まだ先行研究で消耗してるの?

全然ロジカルじゃない(!)書きたいことをひたすら書くブログです。ノンロジカルエッセイ。

ラモー『和声論』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではラモーの『和声論』を取り上げる。ルソーは『言語起源論』でラモーの『和声論』を批判しているが、そのルソーは若い時にラモーの『和声論』をよく読み学んだという。

楽譜も読めない音楽の素人である私がラモーの『和声論』を読み解こうなどとは、ともすれば不遜な態度かも知れないが、多めに見て頂きたい。

 

序文

 ラモーは『和声論』「序文」で音楽の歴史について語っているが、その際にラモーは古代の音楽家現代の音楽家とを比べている。

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 われわれの時代に至るまでに音楽がどれほどの進歩を遂げてきたとしても、がこの技芸のすばらしい効果に鋭敏になるに従って、のほうは音楽の真の諸原理を探求することに関してますます好奇心を失ってきたようである。したがって、音楽においては経験がある種の権威を獲得した一方で、理性は自らの権利を失ったのだと言うことができる。

(訳1頁、下線引用者)

ここでは「耳(oreille)」と「心(esprit)」、「経験(experience)」と「理性(raison)」とが対比的に用いられているように思われる。ラモーによれば、古代の人々は「理性」でもって音楽の原理を明らかにしたが、現代のわれわれは「経験」を優先しがちであり、音楽の原理の探求がないがしろにされているという。

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古代の人々からわれわれに残された書物は、ただ理性のみが彼らに音楽の諸特性のもっとも多くの部分を発見する手段をもたらしたことをまったく明白に示している。しかしながら、経験は古代の人々がもたらしてきた多くの音楽の諸規則に賛同するよういまなおわれわれに促すにもかかわらず、今日ではその理性から引き出されうるあらゆる利点がないがしろにされ、単なる実践という経験が優先されてしまっている。

(訳1頁、下線引用者)

ここで具体的な名前は挙げられていないが、「ただ理性のみが彼らに音楽の諸特性のもっとも多くの部分を発見する手段をもたらした」例としては、ピュタゴラスが発見した数比論かもしれないし、数学者アリストクセノスや、天文学者でもあったプトレマイオスの音階論かもしれない*1

 経験すなわち演奏(パフォーマンス)ばかりが重視される時代だからこそ、ラモーが本書で行うような音楽の諸特性の解明が意義を持つとでも言いたげな文章である。

 

第1章 音楽と音について

 では、ラモーにとって「音楽」とは一体何であろうか。

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 音楽とは音の学である。それゆえにが音楽の主要な対象である。

 音楽は概して和声旋律に分けられる。しかしわれわれは、旋律が和声の一部にすぎず、音楽のあらゆる特性の完全な理解のためには和声の知識で十分であることを以下で示そう。

(訳26頁、下線引用者)

「概して(ordinairement)」つまり音楽は和声と旋律の二つに分けられるのが通例であるが、そのような常識に反した主張をラモーは行っているというのである。ラモーによれば、旋律よりも和声の領域の方が広く、旋律は和声のもとに包摂されている。ラモーが「和声」をタイトルにできた所以である。

 ところで音楽を「音の学(Science)」と述べたところにラモーの音楽観が垣間見える。中世の大学では音楽は自由七課の一つに数えられていた。

自由七課は学芸学部(または人文学部教養学部)となり、上位三学部(神学部、医学部、法学部)へ進学するための基礎教養として必修となった。これが中世大学のモデルとなる。学芸学部は語学にかんする三課程(トリヴィウム:文法、修辞学、論理学)と、数学にかんする四課程(クヮドリヴィウム:数学、幾何学天文学、音楽)に分けられた。

(菅野 2015、205頁)

したがって、音楽とはあくまで基礎科目の一つという認識であった。

 しかし、より時代を遡ると、四世紀の古代ローマの哲学者アウグスティヌスはその『音楽論』のなかで"musica est scientia bene modulandi"と述べていた。もしかするとラモーはアウグスティヌスのこの言葉を知っていたのかもしれない。

musica est scientia bene modulandi(音楽とは、正しく〔訳注:音を〕動かす学である)"。これは、アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 384—430年)が、その著〈音楽論 De musica 〉のなかで、音楽を定義して記した言葉である。そこでは、音楽が"学(scientia)"として、また"倫理的(bene)なもの"として、さらには"運動(modulandi)"としてもとらえられており、こうした音楽の定義は、古代ギリシアの音楽観を総括的にあらわすとともに、つづく中世の音楽観の基礎をなすものである。

(竹井 1981、13頁)

ラモーは音楽を「音の学」と述べたが、そのScienceとは近代的な意味での「科学」というよりもまだ「知識」に近い意味だったであろう。

(つづく)

文献

*1:「紀元前四世紀の哲学者・音楽理論家アリストクセノス、紀元二世紀の天文学者・数学者プトレマイオスは、ピュタゴラスの発見した数比論を進化させた音階論を著している。アリストクセノスは音楽演奏の現実にもとづいて音階をとらえ、たとえば4度を全音二つと半音一つとするなど、現代の平均律に相当する説を展開している。いっぽう、当時ローマ帝国領であったアレクサンドリアで活躍し、天動説を主張したプトレマイオスは、完全音程の8度、調和音程の4度と5度、さらに4度(テトラコルド)を三分割して生じる旋律音程をより厳密に数比で表し、感覚にも合理性にも適した分割だとしている(クラウディオス・プトレマイオスハルモニア論』第一巻第十五章、山本健郎訳『古代音楽論集』より)。」(菅野 2015、185〜186頁)。

ルソー『言語起源論』覚書(5)

目次

(以下のつづきである)

sakiya1989.hatenablog.com

 

第十三章 旋律について

 私たちは絵画や音楽を鑑賞して感動することがあるが、その感動は一体何に起因するのか。ルソーによればその原因は、絵画における「色」や音楽における「音」ではなく、絵画における「デッサン」「模倣」であり、音楽における「旋律」だという。

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絵画がわれわれのうちで引き起こす感情はによるものではないのと同様に、われわれの心に対する音楽の影響力はの仕業ではない。よく釣り合いの取れた美しい色は視覚を喜ばせるが、その快楽は純粋に感覚的なものである。その色に生命や魂を与えるのはデッサンであり、模倣である。われわれの情念を揺り動かすのはその色が表現する情念であり、われわれを感動させるのはその色が表しているものである。関心と感情は色に由来するのではない。感動的な絵画の描線は版画でもわれわれを感動させる。その絵画から描線を取り去ってしまえば、色は何の作用も及ぼさないだろう。

