まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

appleがジョブズのappleでなくなる時

先日appleが秘密主義をやめるというニュースが出ました。

japan.cnet.com

ジョブズのいた頃のappleは秘密裏にiPhoneなどの自社製品を開発し、発売直前まで徹底した情報統制を敷いていたことで知られています。うっかり情報を出してしまいかねない社員にとっては厳しい職場だったと予想されますが、ビジネスの観点からすると秘密主義は利益を出すために重要な要因となりえます。

iphone-mania.jp

インターネット自体はオープン化と親和性が高いのですが、オープンにすることで力を得るのは個人であって、会社ではないような気がします。appleの秘密主義は、市場で他に追随を許さない洗練された製品を世に出すために絶大な効果を発揮しました。そしてスティーブ・ジョブズの亡き今、appleは秘密主義をやめる方針に変えるそうです。私から見れば、appleの秘密主義は、それこそがappleの魅力でもあったのであり、秘密主義をやめるのであれば、もはやappleジョブズappleであることをやめるのだと思います。

 

とはいえiPhone6のデザインからして、かつての美的センスを失ったように見えますからねえ。なんだかなぁー。

ビットコインについて

先ほど本屋さんで『ブロックチェーン・レヴォリューション』という本を買ってきました。なかなか良さそうです。 

どうやらビットコインというのは仮想通貨の一つに過ぎないようですね。前の記事のタイトルも「ビットコインを使ってみる(?)」ではなく「仮想通貨を使ってみる(?)」の方が良さそうですが、ビットコインという名前が持つインパクトがすごいので、そのままにしておきます。ビットコインって名前はもうそれだけで仮想通貨っていう意味がズバリ伝わりますからね!他の仮想通貨はあまり有名じゃないので、それが仮想通貨だってことを知らないとおそらく人に伝わらないでしょう。

で、問題の「ブロックチェーン」技術ですが、これは要するにP2Pのことらしいですね。そうすると、あの某ファイル共有ソフトと技術的には一緒ってことですよね。分散型ネットワークで記録していくという手法を使えば、あらゆる取引をネットで扱うことができるから、ブロックチェーンは経済の仕組みを変えるスゴイ技術ということらしいです。ふーむ。

ビットコインを使ってみる(?)

こんにちは。

先日の新聞にビットコイン取引所bitFlyerの一面広告が載っていたのはなかなかインパクトがありました。女優の成海璃子さんがピッタリの広告です。

bitflyer.jp

で、今日はビットコインを支える技術である「ブロックチェーン」とは一体何だろう?という疑問を持ったのがきっかけで、気づいたらビットコイン取引所に登録していました。自分で使ってみたほうが、理解は倍早くなると思ったので。(解説読んでもよーわからん…。)

btcnews.jp

アカウント登録の参考にしたのは「仮想通貨の投資方法」というサイトです。このサイトすごいですね!仮想通貨について、もうここまでまとめているなんて!

bitcoin-newstart.com

とりあえず自分はcoincheckという取引所に登録してみました。入金には証明書の写真提出が必要らしいです。

日本で一番簡単にビットコインが買える取引所 coincheck bitcoin

 bitFlyerの使用感も確かめたかったので、アカウント登録しようと思ったのですが、アカウント確認メールからリンクを開いてもなぜかホームページが開かず一旦ストップです(サーバーダウン?)。bitFlyerは時間をおいて再度試してみます。

今年見たアニメで一番良かったのは『PSYCHO-PASS サイコパス2』

自分はよくNetflixでアニメを見るのですが、最近見た中で一番最高だったのが『PSYCHO-PASS サイコパス2』という作品でした。

ざっくりいうと、主人公である常守朱(監視官)が刑事としてドミネーターという武器を手にして事件に立ち向かっていく話です。僕はシリーズ2期を見てから1期を見たのですが、やっぱり2期が面白いです。

ストーリーも面白いんですが、オープニングとエンディングがすごくカッコいいです。アニメ見終わった後も、サイコパスの曲は何度も聞きました。超、超、超!オススメです。

凛として時雨Enigmatic Feeling

youtu.be

EGOIST「Fallen」

youtu.be

で、作中に出てくるドミネーターという武器が結構エグいんですよ。人間の犯罪係数が300という数値を超えると「執行対象」となり、ボーンと人間を殺しちゃうのです。先日これが実際に発売されていることを知りました。YouTubeではじめしゃちょーが紹介しています。

youtu.be

youtu.be

僕もこの動画見て一瞬買えるかどうか考えちゃいましたね…。値段がガチでやばいですが。

 

