスティヌスのいわゆる『自由意志論』(De libero arbitrio)という著作です*2。ここで「いわゆる」と付けたのは、これが日本語で『自由意志論』と訳されているからですが、実際には「意志の自由な選択」(Liberum arbitrium voluntatis)すなわち「選択意志」として理解する方が適切かもしれません。この本はエヴォディウスとアウグスティヌスの対話篇という形式をとっており、対話であるがゆえに、その内容は弁証法的に展開されます。

アーレント『精神の生活』の中には「アウグスティヌス意志の最初の哲学者」(アーレント [1994]、102頁)という項目があるのですが、注意しなければならないのは『精神の生活』が草稿であり、この項目がアーレントではなく、便宜的に編者によって付加されたにすぎないかもしれないという点です。アーレントが、アリストテレス使徒パウロエピクテトスらの意志論を検討していることからも分かる通り、アウグスティヌスを「意志の最初の哲学」と呼ぶことには文献学的に丹念な裏付けが必要だと思うのです。

少なくともアーレントアリストテレスのプロアイレシス(proairesis)を選択能力として読み取ったようですが、これを直ちに、自己決定するものとしての自由意志と結びつけることまでしなかった点で、非常に注意深いです。

ラテン語では、アリストテレスの選択能力は、リベルム・アルビトリウム(liberum arbitrium)である。意志に関する中世の議論においてリベルム・アルビトリウムにでくわす場合には、我々は、何か新しいことを始める自発的な力や、それ自身の本性によって規定され自らの法則に従うような自律的な能力を扱うわけではない。」(アーレント [1994]、74頁)

 (続く)

 

文献

*1:ドイツ語テクスト上の「自由意志」(liberum arbitrium)の変遷については、丑田 [1992]を参照。丑田によれば、「ドイツ語で「自由意志」の概念を本格的に考察したのは、ノートカー(ca. 950-1022)が最初である」(丑田 [1992]、82頁)が、ノートカー自身はまさにアウグスティヌス詩篇注解に基づいて、「アウグスティヌス的な人間の(自由)意志と恩寵との関係を表す考え」(同前、87頁)を述べたとされる。

*2:この著作についてのアウグスティヌス自身のコメントは以下の通り。「まだローマでグズグズしていた時、私たちは討論によって、悪がどこから来るのか探究しようと望んだ。この問題について私たちが髪の権威に服して信じている事柄を、私たちの理解するところへも、神助のもと私たちの論証しうる限りにおいて、かなうことなら理性による熟慮と論究とが至らしめるようにと、私たちは討論した。そして理性によって入念に議論して、悪は正に意志の自由決定力(liberum arbitrium voluntatis)からだけ生じるということが私たちの間で確定したゆえ、その討論の生み出した三巻はDe libero arbitrioと呼ばれている。」(アウグスティヌス『再考録』より、訳は松﨑 [1991]、18頁)。

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論

目次

はじめに

今回は、ダニエル・カーネマンヘーゲルの意志・思考論、およびこれらの接合を試みたいと思います。

日本で普通に研究していたら通常はカーネマンとヘーゲル哲学とは接合されないはずです。僕もこのような内容を大学の紀要などに載せようとは思いませんし、もしそんなことをすれば他の研究者から叩かれることは目に見えているからです。なので、あくまでこのような異分野との接合はブログ記事のお遊びとしてお読みください*1

 

カーネマンの意志・思考論の2類型(システム1・システム2)

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』では、なぜ人はしばしば合理的な選択をしないのかが分析されており、この本に登場する二つの意思決定プロセスは有名です。

カーネマンによれば、人の意志決定プロセスには「速い思考」と「遅い思考」の二つがあります。カーネマンは「速い思考」をシステム1と呼び、「遅い思考」をシステム2と呼んでいます。

「速い思考と遅い思考のちがいは、過去二五年にわたって多くの心理学者が研究してきた。私はこれをシステム1とシステム2という二つの主体になぞらえて説明する。速い思考を行うのがシステム1、遅い思考がシステム2である。そして直感的思考と熟慮熟考の特徴を、あなたの中にいる二人の人物の特徴や傾向のように扱うつもりだ。最近の研究成果によれば、経験から学んだことよりも直感的なシステム1のほうが影響力は強い。つまり多くの選択や判断の背後にあるのは、システム1だということである。そこで本書では、システム1の仕組みおよびシステム1と2の相互作用を論じることに大半のページを割く。」(カーネマン [2014]、上31頁)