 まさにデッサンが絵画においてしていることを旋律は音楽においてしているのだ。まさに旋律が線や像を描くのであり、和音やおんは色にすぎない。しかし旋律はおんの連続にすぎないと言われるかも知れない。しかしデッサンも色の配置にすぎない。雄弁家は著作を記すのにインクを使う。インクはとても雄弁な液体だということだろうか。(訳96〜97頁、下線引用者)

諸々の「音」や「色」は「旋律」や「デッサン」を構成する要素である。しかし、「旋律」や「デッサン」は人に感動を与えるが、「音」や「色」のような要素はそれだけでは人に感動を与えない。これは、人間の成分を分析して、窒素・リン酸・カルシウムのような構成要素を集めてきたからといって、それによって人間が出来上がらないのと同様である。「音」や「色」とは異なり、「旋律」や「デッサン」が芸術であるのは、「旋律」や「デッサン」が何かの表現であり「模倣」であって、自然科学ではないからだ。

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つまり絵画は視覚に快いように色を組み合わせる術ではないのと同様に、音楽は耳に快いように音を組み合わせる術ではない。それだけなら、どちらも芸術ではなく自然科学のうちに含まれるだろう。絵画と音楽を芸術の地位にまで高めるのは模倣だけである。ところで絵画を模倣芸術にするのは何だろうか。デッサンである。音楽をもう一つの模倣芸術にするのは何だろうか。旋律である。(訳99〜100頁、下線引用者)

ルソーが音楽を絵画に喩えて説明したことは、音楽と絵画が非常に近いものを持っていることを意味しているかもしれない。両者の差異があるとすれば、作品を受け取る際の感覚器官の違いだろう。

 

第十四章 和声について

 ルソーは「旋律」における表現力を次のように高く評価している。

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旋律は声の変化を模倣することによってうめき声、苦痛や喜びの叫び、脅し、うなり声を表現する。情念の音声的記号はすべて旋律の領域に属している。旋律は言語の抑揚や、各言語において心の動きに用いられる言い回しを模倣する。旋律は模倣するだけでなく語り、分節はないが生き生きとしていて熱烈で情熱的なそのことばづかいは音声言語そのものよりも百倍も力強い。音楽的模倣の力はまさにここから生まれるのである。感じやすい心を持つ人たちに対する歌の影響力はまさにここから生まれるのである。(訳103頁、下線引用者)

ルソーの考えでは、「旋律」の最大の特徴は「模倣」にある。旋律は「うめき声、苦痛や喜びの叫び、脅し、うなり声」などを表現することができるのである。

 このような表現力豊かな「旋律」とは対照的に、ルソーは和声について次のような否定的評価を下している。

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和声はある体系では〔その影響力に〕協働することができる。それは転調の規則によっておんの連続をつなぎ、抑揚をより正確にし、その正確さの確実なしるしを耳にもたらし、音符に還元できない抑揚を協和し結びついた音程に近づけ固定化することによってである。しかし和声は旋律を束縛することによって旋律から力強さと表現力を奪い、旋律から情熱的な抑揚を消し去りその代わりに和声的な音程を置き、弁舌の調子の数だけ旋法があるはずの歌を二つの旋法だけに従わせ、その体系に収まらない無数の音や音程を消し去り破壊してしまう。つまり和声は歌と音声言語を非常に引き離してしまうので、この二つの言語は闘い妨害し合い、互いにいかなる真実の性格も奪い合い、悲壮な主題において不条理なしに結び合わせることができない。(訳103〜104頁)

正直、私にはこの箇所を読み解く力がないが、差し当たりラモーの『和声論』と合わせて読解すべき箇所だと考えている。

 ルソーはラモーの『和声論』を若い時によく読み込み、そこから音楽理論を学んだという。しかし、周知の通り、ルソーはラモーの前で演奏した際に不評を買い、ラモーらと上演が決まった際にはプログラムからラモー以外の名前が消されたというエピソードがある。

 

第十五章 われわれの最も強烈な感覚はしばしば精神的な印象によって作用するということ

 ルソーは音が「神経」に与える影響と「心」に与える影響とを区別している。

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それがわれわれの神経に引き起こす振動のみによっておんを考えている限り、音楽の真の原理も、に対する音楽の力についての真の原理も得られることはないだろう。旋律におけるおんは単におんとして作用するのではなく、われわれの情緒や感情の記号として作用する。まさにそのようにしておんはそれが表現していてわれわれがその像をそこに認める心の動きをわれわれのうちにかき立てるのだ。(訳106頁、下線引用者)

旋律はわれわれの心に訴えかけるが、しかし、その旋律に込められた「情緒や感情の記号」を読み取るためには、その国民でなければ理解できないところがある。

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各人はなじみ深い抑揚によってのみ感動させられる。各人の神経は精神によって準備させられてはじめてその抑揚を受け入れる。各人が言われることによって動かされるには、各人が話される言語を理解しなければならない。ベルニエのカンタータは、フランス人の音楽家の熱を治したと言われるが、ほかの国の音楽家ならどんな国の人でも熱を出しただろう。(訳107頁)

言語がフランス語やイタリア語のように国民ごとに異なるように、音楽もまた国民ごとの文法を持っている。音楽はその国ごとのハビトゥスだと言えるかもしれない。

(つづく) 

文献

人文系研究における4つの研究フロー

目次

はじめに——なぜそんなに本を買うのか

 今回は「人文系研究における4つの研究フロー」というタイトルで書きたいと思います。

 僕はTwitterに買った本の画像を載せているのですが、端から見たら「そんなに買ってちゃんと本を読んでいるのか?」と訝しく思う人もいるかもしれません。別に買った本を並べて見せびらかしているわけではなく、買った本を記録することが、一人で在野研究する上で進捗を確認するのに役立つから行っているだけなのです。仕事をしながら研究していると脳のメモリーが常にリセットされてしまうので、過去に何の本を買ったのか正直分からなくなることがあるのです。どの本を買ったのか忘れてしまうのは、その本の存在を認知していながらも買っていなかった場合や、過去に図書館で借りて読んだのか買って読んだのか、はたまた(上)だけ買って(下)を買ってなかったのか(逆もまた然り)等々の理由からです。Twitterに買った本を記録しておけば、外出先でも自分のアカウントの履歴を検索するだけで自分が買った本がわかります。忙しいので当然ですが、買った本を全ページを読んでいるわけありません。研究するにあたって、買った本を全ページ読む必要はなく、必要な時に参照できるよう手元に置いておく必要があるから買っておくわけです。

