まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

『共産党宣言』覚書(1)

目次

はじめに

 以下では『共産党宣言』(Manifest der Kommunistischen Partei, 1848,以下『宣言』)の読解を試みる.

 マルクス『新訳 共産党宣言 初版ブルクハルト版(1848年)』(的場昭弘訳注,作品社,2010年)が出版されたとき,私は神奈川大学の三年生であり,的場先生のゼミに所属していた.的場先生の訳書には冒頭に『宣言』初版(23ページ本)の原文が掲載されており,それを読むことを通じて私はドイツ語のフラクトゥール(ひげ文字)を読めるようになった.そういうわけで,私が『宣言』について書く際には,往々にして的場先生の注に影響を受けている場合がある.その影響は自覚しているから,どこから書いたらよいものか悩みの種であるが,もし的場先生の解釈をある程度なぞっているだけだったとしても,推論の過程には多少なりとも何らかの個体差があるだろう.その個体差をここでは味わいたいと思う.

 『宣言』がマルクスエンゲルス*1によって書かれたことは,今日では周知の事実である.だが,その初版出版時には著者名はどこにも記載されていなかった.のちにマルクスエンゲルスは「1872年ドイツ語版への序文」で『宣言』を「歴史的文書」と呼んでいる.「歴史的」というのは,『宣言』が書かれた時代状況または歴史的文脈に規定されているという意味である.著者は「第二章の終わりで提案されている革命的諸方策には,決して特別な重みはおかれていない.今日ならば,この章句は多くの点でちがったいい方をすべきであろう」と述べたり,「社会主義諸文献の批判は,1847年までしかないのであるから,今日ではそれが不充分であることはいうまでもない」と述べたりしている.それゆえ,我々はこの「歴史的文書」を,各論含めて無謬の正典として受け取るのではなく,その原理原則に従って理解することに努める必要がある.

共産党宣言』初版(23ページ本)

(初版『共産党宣言』1848年,いわゆる「23ページ本」の扉)

共産党宣言』初版の異本について

 橋本直(1953-)よれば,『宣言』の初版にはいくつかの異本(Druckvariante)が存在するという(橋本2004*2.例えば,橋本は次のように述べている.

 扉の4行目と6行目に,⑥表題と刊年月とを区切る双柱ケイ(二重線)ならびに刊行年と刊地とを区切る表ケイ(1本線)いずれをも備えているものと,そのような区切りの線いずれをももたないものと2種類の種類の刊本が伝承されている.

橋本2004: 79)

本稿で参照した『宣言』は,バイエルン州立図書館(Bayerische Staatsbibliothek, BSB)によって電子書籍化されたもの(以下「BSB版」)であるが,橋本2004の整理に従って,BSB版からは次のような特徴が確認できる.

  • BSB版は「表題と刊年月とを区切る双柱ケイ(二重線)ならびに刊行年と刊地とを区切る表ケイ(1本線)いずれをも備えている」(橋本2004: 79).
  • BSB版は「第6ページの最終行53行目にあるherauf beschwor.という二語……のうち,heraufの語末のfの字の下半分が左に流れ,また続くbeschworのbesの各文字のやはり下半分が少し欠けている——いわゆる悪活字になっている——もの」(橋本2004: 79)である.
  • BSB版は「17ページのノンブルが17と正しく打たれているもの」(橋本2004: 79)である.
  • BSB版は「18ページの第33行目の行頭で,Zunftwesen in der Manufakturと始められている箇所に……■形の印刷上の汚れをもつもの」(橋本2004: 84)である*3

(BSB版18ページの「■形の印刷上の汚れ」)

以上の点を考慮すると,BSB版は,従来の分類では「異本2」に該当すると思われる.これは,Bert Andréas(1914-1984)の分類では「B」であり,Wolfgang Meiserの分類では「A2」であり,Thomas Kuczynski(1944-)の分類では「A2」である.以上の分類は,「23ページ本印刷異本対照表(その1)」(橋本2004: 86)に従った.

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-1875).

*2:なお橋本は『宣言』の異本を少なくとも7種類以上示している.ここで「少なくとも7種類以上」というのは,後に橋本が「異本6」をさらに「異本6-1」と「異本6-2」の二つに分けて整理しているからである(橋本2019: 58).

*3:橋本自身は「筆者はこの刊本(■形の印刷上の汚れをもつもの:引用者注)は未見,またそのコピー等も未入手である」(橋本2004: 84)と述べているが,今や橋本が確認できなかった『宣言』の初版がGoogle Booksで手軽に閲覧できるのである.