まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

読書前ノート(6)佐藤直樹『基礎から身につく「大人の教養」』/カート・セリグマン『魔法』

目次

佐藤直樹『基礎から身につく「大人の教養」 東京藝大で教わる西洋美術の見かた』(世界文化社、2021年)

 絵画を読み解く能力は、古典を読む上でも欠かせない。例えば、ヴィーコ『新しい学』の口絵には、ルネサンス期の記憶術を踏まえて、エッチングの細かい表現の一つ一つに意味が込められていることが知られている。そうした意味を読み解くには、やはりモチーフとなっているコンテクストを知る必要がある。

 我々は絵画をただ眺めることはできるが、無条件に絵画を読み解くことはできない。本書を読むと、絵画にもテーマがあり、またコンテクストがあるということを思い知らされる。

カート・セリグマン『魔法 その歴史と正体』(平田寛・澤井繁男訳、平凡社、2021年)

 実は最近、アニメ『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』(原作:荒川弘、2009年〜2010年)を見直している。本作をアニメで最初に見たのは私が中学生の頃(2003年〜2004年)だったから、もう十数年も前の作品なのだが、この年になってようやく『鋼の錬金術師』が良く練られた素晴らしい作品であることが徐々に理解できるようになってきた。物語の最初に登場する法則は「等価交換」であり、この法則が一貫して貫かれている。ただし、「等価交換」を考察する際には、マテリアルな次元だけではなく、時間という不可逆な次元も考慮に入れる必要があろう。

 エドワード・エルリックの父であるオーエンハイムの名前は、実在した錬金術パラケルススの名前から取られている。「一は全」というのも、かつて錬金術師が唱えていた言葉であると本書には書かれている。アルフォンス・エルリックは魂だけが鎧に定着しており、眠ることができない。バリー・ザ・チョッパーはアルフォンスに対して、その魂は実は兄によって造られたものなのではないか、その記憶が造られたものではないという根拠はあるのかという問いかけを行う。それによって、アルフォンスは自身のアイデンティティが揺さぶられる。本来の肉体を失って鎧に定着した魂をめぐる哲学的な問いは、将来『攻殻機動隊』の世界のように義体化して永遠の命を得た人類が、それでも「人間」と呼べる存在なのか(はたまたそれをレイ・カーツワイルに倣って「ポスト・ヒューマン」と呼ぶ向きも出てきているが)という哲学的な問いを含んでいる。

 『鋼の錬金術師』の世界では、錬金術の基本は「理解・分解・再構築」だと言われており、その限りで錬金術師はほとんど科学者あるいは化学者と変わらない。ただし、錬成陣と呼ばれる幾何学的な模様は魔術的である。『鋼の錬金術師』という偉大な作品の背後にあるこうしたモチーフを見つけ出すには、本書の概説的な記述が大いに役立つのではないだろうか。