頭が飽和状態で辛い

僕はかなり日常的に頭が飽和状態で辛いのです。頭脳を使うと頭の横(耳の上あたり?)が疲れてきたり、額の横とか眉間のあたり(前頭葉?)が疲れてくることが多いです。

原因はよくわからないのですが、多分インプット過剰のせいなのだと思います。ネットサーフィンをしたり、本を読んだりすることが多いですから。

この飽和状態から解放されて楽になると、今度は逆になんだか物足りなくて、またインプット増やして、すぐさま辛い状態にすぐ戻ってしまうのです。でも最近はあまりにも頻繁に飽和状態になってしまうので、自分は脳のメモリというかキャパが少ないのではないか?と不安になってしまいます。

そういう頭の中にインプット過剰になったものを吐き出す場所がこのブログです。さっさと吐き出して楽になりたいです。いや、書いた後は書いた後でまた頭が疲れるんですけどね…。

販売レベルの指標について考える

こんばんは。今回は販売レベルの指標について仮説を立てたいと思います。

販売って難しいですよね。販売するって言ってもいろんなレベルがあると思うんですよ。スカウターのように数値化してくれるならわかりやすいのですが、理論化しようと思うと簡単ではありません。販売レベルは基本的には質と量で測ることができますが、質は質であるがゆえに、数値化するのが難しいのです。

販売レベルの簡単な指標は量(クオンティティquantity)です。つまり、たくさん売れると販売レベルが高い、全く売れなければ販売レベルが低いというように、数量を販売レベルの物差しにすることです。確かに会社にとって商品は売れるに越したことはないのですが、しかしあまりにも商品が魅力的であるがゆえに、接客しなくても商品が勝手に売れていくということもありえます。なので沢山売れるから販売レベルが高いとは必ずしも言い切れないところがあるのです。

販売レベルを計測する上で重要なのは間違いなく質(クオリティquality)です。これはいわゆる接客の良し悪しのことです。接客態度はもちろん、商品知識があって正確に案内できることや、顧客満足度(CS)が指標になってくるでしょう。

同じ「売れた」という現象一つ取って見ても、売れた瞬間を見るのか、売れる前も見るのか、売れた後どうなっているかも考えると、より複雑になってきます。「売れればいい」というのは、完全に売れた瞬間しか見ていません。例えば、売れた後に、商品要因(商品サービスが思ったほど良くなかった)ではなく接客が原因でお客さんがクレームを起こすような販売手法は、販売レベルとしては低いと言えるでしょう。

【読書メモ】ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』にsujet(主体、主題)はあるのか?

今日はダヴィッド・ラプジャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動』について書きます。この本は、ドゥルーズのあらゆる著作を一冊の中に凝縮したような本です。たった一冊なのに、非常によくまとまっています。しかもただまとめるだけでなく、ドゥルーズの権利論のような、通常ではピックアップされないようなテーマについてもまとめており、読解の導きとなるような本です。

で、今回この本を読んで気になったのは次のところでした。

『千のプラトー』は、その題名が示すように、様々な多様体書物である。多様体こそが、書物の対象なのであり、あるいはむしろ書物の「主体」、唯一の「主体」なのである。ラプジャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動』219頁)

んんん?

プジャードの原著は見てないんですが、確かにラプジャードの言うように『千のプラトー』を読むと、その対象は「多様体」であり、これが『千のプラトー』の「主体」(「主題」?)であるかのように見えます。(ちなみに「主体」の多義性についてはこちらが参考になります。誰の文章か知りませんが。)

しかし、ちょっと待ってください。『千のプラトー』にはそうじゃないことが書いてあったように思います。

一冊の本には対象(objet)もなければ主題(sujet)もない。本は様々な具合に形作られる素材や、それぞれ全く異なる日付や速度でできている。本を何かある主題に帰属させるということはたちどころに、様々な素材の働きを、そしてそれら素材間の関係の外部性をないがしろにすることになる。(ドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症(上)』15~16頁)

『千のプラトー』には何か或る特定の対象や主題があるわけではないとドゥルーズガタリは述べています。そして、ここで「ない」と言われているところの「対象」や「主題」には、多様体すらも含まれないのかどうかということが問題です。もしそこに多様体が含まれないのであれば、多様体がこの本の対象であり、主体であるというラプジャードの主張は、私には肯首し難い主張ということになりそうですし、そしてラプジャード自身はわざと挑発するような主張をしているのかもしれません。

 

プジャードのこの本は訳者の堀千晶さんと江川隆男さんの対談(『ドゥルーズ』河出書房新社編集部編所収)でも言及されているので、よろしければこちらもチェックしてみてください。