「速い思考」であるシステム1は、直感に基づく意思決定であり、これは感情を伴っています。それゆえ、システム1による判断にはバイアス(偏向)がかかっており、投資の観点から見ると、システム1は合理的に正しい判断を下さないことがある点をカーネマンは指摘しています。カーネマンの『ファスト&スロー』はこのシステム1の分析に多くが割り当てられています。

カーネマンのいうこのシステム1は、ヘーゲル意志論における選択意志と非常に近い性質を持っているように見えます。そこで次にヘーゲルの意志論を見ていきましょう。

 

ヘーゲルの意志・思考論の3類型(自然意志・選択意志・自由意志)

ヘーゲルは『法の哲学』の中で意志を自然意志、選択意志、自由意志の三つに分けています*2

ざっくりいうと、自然意志とは自然な欲求に左右される意志であり、選択意志とは感情に左右される意志であり、自由意志とは自らの思考に基づく意志です。ヘーゲルによれば、自然意志と選択意志は本当の意味では自由な意志ではなく、最も重要視されるのは自らの思考に基づく自由意志です。なぜなら権利の基本はこの自由意志にこそあるからです*3

たとえば、ヘーゲルによれば、民主主義的な選挙とは選択意志に基づくものであるがゆえに、民主主義では政治が人々の感情によって左右されていると捉えることができます。この感情による意思決定プロセスは、カーネマンの言うシステム1に該当します。システム1という速い思考は、我々の日常生活に欠かせないものですが、その結果が合理的であるということを保証するわけではありません。むしろ投資理論においては不合理な結果をもたらすのがシステム1だといえます。民主主義的な選挙がシステム1に基づく意志決定プロセスだということは、実は民主政治が必ずしも合理的であるとは言い切れないことを意味します。

<選択意志=システム1>に基づく意志決定は、日常生活のあらゆる場面で行われていると同時に、マーケティングはこの人々の<選択意志=システム1>の分析に基づいて行われています*4。例えば、A/Bテストのように、二つの異なるデザインを比較し、これらの売上への影響を統計的に分析して、より効果的なマーケティングを行うということは、別の側面から述べるならば、<選択意志=システム1>がマーケティングに利用されているということです。

 

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論の違い

カーネマンとヘーゲルの意志・思考論では、分類の仕方が異なっていることがわかります。

まずカーネマンは「速い思考」と「遅い思考」という思考の速度に着目しました。これは、ヘーゲルには見られない点です。ヘーゲルの場合は思考の速度について触れられていませんが、ヘーゲルのいう自然意志と選択意志の方を「早い思考」とみなし、ヘーゲルのいう自由意志を「遅い思考」とみなすことはできるかもしれません。

またカーネマンの意志論を単純にヘーゲルの意志論と接合できない点もあります。カーネマンの意志論は基本的に投資理論における合理性の観点から述べられたものであり、ヘーゲルの考える合理性とは異なっているということができます。もっというと、投資理論は期待値という数値的に還元可能な指標によって分析されていますが、数値に還元できるということは場合によっては、同じ事象でもKPIのようにどこに重点を置くかによって結果の良し悪しの判断が変わってきてしまう恐れがあります。

カーネマンは意志を二つのシステムに区別しましたが、ヘーゲルの場合は三つに区別されています。ヘーゲルの意志の類型の方がカーネマンのそれよりも区別の段階が一つ多い分、質的に多様だと言えるかもしれません。カーネマンの意志論では、自然意志と選択意志との判断が区別されていないように思われるので、ここで逆にヘーゲルの意志論を持ち込んでみるのも良いかもしれません。

 

