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マルクス『資本論』覚書(20)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

労働時間の不完全な表現としてのダイヤモンドと金

(1)ドイツ語初版

ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから,その発見には平均的に多くの労働時間が費やされる.したがって,ダイヤモンドはわずかな量で多くの労働を表わす.ジェーコブ Jacob*1 は,金にその全価値が支払われたことがあるかどうかを疑っている.このことは,ダイヤモンドにはもっとよくあてはまる.エッシュヴェーゲ Eschwege*2 によれば,1823年には,ブラジルのダイヤモンド鉱山の過去80年間の総産額は,ブラジルの砂糖またはコーヒーの農場の一年半分の平均生産物の価格にも達していなかったというが,じつはそれよりもずっと多くの労働を,したがってずっと多くの価値を表わしていたにもかかわらず,そうだったのである.もしも鉱山がもっと豊かだったならば,それだけ同じ労働量がより多くのダイヤモンドに表わされたであろうし,それだけダイヤモンドの価値は下がったであろう.もしほんのわずかの労働で石炭をダイヤモンドに変えることに成功するならば,ダイヤモンドの価値が瓦礫の価値よりも低く下がることもありうる.

(Marx1867: 6)

(2)ドイツ語第二版

ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから,その発見には平均的に多くの労働時間が費やされる.したがって,ダイヤモンドはわずかな量で多くの労働を表わす.ジェーコブは,金にその全価値が支払われたことがあるかどうかを疑っている.このことは,ダイヤモンドにはもっとよくあてはまる.エッシュヴェーゲによれば,1823年には,ブラジルのダイヤモンド鉱山の過去80年間の総産額は,ブラジルの砂糖またはコーヒーの農場の一年半分の平均生産物の価格にも達していなかったというが,じつはそれよりもずっと多くの労働を,したがってずっと多くの価値を表わしていたにもかかわらず,そうだったのである.もしも鉱山がもっと豊かだったならば,それだけ同じ労働量がより多くのダイヤモンドに表わされたであろうし,それだけダイヤモンドの価値は下がったであろう.もしほんのわずかの労働で石炭をダイヤモンドに変えることに成功するならば,ダイヤモンドの価値が瓦礫の価値よりも低く下がることもありうる.

(Marx1872a: 15)

(3)フランス語版

(Marx1872b: 15)

(4)ドイツ語第三版

ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから,その発見には平均的に多くの労働時間が費やされる.したがって,ダイヤモンドはわずかな量で多くの労働を表わす.ジェーコブは,金にその全価値が支払われたことがあるかどうかを疑っている.このことは,ダイヤモンドにはもっとよくあてはまる.エッシュヴェーゲによれば,1823年には,ブラジルのダイヤモンド鉱山の過去80年間の総産額は,ブラジルの砂糖またはコーヒーの農場の一年半分の平均生産物の価格にも達していなかったというが,じつはそれよりもずっと多くの労働を,したがってずっと多くの価値を表わしていたにもかかわらず,そうだったのである.もしも鉱山がもっと豊かだったならば,それだけ同じ労働量がより多くのダイヤモンドに表わされたであろうし,それだけダイヤモンドの価値は下がったであろう.もしほんのわずかの労働で石炭をダイヤモンドに変えることに成功するならば,ダイヤモンドの価値が瓦礫の価値よりも低く下がることもありうる.

(Marx1883: 7,『資本論①』80〜81頁)

ここでマルクスは「エッシュヴェーゲによれば」と述べているものの,『資本論』ではその参照元を明示していない.実はこれがメリヴェール*3『植民地化と植民地に関する講義』(Merivale, Lectures on Colonization and Colonies, 1841)からの抜粋であることが,手稿『要綱グルントリッセ』のノートⅦ"Vermischtes"(MEW, Bd.42, S.724)から確認できる.

 *エッシュヴェーゲ氏によれば,1823年にはまだおよそ2万人の黒人がそれに従事していた.彼が見積もるところでは,80年におよぶダイヤモンド採掘の全体量がブラジルの砂糖やコーヒーの18カ月分の産出量を超えることはほとんどないというのである!

(Merivale1841: 52)

砂糖やコーヒー農場と比較すると,ダイヤモンドと金とは,鉱山から採掘されるその量がごく僅かであり,それらの採掘に投じられてきた平均的労働時間が長期にわたり,さらにそれらの価格にはその労働時間が十分に反映されていないという点で共通している.とりわけダイヤモンドは,金と比較すると,採掘に投じられてきた労働時間がその価格により十分に反映されていないという.

 以上のようにマルクスはダイヤモンドを例に挙げているが,その筆致は理論以上のものを示している.「金 Gold にその全価値が支払われたことがあるかどうか」という疑いが金以上に「ダイヤモンドにはもっとよくあてはまる」とマルクスが述べるとき,ここでマルクスが言わんとしていることは,ダイヤモンドには金以上にその価値がより不完全にしか表現されておらず,そこにはより大きなギャップが生じているということである.このギャップはいかにして生じたのだろうか?

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文献

*1:ウィリアム・ジェーコブ(William Jacob, 1761/62-1851)は英国の商人,旅行者,作家.彼の著作に『貴金属の生産と消費に関する歴史的考察』(An Historical Inquiry Into the Production and Consumption of the Precious Metals, 1831)がある.

*2:ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フォン・エッシュヴェーゲ(Wilhelm Ludwig von Eschwege, 1777-1855)はドイツの鉱物学者・地質学者.

*3:ハーマン・メリヴェール(Herman Merivale, 1806-1874)は英国の公務員,経済学者・歴史家.オックスフォード大学政治経済学教授(1837-1842年).