まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

手と顔

 手の親指と人差し指の付け根の辺りで皮膚が剥けた。一体何をしていたのかというと、私は大きなバルーン人形に空気を入れていただけである。空気入れのハンドルに対して、親指と人差し指とのあいだの付け根の部分をフックにしてポンプを押し出す際に接触部分に強い摩擦力が発生し、最も力学的エネルギーがかかった箇所の皮膚の部分がめくれてしまったのだ。その結果、皮膚がめくれた部分に水をかけると、水が皮膚にじかに触れて痛い。不幸中の幸いとでもいうべきか、めくれたのは左手の親指の付け根の一箇所だけであった。右手は無事である。そこで右手だけで顔面を洗うことにした。そこでわかったことがある。右手で顔の右側を洗うことは容易である。なぜなら、右手の形が顔の右側とフィットするからである。では右手で顔の左側を洗うとどうなるか。後者の場合では手と顔とのフィット感がまるでないのである。ということは、元来、右手は顔の右側に対応するように、左手は顔の左側に対応するようにDNAで設計されているのではないか、との仮説が浮かんでくる。手を形づくるのはアポトーシス、すなわち細胞の設計された死滅である。だがそれ以上に興味深いのは、顔の大きさと手の大きさに相関関係がありそうだという点である。しかし、どうしてそんなに都合よく顔と手という身体の離れた部位が互いにフィットするのか不思議である。発生学的に考えると、胚の状態では顔と手は同一の部位であったのではなかろうか。そして両者はアポトーシスを通じて同一の部位が顔と手へと離れていったのではないだろうか。この仮説に裏付けがあるか私は知らないし調べてもいない。