文献

*1:カーネマンの二つの意思決定プロセスは、おそらく哲学分野にとっても興味深い内容を含んでおり、最近では植原 [2017]の中で取り上げられているので参照されたい。植原によれば、哲学と科学とをひとつながりのものとして扱おうとする運動のことを自然主義あるいは哲学的自然主義と呼ぶようである。「自然主義に立つ哲学者は、哲学を科学と緊密に結びつけようとする。この世界は自然的世界であり、そこには自然を超えるものは何も含まれていないし、人間も、したがって人間の心もまた、それを構成している部分にほかならない。だとすれば、哲学が人間を含むこの世界を理解しようとする試みであるなら、どの側面についても科学の方法を用いるべきだろう。なぜなら、世界について現在われわれが手にしている最良の認識は科学によってもたらされており、その意味で自然を探究するうえで最も信頼できるのは科学の方法だからであるーー。」(植原 [2017]、1頁)。この記事ではヘーゲルの哲学と他分野の科学的知見の接合を試みるが、これはある種の哲学的自然主義の試みと言えるかもしれない。ただし、この場合「自然主義」の「自然」はヘーゲル的な意味ではない。ヘーゲル的な意味での「自然」も慣習化された「第二の自然」も、哲学的自然主義の「自然」とは区別されるべきである。ヘーゲルの「自然」については中島[2015]、163〜164頁を参照されたい。ヘーゲル自然主義については大河内 [2017]を参照されたい。ちなみにマクダウェルの「第二の自然の自然主義」(詳しくは川瀬 [2018]を参照)は、ヘーゲルの「第二の自然」と絡めて理解する必要はないように思われるが、その代わりにマクダウェルのそれとコモンセンス(常識・共通感覚)とを絡めて議論する方が生産的かもしれない。

*2:ヘーゲルの意志論について詳しくは田中 [1989]を参照。

*3:この点、詳しくは荒川 [2017]を参照。

*4:マーケティングとシステム1の関係については、友野典男が『ファスト&スロー』に付された「解説」のなかで次のように触れている。「人々の欲望を作り出し、商品を売ろうとするマーケティングの力も現代の資本主義の特徴の一つである。昔からしばしば用いられているマーケティング手法は、コマーシャルやアンカリング効果を利用した値付けから、陳列棚の配置法、限定品、お買い得、店内のBGMに至るまで、消費者のシステム1を最大限に刺激して、利用することにある。資本主義はまさに認知的錯覚の上に成り立っているのである。資本主義は幻想の上に成立するという主張は目新しいものではないが、この主張に科学的な根拠を与えたと言うことができよう。」(カーネマン [2014]、下341頁)。

ヘーゲル体系における完全性?

目次

はじめに

 今月初めてのブログ更新です。最近ブログの更新が滞っていたのは、ヘーゲルのテクストと真面目に格闘していたからです。真面目に格闘していたと言っても、正直頭が疲れるだけで全然前に進んでいないのですが、今回は思い切って書き下ろしの状態でヘーゲル哲学について書いてみます。そもそもこのブログはそういうやり方を取っているのだし。

 

ヘーゲル体系における完全性?

 さて、今回「ヘーゲル体系における完全性?」という少し妙なタイトルを付けましたが、このテーマで念頭に置いているのは、加藤先生によるヘーゲルは自身の体系を完成させなかったという主張です。

ヘーゲルには体系を完成する可能性がなかった。自己の体系についての、さまざまなイメージを思いつくままに語り続けていた。すべての学問を有機的に体系化したはずの「哲学的百科事典」の表面的な整合性を作ることができないばかりか、ヘーゲルには、自然科学の素材の増大の行きつく先を予見することなどできるはずがなかった。たとえヘーゲルが体系の記述を完成したとしても、それは根源一者が自己を対立のなかで変容させて、そこから統一を回復するという物語を、巧みに描き出すという意味にしかならない。それはせいぜい「上出来の」ファンタジーではあろう。」(加藤 [2010]、28頁)

そもそもヘーゲルの哲学が体系的に記述されているということが、ただちに完成されていることを、あるいはその完全性を意味するものではないにも関わらず、従来のヘーゲル解釈者が完成された体系ないしは体系の完全性というヘーゲル像を要求してきたことそれ自体が不当であると私は考えます。なぜなら、以下で見るようにヘーゲル自身は「どんな学問も知識も完全ではありえない」と述べているからです。

 まず「学問の体系」として叙述し続けたヘーゲルが「自己の体系についての、さまざまなイメージを思いつくままに語り続けていた」とまで言えるかどうかは疑問の余地があります。というのも、ヘーゲルは「学問とは、いやしくも学問であるならば、決して私見や主観的見解を基盤とするものでもない」(ヘーゲル [2001]、396頁)と述べているのであって、もしヘーゲルが「イメージを思いつくままに語り続けていた」のだとすれば、その行いは自身の学問観に反するからです。さもなくば、いかにして解釈者がヘーゲルの完成された体系という観念を抱くに至ったのかが明らかにされる必要があるのかもしれません。