 というわけで、以下に人文系研究における研究フローを示しているので、本を買うという行為が、研究上「文献を集める」フローに該当することを確認してください。

人文系研究における4つのフロー

 自分自身の人文系研究における研究フローを振り返ってみると、それは以下の4つに分けられると思います。

  1. 研究計画を立てるフロー
  2. 文献を集めるフロー
  3. 文献を読み、分析するフロー
  4. 論文を書き、推敲するフロー

以下で各研究フローについて見ていきます。

1. 研究計画を立てるフロー

 何を研究するかを決めるフローです。内容がわかっていなくても良いので、目次章立てを決められると良いです。

2. 文献を集めるフロー

 これは要するに研究に必要な素材・道具・データを集めるフローのことです。一次文献、二次文献を集めます。 

 Twitterに買った本の画像を載せているのは、このフローの活動を記録するためです。

3. 文献を読み、分析するフロー

 まず読むのに一番優先的にじっくり取り掛かる必要があるのは一次資料、一次文献です。読みながら自分なりに分析することが大事です。

 ただ、ずっと同じ文献を扱っていると、飽きてきてしまいますので、息抜きのように二次文献を吸収していくのが良いのではないかと思います。

4. 論文を書き、推敲するフロー

 論文を書くことは、研究上、必要不可欠のフローです。

 論文は粗削りのものを書いては推敲し、繰り返し加筆修正を施すことで形になっていきます。

 ただし僕は論文を書いていないので、代わりにこのブログやnotoに書いています。

おわりに——身体の状態に合った研究フローを進める

 上で見たように、人文系研究には、1. 研究計画を立てる、2. 文献を集める、3. 文献を読み、分析する、4. 論文を書き、推敲するという4つの研究フローがあることを見てきました。これらのフローは研究の順番を表しているのではなく、実際に行う際はいずれかのフローを行ったり来たりするような入り乱れたものとなるはずです。

 これら4つの研究フローを同時に行うことは非常に難しいと言えます。なぜなら、これらのフローを効率よく進めていくためには、それぞれのフローにあわせて脳内のモードを切り替えていく必要があるからです。しかし、実際には身体がいずれかのモードに自然と入っている状態であり、自分の意志でモードを切り替えるというよりはむしろその都度の身体の状態に合ったフローを進めていく方がスムーズだと思われます。

『音楽思想史』への取り組み(3)

目次

(以下のつづきです)

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音楽思想史のために買った本

J.-Ph.ラモー『和声論』(伊藤友計訳、音楽之友社、2018年)

この本自体が音楽思想史上において重要文献であり、またルソー『言語起源論』の和声章の読解に必要な文献です。

内藤義博『ルソーの音楽思想』(駿河台出版社、2002年)

内藤先生の博士論文が元になっているそうです。

内藤義博『ルソーとフランス・オペラ』(ブイツーソリューション、2013年)

 

ジャン・スタロバンスキー『告発と誘惑 ジャン=ジャック・ルソー論』(浜名優美・井上櫻子訳、法政大学出版局、2019年)

ルソーを研究するのにスタロバンスキーは必読かと思いまして。

ルソー『告白』(桑原武夫訳、岩波書店、1965-1966年)

ルソーの有名な自伝です。

ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー『言語起源論』(宮谷尚実訳、講談社、2017年)

ヘルダーがルソーの言語論を批判していたので。

伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』(講談社、2004年)

ルソーが『言語起源論』の中で古代ギリシアホメロスを参照するので買いました。 

T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』(木村敏訳、講談社、1993年)

これもルソー音楽論との関係で参照すべき文献かと。 

宮本直美『コンサートという文化装置:交響曲とオペラのヨーロッパ近代』(岩波書店、2016年)

本屋でビビッときたので買ったのですが、本当に買って良かった。

小泉文夫『日本の音:世界のなかの日本音楽』(平凡社、1994年)

「日本の音楽思想史」の項目を執筆するために必要かと。 

椎名亮輔 編著『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング、2017年)

簡便な文献集です。

村田千尋西洋音楽史再入門 4つの視点で読み解く音楽と社会』(春秋社、2016年)

眼から鱗の知識がたくさん書いてあります。 

(つづく)

ルソー『言語起源論』覚書(4)

目次

(以下の続きである)

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第十章 北方の諸言語の形成——不快で力強い声

 ルソーによれば、南方(温暖)と北方(寒冷)との風土の違いによって、欲求が情念から生まれるのか、それとも情念が欲求から生まれるのかという因果関係が変わってくる。

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しまいには人間はみな同じようになるが、彼らの進歩の順序は異なる。自然が気前がいい南方の風土では欲求は情念から生まれるが、自然が吝嗇けち北方の国々では情念は欲求から生まれ、必要の陰気な娘たちである諸言語には、その激しい起源が感じ取れる。(訳83頁、下線引用者)

すでに第二章で見たように、欲求とは「飢えや渇き」など生きるために必要なものであり、情念とは「愛、憎しみ、憐憫の情、怒り」(訳24頁)などの感情のことであった。欲求は人々を遠ざけるが、情念は人々を近づけるとされた*1

 ここでルソーの結論は至ってシンプルである。北方の国々の人々は、その風土が「悪天候、寒さ、身体の不調、さらに飢え」(訳83頁)をもたらす厳しい環境のもとで育ったため、彼らの声が「より不快でより力強い」(訳83頁)とルソーはいう。 

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しかし不毛な土地で住民が多くを消費する北方では、多くの欲求に服従している人間は怒らせるのがたやすい。彼らの周りでなされることはすべて彼らを不安にする。彼らは苦労しなければ暮らせないので、貧しければ貧しいほどもっているわずかなものに執着する。彼らに近づくことは彼らの生命を侵害することだ。彼らを傷つけるあらゆるものに対して激怒にとても変わりやすいあの怒りっぽい気質はそこから来ている。そのように彼らの最も自然な声は怒りと脅しの声であり、その声には常に力強い分節がともない、その声は固くて騒々しいものとなっている。(訳85頁、下線引用者)

ここで「彼らの最も自然な声」というのは、その声の特徴がその地域固有の風土によって形成されたという意味での「自然」である。寒い地域では、彼らは常に生命の危機と対峙している。ゆえに身体的に強くなければ生き残っていけないということが、「自然な声」の力強さにも影響を与えている。

 

第十一章 この差異についての考察——オリエントの言語の「抑揚」

 ルソーによれば、近代の言語は南方の言語と北方の言語の混合物であるという。

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南方の言語は生き生きとしてよく響き、抑揚に富み、雄弁で、しばしば力強さのあまり難解だったに違いない。北方の言語は音がこもっていて固くて分節が多く、耳障りで単調で、優れた構文よりも語彙のおかげで明晰だったに違いない。近代の言語は何度も混ざり練り直されその差異の一部をまだ保っている。(訳87頁、下線引用者)

