まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

今年見たアニメで一番良かったのは『PSYCHO-PASS サイコパス2』

自分はよくNetflixでアニメを見るのですが、最近見た中で一番最高だったのが『PSYCHO-PASS サイコパス2』という作品でした。

ざっくりいうと、主人公である常守朱(監視官)が刑事としてドミネーターという武器を手にして事件に立ち向かっていく話です。僕はシリーズ2期を見てから1期を見たのですが、やっぱり2期が面白いです。

ストーリーも面白いんですが、オープニングとエンディングがすごくカッコいいです。アニメ見終わった後も、サイコパスの曲は何度も聞きました。超、超、超!オススメです。

凛として時雨Enigmatic Feeling

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EGOIST「Fallen」

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で、作中に出てくるドミネーターという武器が結構エグいんですよ。人間の犯罪係数が300という数値を超えると「執行対象」となり、ボーンと人間を殺しちゃうのです。先日これが実際に発売されていることを知りました。YouTubeではじめしゃちょーが紹介しています。

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僕もこの動画見て一瞬買えるかどうか考えちゃいましたね…。値段がガチでやばいですが。

 

頭が飽和状態で辛い

僕はかなり日常的に頭が飽和状態で辛いのです。頭脳を使うと頭の横(耳の上あたり?)が疲れてきたり、額の横とか眉間のあたり(前頭葉?)が疲れてくることが多いです。

原因はよくわからないのですが、多分インプット過剰のせいなのだと思います。ネットサーフィンをしたり、本を読んだりすることが多いですから。

この飽和状態から解放されて楽になると、今度は逆になんだか物足りなくて、またインプット増やして、すぐさま辛い状態にすぐ戻ってしまうのです。でも最近はあまりにも頻繁に飽和状態になってしまうので、自分は脳のメモリというかキャパが少ないのではないか?と不安になってしまいます。

そういう頭の中にインプット過剰になったものを吐き出す場所がこのブログです。さっさと吐き出して楽になりたいです。いや、書いた後は書いた後でまた頭が疲れるんですけどね…。

販売レベルの指標について考える

こんばんは。今回は販売レベルの指標について仮説を立てたいと思います。

販売って難しいですよね。販売するって言ってもいろんなレベルがあると思うんですよ。スカウターのように数値化してくれるならわかりやすいのですが、理論化しようと思うと簡単ではありません。販売レベルは基本的には質と量で測ることができますが、質は質であるがゆえに、数値化するのが難しいのです。

販売レベルの簡単な指標は量(クオンティティquantity)です。つまり、たくさん売れると販売レベルが高い、全く売れなければ販売レベルが低いというように、数量を販売レベルの物差しにすることです。確かに会社にとって商品は売れるに越したことはないのですが、しかしあまりにも商品が魅力的であるがゆえに、接客しなくても商品が勝手に売れていくということもありえます。なので沢山売れるから販売レベルが高いとは必ずしも言い切れないところがあるのです。

販売レベルを計測する上で重要なのは間違いなく質(クオリティquality)です。これはいわゆる接客の良し悪しのことです。接客態度はもちろん、商品知識があって正確に案内できることや、顧客満足度(CS)が指標になってくるでしょう。

同じ「売れた」という現象一つ取って見ても、売れた瞬間を見るのか、売れる前も見るのか、売れた後どうなっているかも考えると、より複雑になってきます。「売れればいい」というのは、完全に売れた瞬間しか見ていません。例えば、売れた後に、商品要因(商品サービスが思ったほど良くなかった)ではなく接客が原因でお客さんがクレームを起こすような販売手法は、販売レベルとしては低いと言えるでしょう。

【読書メモ】ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』にsujet(主体、主題)はあるのか?

今日はダヴィッド・ラプジャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動』について書きます。この本は、ドゥルーズのあらゆる著作を一冊の中に凝縮したような本です。たった一冊なのに、非常によくまとまっています。しかもただまとめるだけでなく、ドゥルーズの権利論のような、通常ではピックアップされないようなテーマについてもまとめており、読解の導きとなるような本です。

で、今回この本を読んで気になったのは次のところでした。

『千のプラトー』は、その題名が示すように、様々な多様体書物である。多様体こそが、書物の対象なのであり、あるいはむしろ書物の「主体」、唯一の「主体」なのである。ラプジャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動』219頁)

んんん?