 加藤先生が言うような「ヘーゲルが自身の体系を完成させなかった」という主張がある種のインパクトを持つのは、従来の解釈者が総じてヘーゲル体系のうちに哲学の完成を見てきたという認識を前提としているからです*1

 ここで興味深いと思われるのは、「何故従来のヘーゲル解釈者がヘーゲルの著作のうちに完成された体系を見出(そうと)してきたのか」という問題と、「そもそもヘーゲル自身が完成された体系というものを主張しているのか」という問題です。これらの問題に答えるのは簡単ではありませんが、ここでは後者の問題に多少なりとも答えてみたいと思います。

 ここで参考になるのは、ヘーゲルによる「完全性(Vollständigkeit)」の説明です。ヘーゲル法哲学講義録を元に弟子のガンスが追加した「補遺(Zusatz)」によれば、法典の完全性と関連して、ヘーゲル自身が哲学や学問体系の完全性について次のように述べています。

§216補遺「完全性とは、ある圏域に属するいっさいの個々のものがすっかり集められていることである。そしてこの意味ではどんな学問も知識も完全ではありえない。ところが、哲学もしくは何かある学問が完全でない、と人々が言うときには、彼らの考えていることは明らかに、「それが完全なものにされてしまうまでわれわれは待たなくてはならない、と言うのも最善のものがまだ見つかるかもしれないから」ということなのである。しかしこういう態度ではなにひとつ前進させられはしないのであって、幾何学もそうであるし、哲学もそうである。幾何学はそれ自身まとまった体系のように見えるが、それでもなおそこには新しいもろもろの規定が出てきうるし、哲学もなるほど普遍的理念と取り組むものではあるが、それでもやはりどんどん専門化されうるからである。」(ヘーゲル[2001]、155〜156頁)

(Hegel [1833], S.280-281.)

 ヘーゲルはいわば「梗概」として自らの哲学的な著作をいくつか刊行しましたが、その際に自身の哲学や学問体系として叙述したものは、決して「完全性」を伴うものではなく、それゆえそれが完成されたものではないことを自覚していたのであり、もっと言えば、完全無欠で完成された体系というものはあり得ないということを認識していたと言えるでしょう。というのも、完全なものを待っていてはいつまでも前進しないからです。ここでヘーゲルはある意味実践的であって、今回のブログ記事もヘーゲルの研究を完璧にしてから書こうと思ったらいつまでも記事をアップできないという認識から生まれたものです。

 以上のような認識からすると、ヘーゲル研究において重要なスタンスは、晦渋なヘーゲルのテクストと格闘しつつヘーゲルの著作をピンからキリまで調べ上げた上で完璧なヘーゲル理解を示そうとするよりは、むしろ多少荒削りでもヘーゲル哲学の輪郭を粗描していく方がヘーゲル的だと言えるのかもしれません。

 

文献

*1:浅学菲才のため、いつ頃から解釈者がヘーゲル体系のうちにその完成を認めてきたのかは知らない。が、少なくともフォイエルバッハの著作(1842〜1843年)にはすでに、ヘーゲルによって哲学が完成された旨の文章が散見される。「近世哲学の完成は、ヘーゲル哲学である。」(フォイエルバッハ [1967]、42頁)。「スピノザは現代の思弁哲学の本来の創始者であり、シェリングはその再興者、ヘーゲルはその完成者である。」(同前、97頁)。厳密にいえば、哲学史上の、あるいはドイツ古典哲学の完成者としてのヘーゲル体系と、ヘーゲル体系それ自体の完全性(あるいは完成度)とは区別されるべきかと思われるが、この点についての考察は別稿に委ねたい。

ヘーゲル『精神の現象学』「序言」における《哲学》と《科学》

目次

はじめに

今回は、ヘーゲルにおける《哲学》と《科学》について書きたいと思います。

前々回、私は「ホッブズの「哲学=科学」論」という記事を書きましたが、この記事以降も私は「哲学」と「科学」の概念史に興味関心を持ち続けており、科学哲学などの関連書籍を読んでいます。