南方の言語と北方の言語の特徴はある意味反対だ。南方の言語は「難解」だが、北方の言語は「明晰」だというのだから。言語のこうした違いは、その音が「抑揚に富」んでいるのかそれとも「単調」なのかという音楽性の違いにある。

 フランス語、英語、ドイツ語のような「近代の言語」は南方の言語と北方の言語の混合物であるが、オリエントの言語は「南方の言語」の特徴がより顕著だということを頭に入れて、次の箇所を読まれたい。

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フランス語、英語、ドイツ語は互いに協力し合い互いに冷静に議論し合う人たち、あるいは怒っている激情家の私的な言語である。しかし神聖な秘儀を知らせる神々の使いや国民に法を授ける賢者たち、民衆を駆り立てる指導者たちはアラビア語ペルシャ語を話さなければならない。われわれの言語は話すよりも書く方が引き立ち、聞くときよりも読むときの方が快い。逆にオリエントの諸言語は書いてしまうとその生命や熱を失ってしまう。意味は半分しか語に込められておらず、その力はすべて抑揚にある。オリエント人たちの精髄をその本から判断しようとするのは、死骸をもとにしてある人の絵を描こうとすることだ。(訳87〜88頁、下線引用者)

フランス語、英語、ドイツ語といったこれらの西欧の言語においては、パロールに対するエクリチュールの優位という特徴が見られる。これに対してオリエントの言語は完全にパロール中心の言語である。

 ちなみにルソーは「オリエント」という言葉で具体的にどの地域を念頭に置いているのだろうか。次のパラグラフで『コーラン』が取り上げられていることからすると、イスラーム圏が念頭に置かれていると言えるだろう。

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アラビア語を少し読めるからと言って『コーラン』に目を通して微笑を浮かべる人がいても、マホメットがみずから、その雄弁で律動的なこの言語で、心よりも先に耳を魅惑する響きのいい声で、しかも常に熱狂の抑揚で教えに魂を込めながら預言するのを聞いたならば、次のように叫んで大地にひれ伏しただろう。「神に遣わされた偉大な預言者よ、栄光や殉教に導いてください。私たちは勝利するか、さもなければあなたのために死にたいのです。」狂信は常にわれわれにとって滑稽に見えるが、それはわれわれの間では、人に理解してもらうための声をもっていないからである。(訳88頁、下線引用者)

先のパラグラフでルソーは「オリエントの諸言語は書いてしまうとその生命や熱を失ってしまう」と述べていたが、その意味を理解するにはおそらく『コーラン』読誦を聴くのが最も手っ取り早いだろう。

私もこの度YouTubeコーラン読誦を拝聴し、そのあまりの荘厳さに驚いた。確かにルソーのいう通り、ムスリムの指導者の発する声の「抑揚」を無視して、日本語訳された『コーラン』のテクストをいくら研究しても、真の意味で彼らにとっての『コーラン』がいかに音楽的要素によって支配されているのかを理解できるようにはならないだろう*2

 

第十二章 音楽の起源——言語・詩・音楽

 この章で言語と音楽の起源が同一であったというルソー『言語起源論』の有名なテーゼが説かれる。注意しなければならないのが、その際の言語とはパロールとしての言語であるということである。

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そのように詩句音声言語は共通の起源をもっている。上述の泉の周りでは、最初の弁舌は最初の歌となった。リズムの周期的で律動的な回帰、抑揚の旋律豊かな変化は、言語とともに音楽を誕生させた、というよりその幸福な時代と幸福な風土ではそれらすべてが言語そのものだった。他人の協力を必要としていた差し迫った欲求は、心が生み出したものだけだったのだ。(訳90頁、下線引用者)

さらにここで「共通の起源」として並列されているのが、「詩句、歌、音声言語」あるいは「言語、詩、音楽」という三つであることにも注意が必要であろう。つまり、〈言語〉と〈音楽〉の二つについてはこれらが同一の起源であることがこれまでの研究で認識されていたが、〈詩〉もまたこれらと同等の地位を占める重要なカテゴリーであるということである。次の箇所でも〈詩〉が〈音楽〉と同等に注目されている。

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最初の歴史、最初の演説、最初の法は韻文であった。詩は散文より先に発見された。それは当然だった、情念は理性よりも先に語ったのだから。音楽についても同様だった。最初は旋律以外に音楽はなく、音声言語の多彩な音以外に旋律はなく、抑揚は歌を形作り、音長は拍子を形作り、人は分節や声〔母音〕によってと同じくらい、音とリズムによって話していた。昔は語ることと歌うことは同じことだったとストラボンは言っている。そのことは、詩が雄弁の源であることを示している、と彼はつけ加えている。詩と雄弁は同じ源をもち、最初は同じものだった、と言うべきだった。(訳91頁、下線引用者)

ここでルソーはストラボンの言説に批判を加えている。すなわちストラボンは「詩が雄弁の源である」つまり詩が先にあってそこから雄弁が発生したと述べた(詩→雄弁)が、しかしそうではなく「詩と雄弁は同じ源をもち、最初は同じものだった」、つまりどちらかが他方の原因ではなく両者は起源において同一であり(詩=雄弁)、しかもこれらの原因こそが「旋律」であったとルソーはいうのである。

(以下につづく)

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文献

*1:拙稿「ルソー『言語起源論』覚書(1)」。

*2:そもそも『コーラン』とは「朗読されるもの」という意味を持っている。「周知のようにコーランの言語は「読まれるべきもの」である。この場合の「読む」とは書物を読むという現在一般に用いられている意味ではなく、往時どこの国でも口承的時代に於て一般であった「朗読する」という意味なのである。「読む」の義が「黙読」として一般化するのは口承的時代から書承時代に移って、書物がごく普通に個人の私有に帰するようになってからのことである。この当然の「読む」という概念もここでは大きな比重を占めていることに注意を喚起しておきたい。したがってコーランは「朗読されるもの」という謂であって、言わば「声の本」ということになろう。」(堀内 1971、190頁)。

「市民(シトワイヤン)」とは「道徳的人間」のことなのか——2020年度センター試験「倫理」の問題から考える

目次

はじめに

 今回は「「市民」とは「道徳的人間」なのか——2020年センター試験「倫理」の問題を読む」というタイトルで書きたいと思います。

 私は現在30歳なので、自分が大学入試センター試験を受けたのは、もう10年以上前ということになります。そこで久々にセンター試験でも解いてみようかと思い、東進ハイスクールのホームページから問題を見てみました。