プジャードの原著は見てないんですが、確かにラプジャードの言うように『千のプラトー』を読むと、その対象は「多様体」であり、これが『千のプラトー』の「主体」(「主題」?)であるかのように見えます。(ちなみに「主体」の多義性についてはこちらが参考になります。誰の文章か知りませんが。)

しかし、ちょっと待ってください。『千のプラトー』にはそうじゃないことが書いてあったように思います。

一冊の本には対象(objet)もなければ主題(sujet)もない。本は様々な具合に形作られる素材や、それぞれ全く異なる日付や速度でできている。本を何かある主題に帰属させるということはたちどころに、様々な素材の働きを、そしてそれら素材間の関係の外部性をないがしろにすることになる。(ドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症(上)』15~16頁)

『千のプラトー』には何か或る特定の対象や主題があるわけではないとドゥルーズガタリは述べています。そして、ここで「ない」と言われているところの「対象」や「主題」には、多様体すらも含まれないのかどうかということが問題です。もしそこに多様体が含まれないのであれば、多様体がこの本の対象であり、主体であるというラプジャードの主張は、私には肯首し難い主張ということになりそうですし、そしてラプジャード自身はわざと挑発するような主張をしているのかもしれません。

 

プジャードのこの本は訳者の堀千晶さんと江川隆男さんの対談(『ドゥルーズ』河出書房新社編集部編所収)でも言及されているので、よろしければこちらもチェックしてみてください。

【読書メモ】ショーペンハウアーの「オカルト的性質」について

今日はショーペンハウアー「オカルト的性質」について書きます。

昨日、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んでいたら、qualitas occulutaっていう言葉が出てきました。西尾幹二訳では「隠れた特性」と訳されています。

僕はocculutaという言葉がどうしても気になってしまったんですね。日本語でも「オカルト」って聞くじゃないですか。「『オカルト』ってそもそもどういう意味なんだっけ?occulutaってあの「オカルト」と関係あるのかな?」などと思ったわけです。「オカルト」って、あの『ムー』とか、心霊現象とか、ホラー映画っぽいイメージを勝手に持っていました。

ムーPLUS|UFO・超能力・UMA・奇現象・古代文明・神秘・スピリチュアル・都市伝説

Wikipediaを見た限りでは、やはり「オカルト」ラテン語occuluta(隠されたもの)を語源とするらしいです(オカルト - Wikipedia)。要するに、原因がよくわからないもののことを「オカルト」と呼んでいるのではないでしょうか。

 「これ以上になぜにを要求できない(ギリギリの)関係にまで遡ることのない説明はいずれも、オカルト的性質(qualitas occulta)を仮定して、そこで立ち止まるほかないものである。しかし、根源的な自然力は全てこうした性質を秘めている。全ての自然科学上の説明は、結局オカルト的性質に立ち止まるほかないものであって、つまり奥底は全くの暗黒なのである。自然科学の説明が、一つの石の内奥の本質をも、一人の人間の内奥の本質と同じように説明しないで放っておくほか仕方がないのはそのせいである。自然科学の説明は、人間の認識や行動(の謎)を釈明できないのと同様に、石の示す重さ、凝集力、科学的性質などにやはり釈明を与えることはできない。こうして例えば重さもまた、オカルト的性質の一つであると言える。重さは、取り除いて考えることができるもので、認識の形式から一つの必然的なものとして発生するものではないからである。これに反し慣性の法則は必然的なものであって、これこそ因果の法則から帰結するものである。これを因果の法則に還元すれば一つの完全に満足のいく説明が得られるのはそのためである。」(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第1巻第15節)

「なぜ」を突き詰めて考えると、それ以上説明不可能な性質にまで突き当たる。そういうものをショーペンハウアー「オカルト的性質」と呼んでいるわけですね。

日本では超常現象のようなものが「オカルト」と呼ばれているわけですが、ショーペンハウアーに言わせれば、何の変哲も無い石ころだって「オカルト的性質」を持っているわけです。そう考えると、この世は「オカルト」だらけということになっちゃいますね(^_^;)

