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ホッブズにとって「アート」とは何か——ホッブズの市民的人文主義

目次

はじめに

 リヴァイアサンの第一章は感覚論から始まる。しかし、人間の感覚器官が「人工的人間」であるリヴァイアサンにどのようにして模倣されているのか、正直よくわからない。1651年当時も現代も「オートマタ」の概念において、人間の感覚器官を模倣することができているとは到底考えられない。ホッブズは感覚器官として味覚、触覚、視覚、聴覚、嗅覚を挙げているが、これらの感覚器官は「人工的人間」であるリヴァイアサンにおいてどのような役割を果たしているのか。

ホッブズにとって「アート」とは何か

 ホッブズリヴァイアサンは「アート」として、人間の身体の模倣から発想されている。しかし、視覚の模倣の技術一つとっても大変難しく、最近ようやく深層学習と呼ばれる機械学習によって画像認識が模倣されるようになったばかりである。ホッブズによる人間の模倣の理論は先進的過ぎて、現代のテクノロジーさえも追いつけていないのが実情である。

 我々はホッブズの「オートマタ」の表象に引き摺られて、彼のいう「アート」を技術論的に理解しがちだが、人間の模倣という観点からすれば、人文学上の芸術論として捉えた方が適切かもしれない。というのは、ホッブズリヴァイアサンという戦略には、いうなればリベラル・アーツとメカニカル・アーツの両方が巧みに用いられていると考えられるからである。

 このことは、人間の生理学的な身体をいくら模倣しても、かのリヴァイアサンが出てくることはあり得ないという基本的な事柄に気がづけば明らかであろう。「リヴァイアサン」という表象は、旧約聖書から持ち出された比喩なのであって、人間の自然身体をいくら観察してもそこから「リヴァイアサン」の表象が出てくることはあり得ない。人民の契約によるリヴァイアサンという国家の創設は、人間の身体によってなされるのではなく、言葉という技術によってはじめて可能となる。その点で、リヴァイアサンという国家の創設を可能ならしめるのはリベラル・アーツにおける言葉の技術なのであって、「オートマタ」を制作するためのメカニカル・アーツではない。

 したがって、ホッブズは『リヴァイアサン』の冒頭で、「時計 watch」のメカニカル・アーツに言及しているものの、あくまでそれは比喩として用いられている点に注意すべきである。

人間の技術 Art は、神がそれによってこの世界を創造し、また世界を支配する術である〈自然〉を、他の多くのものごとの場合と同じように、人工的動物を作りだすことができるという点においても模倣する。なぜならば、生命とは四肢の運動にほかならず、その運動の始点が内部のある主要な部分にあることを考えれば、(時計がそうであるように、発条と歯車とによって自らを動かす機械装置である)すべての自動機械 Automata は、人工的な生命を持っていると言ってはいけないわけなどないからである。心臓 Heart は何かといえば発条 Spring であり、神経 Nerves はといえば多くの Strings であり、関節 Joynts はといえば数多くの歯車 Wheeles であって、これらが、〔自動機械の〕全本体に、製作者が意図した通りの運動を与えるとは考えられないだろうか。

(Hobbes1651: 1, 加藤節訳(上)19頁)

「時計」を表す英語には「clock」と「watch」がある。「clock」が時計台などの置時計を意味していた。「watch」の語源は古英語の「woecce」(これは「見張り」という意味であり、町の見張りや船乗りの見張りが時計を見て交代していたことに由来すると言われる)であり、主に携帯用の「懐中時計 pocketwatch」を意味する。中世のキリスト教修道院に端を発する時計職人(clockmaker)は錠前職人でもあり、鍵と時計に最先端の機械技術を応用していた。1600年までには懐中時計が登場したが、この時計の小型化と軽量化が可能になったたのは、15世紀のヨーロッパで「ゼンマイ (main)spring」が使用されるようになってからのことである。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Salisbury_Cathedral%2C_medieval_clock.JPG

(1386年頃に制作されたイギリスのソールズベリー大聖堂の塔時計。これは最も初期の機械式時計であるといわれる。1928年に再発見され、1956年頃に修復された。写真はWikipediaより。)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/German_-_Spherical_Table_Watch_%28Melanchthon%27s_Watch%29_-_Walters_5817_-_View_C.jpg

ニュルンベルク出身の発明家であるペーター・ヘンライン(Peter Henlein, 1485-1542)が制作したといわれるポマンダー時計(1530年)。ヘンラインの懐中時計の登場を画期として、後に懐中時計がニュルンベルクの卵(Nürnberger Ei)と呼ばれることになる。)

ホッブズ市民的人文主義(シヴィックヒューマニズム)

 ホッブズは語学の天才で、トゥキュディデスの翻訳を行ったりしている。最近の研究(ダニエラ・コーリ『ステュアート朝イングランドにおけるホッブズ、ローマ、マキァヴァッリ』)ではマキアヴェッリと同じく古代ローマの共和主義に関心があったと言われている。その点、ホッブズは若き頃から人文主義者であった。

ホッブズは終生ラテン語での詩作やギリシア語の翻訳を好んだが、語学の才能は幼少の頃からのものだったようで、地元の私塾で八歳のときから六年間古典語の薫陶を受けた師に、エウリピデスの戯曲《メディア》をギリシア語からラテン語韻文に翻訳して献呈したというエピソードが残っている。また、フランス語とイタリア語も母国語の英語と同じように自由に読み書き、話すことができたという。

(伊豆藏2007: 58)

 ただし、彼は人文学にも自然学にも偏ることなく、むしろ両者を哲学というひとつの体系の中に採り入れた「政治哲学(シヴィル・フィロソフィー)」を構想した天才であった。

 ポーコックはロックやホッブズ特別してマキアヴェッリの共和主義あるいは「市民的人文主義(シヴィックヒューマニズム)」の伝統に着目して、現代にマキアヴェッリ復権を果たした(ポーコック『マキャヴェリアン・モーメント』)。ポーコックの議論に従うならば、ホッブズには市民的人文主義が見いだされないことになる。しかしながら、先に述べたようにホッブズ人文主義者としてスタートし、彼独自の「政治哲学(シヴィル・フィロソフィー)」を構想した。

 もしホッブズ市民的人文主義(シヴィックヒューマニズム)というものがあるとすれば*1、彼がアリストテレスやトゥキュディデスなどの古典をよく学んだにもかかわらず古典古代への憧憬に陥ることなく、教義を批判して乗り越えることができ、幾何学や自然学の知見を採り入れつつ、精緻な語彙を用いて新たな政治哲学を構想した彼の力能にある。

文献

*1:木村俊道(1970-)は、ダニエラ・コーリ(Daniela Coli)の論考を受けて、ホッブズ人文主義に着目している。木村の整理によれば、「古典的な共和主義(「マキアヴェリアン・モーメント」)のなかにホッブズを組み入れることは難しい」が、他方でホッブズが「「三つの論考」に加え、トゥキュディデス『戦史』の英訳版(1629年)を出版し、アリストテレス『弁論術』の翻訳(1637年)にも関与していた」ことから、「ホッブズの政治思想が、マキャヴェッリや共和主義のみに還元されない、より広い人文主義的な同時代の知的コンテクストのなかで培われていた可能性」があるという(木村2020: 114-115)。木村がいみじくも指摘しているように、「マキャヴェッリホッブズの政治思想はともに、人文主義的な教養を基礎として同時代における帝国や複合国家、あるいは征服や植民の問題に実践的に取り組んだ例として理解できるだろう」(木村2020: 120)。