 まずびっくりしたのが「倫理」問1のクワイン登場です。自分が高校の時に習った記憶はありません。クワインは今でこそ分析哲学や科学哲学に興味関心のある人であれば知らない人はいないでしょうが、クワインセンター試験に出すとなると出題者から受験生への「最近の研究動向をも踏まえてもらいたい」というメッセージにもなりますので、挑戦的な試みだと言えます。

 もう一つ驚きだったのが、ホネットの『承認をめぐる闘争』からの引用です。

ホネットはフランクフルト学派の継承者とはいえまだ現役の教授です。著書の『承認をめぐる闘争』はまだ古典とは言えませんので、教科書に載っているのかどうか知りませんが、一応受験生がホネットについて知らなくても解ける現代文の問題のような作りになっています。にしても、『承認をめぐる闘争』から引用されている部分がそんなに面白い部分ではないというのが個人的な感想です。

中江兆民が翻訳したのは『社会契約論』なのか

 さて、私が今年のセンター試験「倫理」の問題を解く中で、文章を読んでいて理解に躓いてしまった問題がありました。それは下の箇所です。

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この問題の答えは「④ A 中江兆民 B 『社会契約論』 C 共和主義」ですね。この答えを出すのは簡単なんですが、しかし私は設問内の文章が間違っていると思うのです。以下でどういうことか説明します。

 【 B 】に当てはまるのは、選択肢を見ると『自由論』か『社会契約論』のどちらかです。ルソーが『社会契約論』の中でブルジョワとシトワイヤンの取り違えに注意を促し、人はシトワイヤンの本来の意味を知らないと述べたくだりを知っていれば、『自由論』(J.S.ミル、1859年)ではなく、『社会契約論』の方を選択することは容易です。

 しかしながら、兆民が翻訳したのはRousseauのDu contrat social(1762年)であり、彼の手になる和訳『民約論』(1874 (明治7) 年)が弟子たちの間で写本で流布され*1、後に彼は漢訳『民約訳解(『政理叢談』所収、1882-1883 (明治15〜16) 年)も出しています(岡田2010:88)。

 ここで問題文に戻ると、【 B 】に当てはまるのは「士」という漢語を訳語として採用したDu contrat socialの邦題が正解です。「國人」とか「市民」と訳したものは【 B 】に当てはまりません。したがって、【 B 】の正解は、問題の選択肢にない漢訳『民約訳解』となります。

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上の画像は婁騒ウソー民約訳解』中江篤介〔兆民〕訳より。赤丸はシトワイヤンが「士」と訳されている該当箇所である。(婁騒 1882:38)

 そもそも兆民の時代には今でいう『社会契約論』という邦題はまだ存在しなかったので、彼がDu contrat socialを『社会契約論』と翻訳することはできなかったはずです。にもかかわらず、受験生は設問の選択肢の中から選ぶことで暴力的にも「彼は, 『社会契約論』を翻訳する際…」という間違った文章を構築しなければならなくなるのです。せめて「いわゆる」と補足しなければならないでしょう、「彼は, 〔いわゆる〕『社会契約論』を翻訳する際…」のように。

 ちなみに『民約論』という邦題が付けられた経緯としては、フランスに留学する前に彼は箕作麟祥(1846-1897)の家塾に入門しており、この師・箕作が『万国新史』の中で「民約ノ説」について説明していた為、「民約」という師の訳を踏襲して『民約論』という邦題を付けたのだと言われています(狭間 2013:8)。

「市民(シトワイヤン)」とは「道徳的人間」のことなのか

 上の問7の問題文では次のように述べられていました。

「君子」とは, 儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する概念である。また彼〔=中江兆民〕は, 【 B 】〔=『社会契約論』〕を翻訳する際,「通常は「市民」と訳される「シトワイヤン」を, 「君子」の類義語である「士」と訳した。このような, 「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方の背景には, 彼がフランスで学んだ, 「市民の徳」を重視する【 C 】〔=共和主義〕という思想の影響があった。(センター 2020:61、下線引用者)

設問者の意図を汲み取って肯定的に理解するならば、この箇所は次のように理解することができます。すなわち、兆民は、ルソーが『社会契約論』で用いた「シトワイヤン」の訳語に、「儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する」ところの「士」を採用したのは、「市民的な徳」を持った人物、いわゆる「シヴィックヒューマニズム*2的な意味で市民が自律的に政治参加するという共和主義の思想を表現するためだったのだと。

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 しかしながら、儒教的な意味での「有徳さ」が、(「士」という訳語の背景にあるとされている)共和主義の「市民的な徳」の思想とただちに結びつく訳ではありません。

 この点ですでに私は概念上の混乱をきたしそうなのですが、加えて、この文章の中で私にとって極めて理解し難いのは「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という箇所です。ここで「道徳的」とは「儒教的」とも言い換えられるかもしれませんが、「君子」や「士」が「道徳的人間」であるとされているのは、「君子」やその類義語である「士」が「儒教の伝統において有徳者や有徳な為政者を意味する概念」だからではなく、「儒教の伝統」それじたいがそもそも「道徳的」であるからに過ぎません*3

 そもそもルソーの思想において「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間とする考え方」があったのでしょうか?

 この問いについてさらに考察するために、以下でルソー的な意味での「市民シトワイヤン」と「道徳」について確認したいと思います。

ルソー『社会契約論』における「道徳」 

 ルソーにとっての「道徳」観について述べておくと、『社会契約論』第一編第八章「社会状態論」の中で、ルソーは「道徳」という意味を、自然状態に対する社会状態における人間のあり方のうちに見いだしています。

以上のものの上にさらに、わたしたちは、人間をして自らのまことの主人たらしめる唯一のもの、すなわち道徳的自由をも、人間が社会状態において獲得するものの中に、加えることができよう。なぜならば、たんなる欲望の衝動〔に従うこと〕はドレイ状態であり、自ら課した法律に従うことは自由の境界であるからだ。(ルソー1954:37、下線引用者)

自然状態において人間は奴隷状態ですが、これに対して社会状態において人間は自然的衝動を克服し自律的に活動できるようになり、こうした自由を「道徳的自由」とルソーは呼んでいます。したがって、社会状態における「市民シトワイヤン」は誰もが道徳的人間だといえますが、しかし、このような道徳性が「市民シトワイヤン」の種差・特徴なのではありません。

ルソー『社会契約論』における「市民(シトワイヤン)」

 次にルソーの「市民シトワイヤン」について見ていきます。『社会契約論』を紐解くと、「市民シトワイヤン」とは能動的に主権政治へと参与する個々人のことであることが分かります。

