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『共産党宣言』初版(23ページ本)(承前)
「共産主義の幽霊」というメルヒェンとその事実
『宣言』は主に四つの章から成り立っているが,その冒頭にはいささか文学的な序文が付されている.『宣言』の魅力はこの序文にある*1.であるならば,その序文はいかなる意味で文学的なのか.この点が明らかにされねばならない.
ヨーロッパに幽霊が出る——共産主義という幽霊である.ふるいヨーロッパのすべての強国は,この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる,法皇とツァー,メッテルニヒとギゾー,フランス急進派とドイツ官憲.
反対党にして,政府党から共産主義だと罵られなかったものがどこにあるか,反対党にして,自分より進歩的な反対党に対して,また反動的な政敵に対して,共産主義の烙印をおしつけて悪口を投げかえさなかったものがどこにあるか?
この事実から二つのことが考えられる.
共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力と認められているということ.
共産主義者がその考え方,その目的,その傾向を全世界のまえに公表し,共産主義の幽霊物語に党自身の宣言を対立させるのに,いまがちょうどよい時期であるということ*2.
(Marx et al. 1848: 3,大内・向坂訳39頁)
ここで「この事実から二つのことが考えられる」という推論が展開されているが,その推論について検討してみよう.
まず「この事実」とは,冒頭の二つのパラグラフを指していると考えられる.しかしながら,第一パラグラフと第二パラグラフを「事実」の記述として取り扱うにはレトリック過剰であり,その点で問題があると言えないだろうか.なぜなら,第一パラグラフは「共産主義の幽霊」という比喩で書かれた文学的な表現に満ちており,それ自体が「事実」だとはおよそ考えられないからである.第二パラグラフは反語で書かれていて,内容は伝わるものの,それは事実を述べるにふさわしい叙述の形式ではない.
では,どうして第一パラグラフが「この事実」に含まれると考えられるのか.その理由は,「共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力 eine Macht と認められている」という第一の推論が,第一パラグラフにおける「ふるいヨーロッパのすべての強国 Alle Mächte des alten Europa 」という存在を前提としているからである.共産主義が「法皇とツァー,メッテルニヒとギゾー,フランス急進派とドイツ官憲」と並ぶ一大勢力に擬えられている*3.
「共産主義者がその考え方,その目的,その傾向を全世界のまえに公表し,共産主義の幽霊物語に党自身の宣言を対立させるのに,いまがちょうどよい時期である」という第二の推論に関しては,正確には第一の推論「共産主義はすでに,すべてのヨーロッパの強国から一つの力と認められている」ことから導き出されていると考えられる.共産主義が国家権力に目をつけられるほどの一大勢力として認められた時期だからこそ,そのマニフェストを公にすることに意義があるというのが,その論理である.
ところで「共産主義の幽霊物語 Mährchen vom Gespenst des Kommunismus 」とあるが,この「メルヒェン」とは冒頭第一パラグラフで述べられている内容を指すのであろうか.だとすれば,この序文が文学的であるように思われるのは,「共産主義」が「メルヒェン」として語られてきたことと関係があるのではないか.
「共産主義」が「幽霊物語」として語られていることは,一見すると我々には文学的な表現であるように思われるが,ここではそれは「事実」として描かれているのである.