目次
はじめに
今日はKUNILABOの「『源氏物語』を読む」(講師:西原志保、KUNILABO人文学講座@Onleine)に参加した。この講座内では参加者同士の質問を元に議論が交わされるのだが、時間を超過してまで白熱していて、私の読み方については一言も言及する時間がなかった。
次回は私がレジュメ発表担当者なので、一旦今回の講座参加中に疑問におもったことをなるべく端的にここに書き記しておきたい。
大君の代理表象としての浮舟
さて、もののついでに、かの形代のことを言い出で給へり。
(柳井滋ほか校注『源氏物語(八)』「宿木44」岩波文庫、222頁)
ここで「形代(かたしろ)」というキーワードが出てくる。
前回みたように、薫は大君への思慕を募らせ、人形を作らせようとした。
その際に、薫は中の君から、浮舟という存在を突如として知らされた。
浮舟は、大君の異母妹であり、大君に似ていると薫に伝えられた。
中の君が浮舟について口にしたとき、浮舟は大君という存在を前提とした身代わりとして、代理として表象されていた。すでに中の君もまた、薫にとっては大君の代理表象でもあった。中の君は自身が薫にとっての大君の代理表象であることに気がついていたし、そこに何か居心地の悪さみたいなものを感じていたようだ。
代理表象であるということは、浮舟は薫にとっては、浮舟その人に固有の人格が重要なのではないということだ。浮舟が薫の興味関心の的になっているのは、あくまでその背後にある大君に対する薫の思慕でありそのような大君の表象なのである。
だがこれは冷静に考えてみれば、おかしなことではないか。
浮舟が大君に似ているといっても、それぞれ中身は別の人格であり、薫と浮舟とのあいだには大君と共通するような経験がない。にもかかわらず、なぜ薫は、浮舟が大君に似ているというだけで、「知らぬ国までも尋ね知らまほしき心あるを(異国に行ってまでも会いたい)」(前掲書、226頁)というのだろうか。
八の宮とシンクロする薫
故宮の、まだかかる山里住みもし給はず、故北の方の亡せ給へりける程近かりける比、中将の君とてさぶらひける上らふの、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと忍びてはかなき程に物の給はせける、知る人も侍らざりけるに、女子をなん生みて侍りけるを、さみやあらんとおぼす事のありけるあkらに、あいなくわづらはしくものしきやうにおぼしなりて、又とも御覧じ入るることもなかりけり。
(柳井滋ほか校注『源氏物語(八)』「宿木44」岩波文庫、222、224頁)
ここで弁の尼の口から薫へと、八の宮のエピソードが語られている。
八の宮は、北の方への思慕があったにもかかわらず、中将の君に手をだしてしまい、その結果として——おそらく意図せざる結果として——女の子が生まれてしまった。それが浮舟である。
あたかも薫が大君の代理表象として浮舟を求めるように、かつての八の宮は北の方の代理表象として中将の君を求めたのである。しかも中将の君は、家系図では北の方の姪にあたるらしく、浮舟が大君に似ているといわれるように、ともすれば中将の君は北の方と遺伝的にみても近いものがあったのかもしれない。その限りでは、薫と八の宮とのあいだには同型の構図がある。
弁の尼が語る話を聞く際に、薫は浮舟へ気持ちが向かっているので、八の宮のエピソードが薫にとってどのような意義を持っているのか気がついていない。大方の読者もおそらく浮舟の出自がどのようになっているのかという視点でしか読まないだろう。だが薫は、その構図としては妙に八の宮とシンクロしている。だから薫は、八の宮のエピソードをその失敗談を含めてしくじり先輩のように学ぶべきなのだが、そういうふうにはとらえていない。
おわりに
薫にとって浮舟は亡き大君の喪失の穴埋めとして代理表象され、八の宮にとって中将の君は亡き北の方の喪失の穴埋めとして代理表象されている。だが、いうまでもなく、大君と浮舟は同一人物ではないし、中将の君は北の方と同一人物ではない。ただ単に似ているというだけで「形代」が務まるのかという問題がなお残る。
結局のところ、求められているのは代理表象ではなく、その根源である人物であるはずである。だが、にもかかわらず、薫にとっての浮舟や、八の宮にとっての中将の君のような代理表象が恋愛の喪失を穴埋めできるとすれば、それは一体なぜなのだろうか。
「形代」に与えられた役割は、その人が本来持っている本来性・固有性・本質を剥奪され、他者の犠牲になること、あるいは〈他者の他者になること〉である。なぜならば、例えば、大君その人と、薫が表象するところの大君とは同一ではありえないからだ。浮舟からすれば、薫という他者の眼差しを通じて、薫が表象する限りでの大君の役割を演じられることになる。
「形代」という役割を成立させているものは、あくまで「似ている」という一点に尽きる。だが、これは擬似的な同一性であり、絶対的な同一性ではない。その擬似的な同一性を背後から支えている強固な論理は、異母妹(大君と浮舟の関係)や姪(北の方と中将の君)といった〈血縁〉に他ならない。その意味では、代理表象という「形代」の役割を担うことができる人物は、つねにすでにその出生の時点で限定されているといえる。