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このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつては都市国家(Cité)という名前を持っていたが、今では共和国(République)または政治体(Corps politique)という名前を持っている。それは、受動的には構成員から国家(État)とよばれ、能動的には主権者(Souverain)、同種のものと比べるときは(Puissance)とよばれる。構成員についていえば、集合的には人民(Peuple)という名をもつが、個々には、主権に参加するものとしては市民(Citoyens)、国家の法律に服従するものとしては臣民(Sujets)と呼ばれる。(ルソー1954:31、下線引用者)

しかし、このように主権者として能動的に政治参加する「市民シトワイヤン」概念は、当時のフランスでは一般的な用法ではなかったとルソーは述べています。

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フランス人のみが、この市民シトワイヤンという名をきわめて気軽に用いている。というのは彼らは、彼らの辞典をみても分かるように、市民シトワイヤンという言葉のほんとうの意義をすこしも知らないからだ。もしそうでなければ、この名を勝手につかうことによって、大逆罪をおかすことになるだろう。この名詞は、フランス人のあいだではヴェルテュをあらわすのであって、権利ドロワをあらわすのではない。ボダンが、われわれ〔ジュネーヴ〕のシトワイヤンとブルジョワについて語ろうとしたとき、彼は一方を他と取りちがえることによって、大変な見当ちがいをした。ダランベール氏は、この点について誤りをおかさず、その項目『ジュネーヴ』において、われわれの市にすむ人々の四身分(いや単なる外国民も勘定にいれて五身分さえも)——そのうちの二身分のみが共和国を構成するのであるが——をちゃんと区別した。私の知るかぎりでは、他のいかなるフランスの著者といえども、市民シトワイヤンという語の真の意味を理解していない。(ルソー 1954:32、下線引用者)

つまりフランス人にとって「市民シトワイヤン」とはもっぱら有徳者を意味するものでしたが、これに対してルソーは、そういう通俗的な意味で自分は「市民シトワイヤン」と言っているのではない、と上の箇所で述べています。

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 このことを敷衍すると、「徳」の側面よりもむしろ能動的に主権政治に参与するという「権利」の側面こそが、「市民シトワイヤン」においては真に重要なのだ、ということになるでしょうか。

高い教養と道徳的能力が要請される「士」——米原

 ここで儒教の伝統における「士」についても確認しておきましょう。

 おそらく「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という先の問題文を理解する上で最も参考になると思われるのが、米原謙による以下の論考です。

 では「自治之国」の人間モデルとは何か。ルソーはこれをcitoyenという。兆民はそれを「士」と翻訳する。それは直接的には、族や壮という語を連想させる言葉であったと考えて大過ないであろう。より広く儒教の文化的エートスの中でその内包する意味を探るとすれば、例えば『荀子』(富国篇)の次のような表現を想起してもよいであろう。「士より以上は、則ち必ず礼楽を以て之を節し、衆庶百姓は、則ち必ず法数を以て之を制す。」すなわち「士」とは、「天子、諸侯、卿大夫、士、庶人」という階級制度における「士」であり、支配階級に属する者として、庶人とは厳然と区別される。右の荀子の主張にも示されているように、庶人が他律的に支配されるのに対し、「士」以上は礼楽をもって自からの行動を節するべく、高い教養と道徳的能力を要求された。『論語』(泰伯篇)の有名な一節もそのことを示している。「士は以て弘毅ならざる可からず。任重くして道遠し。仁以って己れが任となす。亦た重からず乎。死して而して後已む。亦た遠からず乎。」つまり儒教の文化的エートスにおいて、「士」とは一個の独立した人格の代名詞であったと考えてよいであろう。

 『社会契約論』におけるcitoyenという概念が、「士」という訳語によってどれだけ見事に蘇っているかを我われは考えてみるべきである。それは現在普及している「市民」や、服部徳訳『民約論』の「国人」という訳語と比較すれば、あまりにも明瞭である。「国人」はもちろんのこと、「市民」という言葉にも、ルソーのcitoyenのもつ倫理的緊張感がまるで伝わっていない。我われは「市民運動」と言い、「労働者、学生、市民の皆さん」と呼びかけるが、その時の「市民」とcitoyenとの落差はあまりに大きい。「士」という言葉が付随させる「修己治人」への強い倫理的要請は、「市民」や「国人」には完全に欠落している。citoyenが「士」と訳されねばならなかった必然性は、以上によって十分理解されるが、この訳語の採用は漢訳によってのみ可能となったこともまた明らかであろう。「士」という語が内包している意味は、漢訳によってのみ、よく伝達しえたのである。

米原 1984:8〜9、下線引用者)

下線を引いた「庶人が他律的に支配されるのに対し、「士」以上は礼楽をもって自からの行動を節するべく、高い教養と道徳的能力を要求された」「「士」という言葉が付随させる「修己治人」への強い倫理的要請」という箇所こそが、センター試験「倫理」の先の問題文の背景にある思想と言っても過言ではありません。

 しかし、このような「徳」の側面は、シトワイヤンの通俗的な用法に過ぎず、むしろルソーにとって重要だったのはシトワイヤンの能動的に主権政治へ参加する権利の側面でした。少なくとも「士」という訳語が見事なのは、シトワイヤンの「徳」というフランス語の通俗的な意味を表象的に再現している点においてです。

 他方で同時に、儒教思想において「士」は他律的で従属的な「庶人」に対して支配階級として振舞うという側面を持っているわけですが、このような儒教的な階級観は、ルソー的には不要です。なぜなら治者たる「士」(Citoyens)も被治者たる「臣」(Sujets)も、「民」(Peuple)という同一者の有する二つの側面に過ぎないからです。

あらゆる人々が「士」として責任を果たすこと——小原薫

 このようにシトワイヤンと「士」とが重なり合いながらも異なる点についてどのように考えたらよいのでしょうか。この点については小原薫による以下の論述が参考になります。

ルソーが『社会契約論』第一編第六章で、主権に参与する社会の構成員を公民Citoyensと呼んだところに、兆民は訳語として「士」を用いた。儒教思想には治者を意味する「士」と、被治者を意味する「民」という人間の二元論が存在する。そして、政治を行なうのは「士」の任務とされており、「士」には「民」より重い責任が課せられている。 『孟子』梁恵王編上にある「恒の産なきも恒の心あるは、惟だ士のみ能くなす。民のごときは、恒の産なければ因りて恒の心もなし」が端的に示すように、「士」の役割は重い。兆民が政治社会の構成員をただ「士」と呼んだのは、儒教思想にある「士」と「民」という二元論をとらず、あらゆる人々に「士」たることを、そして、「士」たる責任を果たすことを期待したことを示している。(小原 1990:(1315) 2457、下線引用者)