そんな中、今回の記事は、ヘーゲルの『精神の現象学』(1807年)を読み直したらどうなるのかという試みです。

「哲学が科学に高まる」とはどういうことなのか

 科学哲学史を学びながらヘーゲルを読むと、『精神の現象学』の「序言(Vorrede)」でヘーゲルが「哲学が科学に高まる時がきている」という言い方をしている点が、私には妙に引っかかりました。

真理が存在する真なる形態は、真理の科学的な体系を措いてほかにはありえない。哲学〔愛智Philosophie〕が科学〔学問Wissenschaft〕の形式に一層近づくために、──つまり、知識〔智〕へのというその名を捨てることができ、現実的な知識であろうとする目標に一層近づくために、──努力を人々と分かとうとするのが、私の企てたことである。知識ヴィッセンとは科学ヴィッセンシャフトである、という内的必然性は、知識の本性のうちにある。そしてこの点についての満足な説明は、哲学そのものの叙述以外にはない。しかし、外的必然性にしても、個人や個人的機縁やの偶然性を別にして、一般的な仕方で考えられる限り、内的必然性と同じものである。つまり、時代が、この内的必然性の契機の現存する姿を表象する形から言えば、同じである。それゆえ、哲学が科学へと高まる時がきていることを示すことこそ、このような目的をもった試みを是認するただ一つの真の途であろう。というのは、時代はこの目的の必然性を述べるであろう、否、同時にこの目的を実現するであろうからである。

(Hegel [1807]:VI-VII、訳20〜21頁)

この箇所をざっくり理解するとこうなるでしょうか。すなわち、哲学は(他の諸科学と異なって)まだ科学の形式を備えていない(なぜなら知識が体系化されていないから)。「知識への愛」だけでは、知識は単なる寄せ集めに過ぎない。そうではなく、知識が体系化されたものとしての哲学(科学としての哲学)こそが「現実的な知識」である。「知識への愛」から「現実的な知識」への転化という目的が果たされるためには、哲学そのものの叙述(すなわち結果だけではなく過程も含めての叙述)が遂行されなければならない。

さて、ヘーゲルのテクストに内在して読もうとしてしまうと、ついつい視野が直近のドイツ哲学の内部に留まってしまいがちです*1。なので、ここでは科学哲学の本を参照してみましょう。アレックス・ローゼンバーグは「アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた」といいます。

哲学は、アリストテレスいわく、驚きから始まる。そして、アリストテレスにとって哲学は科学を意味していた。アリストテレスは正かった。科学は、こうした驚きを鎮めるために説明を求めるのである。

(ローゼンバーグ [2011]、45頁)

ここで確認しておきたいのは、アリストテレス以降、常にすでに「哲学は科学を意味していた」ということです*2。「驚き」とはタウマゼインのことだと思いますが、今回はヘーゲルに焦点を絞りたいので、アリストテレスの〈哲学〉と〈科学〉の内容についてはここでは深く追いません。

さて、ヘーゲルが「哲学が科学へと高まる時がきている」ということができるためには、哲学と科学とが異なることが前提とされます。しかしながら、もともと哲学とは科学のことなのですから、「哲学が科学へと高まること」それ自体が、普通に考えるとそもそもおかしいわけです。

「哲学が科学に高まる時がきている」というヘーゲルの先の論法*3が成り立つのは、ヘーゲルが「智(ソフィア、σοφία)への愛(フィレイン、φιλεῖν)」としての〈哲学〉(古典的な意味でのPhilosophie、ピロソピアー、φιλοσοφία)を捨てて、「現実的な知識」としての《哲学》を目指すからです*4。そうすると、古典的な意味での〈哲学〉と〈科学〉の同一性とは違う意味での《哲学》と《科学》の同一性がヘーゲル哲学において成り立つことになります。否、もっと言うと、『精神の現象学』においては〈哲学〉の《科学》への移行がなされており、かくして〈哲学〉はもはや〈哲学〉ではなくて、《科学》としての《哲学》となるのです。(ここで便宜上、古典的な意味での哲学と科学には〈〉を付け、ヘーゲル的な意味でのそれらには《》を付けて区別しました。)

「序言(Vorrede)」は哲学的著作にとって余計なものなのか

ヘーゲルは自らの見解がいわば常識に反して受け取られることを十分に理解していました*5。そこで次のパラグラフを見ると、ヘーゲルの見解が、通常の考え方とは異なるがゆえに、ヘーゲルは「序言」を書く必要があったことが解ります。