もしかしたら数年後にインターネット通信業界にパラダイムシフトが起こるかもしれない。

前の記事で、人工衛星を介した通信速度ってどれぐらいなのか疑問を呈しました。

で、ネットでちょっと調べたらスペースXの計画が載ってました。

「それぞれの衛星は10GHzから30GHzのバンドを利用し、合計の下り通信速度は17〜23Gbpsに達します。/資料によれば、スペースXの衛星インターネットは「衛星の展開が完了すれば、一人あたり最高で1Gbpsのインターネット通信を民間やビジネス向けに、世界規模で提供する」としています。」(スペースX、「4,425個の衛星」のギガビットインターネット計画を提出 低遅延かつ全世界で利用可能 | sorae.jp : 宇宙(そら)へのポータルサイト

この計画によれば、マジかっ!て思うほどの超高速通信が人工衛星によって実現されるようです。「一人あたり最高で1Gbps」というのは、今の光回線の理論値最大1Gbpsと同等ですからね。おそらく実測値ではもっと下がることでしょう。それでも、この速度が本当に実現できるなら、ランニングコスト次第で十分に光回線の代替サービスとなり得ます。

将来、スペースXが通信キャリアの仲間入りを果たすことも十分あり得ますね。つまり、今は現状各国ごとに携帯通信キャリアが存在しますが、4000機もの人工衛星を介して、スペースX一社が地球上全ての国で使える通信網を掌握しうるということです。

 

さらに調べてみると、ViaSatという会社も衛星インターネットサービスで頑張っているようです。

sorae.jp

こちらの「ViaSat-3」は1Tbpsの速度を持ち、サービスとしては100Mbpsという速度で提供されるらしいです。

いやはや、これらの衛星インターネットサービスが本当に実現されるなら、数年でインターネット通信業界に激変が起こりそうな気がします。

 

【素人の妄言】人工衛星と宇宙船は衝突しないのか?

こんばんは。

自分今年で27歳なんですが、宇宙については知らないことがたくさんあります。

そんな自分が今日気になった記事がこちらです。

hbol.jp

最近のニュースを見ていると、今後3年間でIoTが、5年間でビットコインが、10年間で航空宇宙産業がかなり普及するのではないかという気がしています。三つめの航空宇宙産業については、Amazonでおなじみのジェフ・ベゾス氏や、スペースXを手がけるイーロン・マスク氏が、あと日本ではホリエモンこと堀江貴文さんが積極的な投資をしているらしいですね。

で、先ほどの記事によれば、OneWebという会社が、たくさんの小型人工衛星を打ち上げて、地球のどこでもネットができる環境にしちゃおうという計画を立てているらしいです。そこにソフトバンクが多額の投資をしたと。

「ただ1機や2機打ち上げるのではなく、OneWebは地表から高度1200kmの地球低軌道に、少なくとも約700機もの小型人工衛星を打ち上げ、文字どおり地球を覆うように配備することを考えている。これにより、地球のどこでも空を見上げれば常に複数のOneWebの人工衛星が存在することになり、端末さえあれば、無人島だろうがジャングルの奥地だろうが、いつでもどこでもネットにつなぐことができる。」(ソフトバンクが10億ドル出資する宇宙企業「OneWeb」ってなんだ!? | ハーバービジネスオンライン | ページ 2

どこでもネットに繋がるようになるというのは大きなメリットですね。通信速度はどれぐらいなんでしょうか。人工衛星を介しての通信なので、速度にはあまり期待できないんでしょうか。

それよりも気になったのが、人工衛星の数ですね。約700機というのはかなり多いのではないのでしょうか。しかもこの記事によれば、競合他社であるスペースXは、4000機の小型衛星を打ち上げる構想を持っているそうです。そんなに衛星をたくさん打ち上げちゃって大丈夫なんですかね?

イーロン・マスク氏が火星に移住する構想を持っているのは有名です。そこで仮に将来、火星に行ける宇宙船が開発できたとしましょう。しかも宇宙船が新幹線のように定期便として毎日火星と地球の間をピストン運動していると仮定した場合、地球から発射された宇宙船は、地球の周りにたくさんある人工衛星の層を通過して、火星に向かっていくわけですよね。そうすると、いくら小型衛星とはいえ、宇宙船はいつか人口衛星に衝突しちゃうんじゃないですかね。でも衝突しちゃったら宇宙に破片は飛び散るだろうし(多量のスペースデブリ発生の懸念)、宇宙船の中の人の安全とか大丈夫なんでしょうか。

以上、素人の妄言です。今度、宇宙開発についての本買って勉強しますわ。