つまり小原によれば、兆民は「士」という語が持っていた儒教的な階級制度観である「士」と「民」の二元論を斥けた上で、あらゆる「民」こそが主権政治に参与する「士」なのであるという意味へと、「士」の意味を刷新したように思われます。したがって、兆民の翻訳によって「士」という言葉は、〈士と民の二元論〉という儒教的意味から脱・階級制度的な「士」概念への転換を果たしたと言えるのかもしれません。

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中江兆民による儒教思想の読み替えと「自由民権」思想の通俗化——井上厚史

 最後に重要な視点として、中江兆民による「きわめて独創的な儒教思想の読み替え」という井上厚史の論考についても触れておきたいと思います。

兆民は、当時の日本人が理解しやすいように、儒教的(朱子学的)枠組みに依拠しながらルソーの社会契約論の「訳解」を制作したが、その過程できわめて独創的な儒教思想の読み替えを行っており、それは結果的に、それまでの儒教的政治観や秩序観を解体するとともに、「民約」と「自由権」を当時の知識人をはじめとする一般大衆に理解させることに大いに役立った、ということである。兆民にとって喫緊の課題は、ルソーの思想を時にはねじまげてでも、当時の日本人に「自由権」と「民訳」という新しい概念を教示し、人々を封建的抑圧状態から解放することであった。確かに、兆民は朱子学的発想をもって、ルソーの『民約論』を読んだと言えるかもしれない。しかし、兆民が著した『民約訳解』が私たちに伝えるのは、儒教的思惟構造がもつ限界や制約を飛び越えながら、当時の日本人にはまったく新しい思想であった「自由民権」思想を、当時の人々にも分かるような伝統的で平易な語法によって教えようとした啓蒙思想家としての兆民の面目である。(井上 2008:124〜125、下線引用者)

つまり兆民が目指したのは、当時の人々がすでに理解していた儒学思想の伝統的用語によってルソーの思想を通俗化することができるような翻訳でした。しかし同時に、彼の翻訳はもはや既存の「儒教的政治観や秩序観を解体する」ような代物でもありました。したがって、兆民の採用した儒教的な用語でもってルソーの思想が見事に体現されていると捉えるのであれば、そのような読み方は、ともすればそれによって儒教思想を解体した兆民の破壊的なディスラプティブ翻訳の思想を捉え損ねることにも繋がりかねないのではないでしょうか。

結語

 ここまでセンター試験「倫理」の設問の一つを取り上げ、問題文と選択肢の適切さについて検討してきました。

 わたしたちは、中江兆民がシトワイヤンを「士」と翻訳したのは、問題の選択肢にある『社会契約論』ではなく、選択肢にはない漢訳『民約訳解』であることを確認した上で、「「市民」とはかつての「君子」や「士」のような道徳的人間であるとする考え方」という一文が適切なのかどうかについて見てきました。

 整理すると、フランス人が有徳者としてしか捉えていなかった「市民シトワイヤン」という言葉を、人々が能動的に政治参加する権利という本来の意味で用いたのがルソーでした。そして「市民シトワイヤン」の通俗的意味(有徳者)と本来の意味(能動的な政治参加者)の両方にまたがる概念をうまく言い表している言葉として、兆民は「士」という儒教の伝統において「有徳な為政者」を意味する言葉を採用したということになりそうです。

 しかし、兆民によるシトワイヤンの訳語としての「士」は、すでに儒教の伝統的な理解とは異なる用法で用いられており、儒教の伝統においては治者たる「士」と被治者たる「民」とが二元的に捉えられていましたが、兆民はそのような儒教的な階級制度観をとらずに脱・階級制度的な意味で「士」という訳語を用いていました。

 またルソーと儒教の「道徳」観を比較しても、「自然」との対抗において捉えられているルソーの「道徳」観が、儒教の伝統における「道徳」観と一致しているようには思われません。

 以上より、センター試験「倫理」の問題文は、儒教の伝統における「君子」や「士」の有徳さによって共和主義における「市民的な徳」が表現されているわけでもなければ、ルソーにおける能動的に政治参与する「市民シトワイヤン」概念や、儒教思想を解体しさえする兆民の翻訳の思想を理解するためには不十分な記述にとどまっており、ともすれば読み手に概念の混乱を招く記述になりかねないのではないかと私は考えます。

文献

*1:Du contrat socialの翻訳は、中江兆民訳の『民約論』(1874 (明治7) 年)が最初であるが、これは抄訳であった。全訳としては服部徳訳『民約論』(1877 (明治10) 年)が最初であった。

*2:シヴィックヒューマニズム」とは「「個人の自己実現が達成されうるのは、専ら市民、すなわち、ポリスあるいは共和国という自律した〔つまり何ものにも従属・依存しない〕決定をなしうる政治共同体の、自覚的で自律的な参加者として行為する場合にかぎられると主張する」アリストテレス的な卓越主義」(小田川 2009:13)のこと。詳しくは、ポーコック 2008を見よ。とはいえ、「徳」の概念も一筋縄ではいかない。田中によれば「キリスト教の徳の概念、ギリシアのアレテーとしての徳の概念、ローマの(ストア派の)道徳的ニュアンス徳の概念、共和主義の徳(シヴィックな徳)の概念は相互に異なった徳の概念である」(田中2002:18)。

*3:儒教は、一面において高度な普遍性を持つとともに、他面において封建社会と不可分離的に結びついた道徳であった。このような徳川時代の社会において西洋文明に直接することを余儀なくされた時、当時の知識人のそしてまた為政者の取った態度は、佐久間象山のいわゆる「東洋道徳、西洋美術」であった。明治維新は、近代国家を建設するために、過去の社会道徳とそれに結びついた高度の普遍性を持つ道徳を捨てた。だが、明治日本では、武士の良きモラル(儒教の精神)であった公共の利益のために自己を犠牲にする精神と、国家への関心、個人の気骨や気概、そして品性はモラル・バックボーンとして継承された」(小野 1993:18)。

ルソー『言語起源論』覚書(3)

目次

(以下の続きである)

sakiya1989.hatenablog.com

 

第七章 近代の韻律法について

かつての非文字社会の言語には「抑揚」があったが、文字表記と文法を備えた近代語にはそれが消え、「冷たく単調」になっている、とルソーはいう。

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 以上のことから以下の原理が確認される。自然な進歩によって、文字表記される諸言語は性格が変化し、明晰さを獲得する一方で力を失うということ、文法と論理を完全にしようと執着すればするほどこの進歩を加速させるということ、早くある言語を冷たく単調なものにするには、それを話す国民のうちにアカデミーを創設しさえすればいい、ということである。(訳50頁)