真理の真の姿が科学性〔学問性〕に置かれるとき、──同じことであるが、真理は概念においてのみその現実存在のエレメントを持つと主張されるとき、──私は、この考えが、現代の人々の確信のなかに拡まっているとともに、極めて僭越なものとなっている一つの考え、およびその帰結と矛盾して相入れないように見えるということはよくわかっている。それゆえ、この矛盾について説明するのは、余計なこととは思われない。たとい、いまここ〔序言〕においては、この説明も、自らが反対するものと同じように一つの断言でしかありえないとしても、余計なこととは思われない。

(Hegel [1807]:VII、訳21頁)

ここの部分は、「序言」冒頭の「哲学的著作の場合には余計であるだけでなく、事柄の性質から言って適当ではなく、目的に反するようにさえ思われる」ところの一般通念としての「序言」に対する一つの解答になっています。つまり、「序言」は必ずしも余計なものではない、というのがヘーゲルなりの解答です。

次回以降で、ヘーゲルがかような常識に反して「序言」を付し、いかなる《哲学》《科学》論を展開したのかを見ていきたいと思います。(多分続く)

文献

*1:神山は「「哲学」が「学問」だとするのは、ヘーゲルの創見によるものではない」(神山 [2015]、29頁)と正しく述べているが、そこで参照されるのは(フィヒテ、カント、シェリングという)あくまで直近のドイツ哲学にすぎない。しかしながら、「哲学」が「学問」(ここでドイツ語のWissenschaftに英語のscienceの文脈を読み込むならば)だとするのを、十八世紀のドイツ哲学よりもっと以前に、すでにホッブズがずばり述べていることについては、拙稿「ホッブズの「哲学=科学」論」で論じた。

*2:ここで、おそらく「科学(science)」とはギリシャ語のエピステーメーέπιστήμη)のことであろうから、「哲学とはエピステーメーを意味していた」と言えるだろう。エピステーメーとは、ドクサ(臆見)ではない学問的知識のことであり、プラトンにとって真実在を認識する能力であった。ヘーゲルにおいても「科学」(独:Wissenschaft, 英:science, 希:έπιστήμη)はいわば「真実在」に関わる問題である("Die wahre Gestalt, in welther die Wahrheit existirt,…", Hegel [1807], S.VI.)。

*3:アーレントはこの箇所のPhilosophieを古典的な文脈の中で解釈している。「「哲学が科学へと高まる時がきた」と宣言し、哲 - 学、智への端的な愛〔philo-sophy〕を智(sophia)へと変えようと願ったのは、ヘーゲルである。このようにして、彼は自分自身に「思考することは活動なのだ」と説得することに成功した。しかし、活動こそ、この孤独な営みが決してなし得ないものである。」(アーレント [1994]、107頁)。「思考」と「活動」の関係については今はさておき(これはこれで興味深いが)、アーレントの解釈で興味深いのは、科学に高まる以前のPhilosophieを「愛智」として理解するだけではなく、「現実的な知識」にも「智(sophia)」を読み込んでいる点である。

*4:西周の「哲学」という翻訳語についての考察は、石井 [2018]を見よ。西周は当初「希哲学」という翻訳語を用いた(1861〜1870年頃)が、後に「希」を削ぎ落として「哲学」とした(1870〜1874年頃)。西が、ほかに見られるような儒学的理解に陥りがちな翻訳語(「理学」)を採用せず、これにより儒学的伝統を断ち切り、さらにヘーゲル以後の「哲学」観(「智への愛」ではないという)を咀嚼・反映させた結果、当初の「希哲学」から「希(philein)」を削ぎ落としたのだとすれば、そこには一定の合理性が認められるのである。

*5:アーレントがいみじくも指摘しているように、『精神の現象学』「序言」は、ヘーゲルによる「常識」(コモンセンス)に対する挑戦とみなすことができる。「私がヘーゲルについて述べたのは、彼の仕事の大きな部分を常識に対する絶えざる挑戦として読むことができるからである。とりわけ、『精神の現象学』の序言はそうである。」(アーレント [1994]、105頁)。「ヘーゲルが我々の脈絡で重要なのは、彼が、たぶん、他のどの哲学者よりも哲学と常識の間の内輪争いのことを公言したという事実のためだからであるが、これは彼が、天性、歴史家でありかつ哲学者の才を等しく与えられていたということによるのである。」(同前)。