この第七章の訳注で訳者は次のように述べている。

〔3〕プレイヤッド版全集の注によれば、「何人かの学者」とあるうちの一人はデュマルセのことであり、デュマルセは『百科全書』に「アクサン」の項目を寄稿している。(デュマルセ Dumarsais、一六七六—一七五六は文法学者、修辞学者。『文彩論』Traité des tropes(一七三〇)の著者として有名。)(ルソー2016:54)

まず事実関係の誤りから確認しておく。デュマルセ(Du Marsais)が1730年に出版したのはDes tropes ou Des diferens sens dans lesquels on peut prendre un meme mot dans une meme langue(1730)であって、Formey氏の手によって編纂されたTraité des tropes(1757)ではない。

 次にデュマルセのこの著書の邦題が『文彩論』とされていることについて述べておく。糟谷はデュマルセのDes Tropesを『転義論』と訳している(糟谷1988)。デュマルセのこの著作を『文彩論』と訳しても良いものなのだろうか。糟谷はfigureの訳語を「比喩」とするか「文彩」とするかで悩んだことを次のように説明している。

本論に入るまえに、訳語についてひとこと述べておく。それはほかでもない<figure>という語のことである。この論文では、この語をおしなべて「比喩」と訳しておいた。「文彩」「あや」というほかの訳語があることを知らないわけではないが、「比喩」という訳語をとったのは、figuréという形容詞を「比喩的」と訳したことと一貫性をたもちたかったからである。このふたつの原語にべつべつの訳語をあてていては、figure理論そのものの正確なすがたをとらえそこなうおそれがある。だから、figuréを「文彩的」とか「あやどられた」と訳せば、figureを「文彩」「あや」と訳してもかまわなかったかもしれない。しかし、「文彩」という語は日本語としてどうにもすわりがわるいし、figuréという語をいちいち「あやどられた」と訳していては、舌をかみそうになる。さらにつごうのわるいことに、「文彩」「あや」という訳語は、文章の修辞的効果をねらった語の意図的用法のことをなんとなく思いうかべさせるのだが、それこそデュマルセのfigure理論が対象とはしていなかったことなのである。もちろん、論述のなかでしだいに明らかにしていかねばならないことを、ひとつの訳語に背負わせるのはどだい無理がある。したがって、「比喩」という的確でないかもしれない訳語は、あくまでとりあえずのものでしかない。(糟谷1988:49、下線引用者)

このように悩んだ上で、糟谷は「文彩」という訳語を斥けた上でデュマルセのfigureを「比喩」、tropeを「転義」と訳したのである*1。にもかかわらず、増田訳ではデュマルセのdes Tropesが『「文彩」論』と訳されているが、そのように訳した意図はどこにあるというのだろうか。

 

第八章 諸言語の起源における一般的および地域的差異

 第八章が前後を分ける一つの区切りとなっている。言語の起源をめぐる一般的な考察が前章まで述べられ、地域的な差異については次章以下で述べられる。

 この章で注目すべきは、ルソーにおけるオリエンタリズム認識である。

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ヨーロッパ人の重大な欠点は、いつも自分たちのまわりで起きることをもとにして物事の起源について哲学することだ。彼らは必ず、原初の人間が不毛で荒れた土地に住み、寒さと飢えで死にそうになり、常に住居や衣服を手に入れることに熱心であったというふうに示す。ヨーロッパ人はどこでも、ヨーロッパの雪や氷ばかり見いだしてしまい、人類やほかの種が暑い国々で生まれ、地球の三分の二では冬がほとんど知られていないことを考えもしない。人々を研究するには自分の近くを見なければならない。しかし人間を研究するには自分の視線を遠くにやらなければならない。特徴を発見するにはまず差異を観察しなければならない。(訳56〜57頁、下線引用者)

ルソーにとって「人間」とは、ヨーロッパ人の観察だけで得られるものではなく、ヨーロッパ以外の地域の人々をも観察することによって得られるものであった。

 ルソーが認識していた、ヨーロッパ人が周辺地域の人々を観察する際に持っていた西欧中心主義的なまなざしは、後にサイード言語化に成功したいわゆる「オリエンタリズム」の先駆だと言えるかもしれない。

 

第九章 南方の諸言語の形成

 第九章では、ルソーにとって人類史が描かれる。

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それ故、歴史で言及される最初の諸国民が肥沃な国々か暮らしやすい岸辺に住んでいなかったのは、そのような恵まれた風土が荒野だったわけではなく、その数多い住民たちが互いに相手を必要とせず、自分の家族の中に孤立して意思の疎通もない状態でより長く暮らしていたのだ。しかし井戸によってのみ水が得られる乾燥した場所では、それを掘るために集まらなければならなかった、あるいは少なくともその使い方のために合意しなければならなかった。それが暑い国々での社会と諸言語の起源だったに違いない。(訳75頁、下線引用者)

この章を言語の起源というテーマだけに焦点を絞って読むと、次のように要約できる。人間の最初の共同体は家族であったが、家族内では「身振りや分節されていないいくつかの音」(家族内言語)でコミュニケーションをとっていた*2が、「国民的言語」*3は必要なかった。家族から出て社会的な決め事*4を行うために言語が必要となったので、そこに(単なる身振りや分節されていない言語にとどまらない)「国民的言語」の起源があるとルソーは考えた。

 共同体間での合意によって生まれたのは、貨幣*5のみならず、言語もまたそうであったのである。

(以下につづく)

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:「『転義論』の主題である「転義(trope)」は、「比喩(figure)」の下位区分として扱われている。」…(中略)…「「転義とは、正確にはその語の本来の意味ではない意味を、語にとらせる比喩である」」(糟谷1988:51)。

*2:「原初の時代において、地上に散らばっていた人間には、家族以外に社会はなく、自然の法以外に法はなく、身振りや分節されていないいくつかの音以外に言語はなかった。」(訳58頁)。

*3:「何だって! その時代以前、人々は大地から生まれていたのだろうか。両性が結ばれることなく、誰も理解し合わないのに世代が相次いでいたのだろうか。いや、家族はあったが、国民はなかったのだ。家族内の言語はあったが、国民的な言語はなかった。」(訳76頁)。

*4:「真の言語は決して家族を起源としていない。言語を確立することができるのはより一般的で持続的な協約しかない。」(訳78頁、下線引用者)。

*5:「だが、貨幣は需要の代わりに申し合わせに基づいて生まれたのである。それゆえ、それはノミスマ(nomisma)という呼称を有している。それは自然の本性に基づくのではなくて人為的であり、これを変更したり、無効なものにするのはわれわれの自由なのである」(アリストテレス 1971)。