目次
はじめに
かつて私は大井赤亥さん(政治思想史・政治家)に次のようにTweetしたことがあった。
「イデオロギーという言葉の原義は「虚偽意識」」
— 荒川幸也│Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年5月7日
いや、原義はデステュット・ド・トラシーの「観念の学」ですよね。 https://t.co/JHpPolHo1O
— 荒川幸也│Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) 2020年5月7日
私はこのように「イデオロギー」の原義はデステュット・ド・トラシーの「観念学」であり、マルクス主義的な「イデオロギー」は転義だと述べた。だが、いわゆる「観念学派」の著作を読んだことはなかった。言ってしまった手前、どうしても気になってくる。
マルクスはかつて「私はマルクス主義者ではない」と述べたという。それゆえ、マルクス主義的な「イデオロギー」とマルクスの「イデオロギー」でさえも、両者を峻別しなければならないであろう。ドイツ語の「イデオロギー」は転義であるが、ならば原義と転義との間でどのような違いが生じているのかについても、やはりはっきりさせなければならないであろう。そうこう考えているうちに、自分なりに原義としての「イデオロジー」から転義としての「イデオロギー」についての概念史*1を、原著に沿って整理したくなってみた。望月によれば、
《idéologie》は、デステュット・ド・トラシによる新造語である。トラシは、これを宣言することにより、新しい学知の理念を明確にした。《idéologie》は、換言すれば《science des idées》、すなわち「観念の科学」であるが、しかしそれは単に理論的に学知の革新を目指したものではなく、それを通して社会変革を志向する、実践的であるという、その意味において優れて思想的なものであった。
(望月2001: 1)
このような、「イデオロギー」の原義としての「観念学(イデオロジー)」について探究すべく、以下ではデステュット・ド・トラシー(Antoine Destutt de Tracy, 1754-1836)の代表作である『観念学要論』(Élémens d’idéologie, Paris, 1801-1815)の翻訳を試みたい。本書について、阿部は次のように説明している。
「フランス革命」の最中に, とは言うものの「テルミドールの反動」の後ではあるが, 前述の「イデオローグ」学派によって, 「イデオロジー」という概念が打ちたてられた。この概念は, 現在わたしたちが日常普段に用いている「イデオロギー」という言葉の語源である。しかし, 元来はこの概念は人間が, 「神」などの絶対的価値に囚われることなく, 自由に, 「人間」を基本にしてあれこれ宇宙を組み立てようとする考え方であり, 哲学であった。
この哲学の提起はデステュット・ド・トラシーが1796年に行ない, 1801年には『イデオロジー論』として刊行された。このイデオロジーに関する著作は1801年に第1巻, 1803年に第2巻, 1805年に第3巻が刊行された。タイトルは次のようであった:
第1巻:厳密な意味でのイデオロジー
第2巻:文法学
第3巻:論理学
第1巻から第3巻までが, 「イデオロジー論」第一部として, 人間の知覚手段の形成に関する段階的発展に関する研究であった。これに対して, 第二部:知覚手段を人間の意志とその結果へ応用する問題として, 経済学及び道徳(未完)が1815年に発表された。これはそもそも未完であったこともあるが, この段階で, 「イデオロジー論」の体系はストップしてしまった。
(阿部1988: 9-10)
デステュット・ド・トラシー『観念学要論』の原文はフランス語である。私見では、邦訳はおそらくまだ無いと思われる。訳者(私)はそれほどフランス語は得意では無い。というよりも、修士の頃に研究上の都合で使用したドイツ語と比べると、フランス語に取り組んだ時間は圧倒的に少ないのである。本来であれば、ルソーの著作でも何でも良いのでフランス語の著作に一度沈潜してから翻訳に取り組むべきかもしれない。だが、日中は仕事している為、もはやそんな余裕はない。
今回の翻訳でもバーボンの翻訳と同様にGoogle翻訳とDeepL翻訳を活用させていただくことにする。実際試して分かったことだが、英語と比べるとフランス語の機械翻訳は訳文がこなれておらず、全然実用に堪えない。結局辞書を片手に最初から訳しなおすハメになっている。誤訳・誤植のオンパレードだと思われるので、どうか心優しい読者の監督を期待する。
デステュット・ド・トラシー『観念学要論』第二版
第一部 固有の意味での観念学
イントロダクション
若者たちよ、私は君たちに語りかけている。私はもっぱら君たちに向けて書いている。私は、すでに多くの事柄を知り、よく知っている人たちに授業をしようなどと主張するつもりは毛頭ない*2。それを提供する代わりに、私は彼らに啓蒙*3を期待する。そして、下手に知識を持つ者たち、すなわち、非常に多くの知識を持っている者たちが、自分たちは確実だと思い込んでいるような誤った結果を引き出し、長きにわたる習慣によってつなぎ留められている者たちについては、私は、彼らに自分の考えを提示することからはもっとほど遠いのだ。なぜなら、最も偉大な近代哲学者の一人が述べているように(原注1)、『人々がひとたび誤った意見を受け入れて、その意見を真摯に彼らの精神〔知性〕に記憶してしまうと、すでに文字の〔ごちゃごちゃ〕入り混った紙に読みやすく書くのと同じように、彼らに明瞭に話すことはまったくもって不可能である』からだ。
(Tracy1804: 1-2)
イントロダクションの冒頭で、トラシーは「若者たち」に語りかけている。これは要するに、若者にはまだ知識が十分備わっていないがゆえに、トラシーの述べることが、かえってすんなり理解できるのだということであろう。このようにトラシーは、自身の語る「観念学」が、従来の慣習に相反するものであることを示唆するのである。
(原注1)には、ドルバック(Paul Thiry, baron d’Holbach, 1723-1789)によって翻訳されたホッブズ『人間本性論』が指示されている(Hobbes, Traité de la Nature humaine, traduction du baron d’Holbach.)。ホッブズの著作に "Human Nature: or The fundamental Elements of Policie" (1650) というものがあるが、これを翻訳したものだろうか。
文献
- Tracy, Destutt de, 1801, Projet d' éléments d'idéologie, a l'usage des ecoles centrales de la republique française, Paris.
- Tracy, Destutt de, 1804, Élémens d’idéologie, Première partie, Idéologie proprement dite, Seconde Édition, Paris.
- 阿部弘 1988「哲学と経済学—経済学の形成過程—」駒澤大学経済学論集 19(4).
- 望月太郎 2001「感覚主義からイデオロジーへ—イデオローグのコンディヤック批判—」メタフュシカ 32.
*1:「イデオロギー」についての文献は山ほどある。「イデオロギー」についての最も有名な著作は、マルクスやエンゲルスらの手による草稿、通称「ドイツ・イデオロギー」であろう。ちなみにマルクスの「パリ・ノート」(1844-45年頃)の「ノートⅤ」には、デステュット・ド・トラシー『観念学要論』からの抜粋ノートもみられる。そのほか、マンハイム『イデオロギーとユートピア』、ハーバーマス『イデオロギーとしての技術と科学』、アルチュセール『再生産について』、また近年ではジジェク『イデオロギーの崇高な対象』やイーグルトン『イデオロギーとは何か』も無視できないであろう。
*2:初版「私は、すでに多くの事柄を知り、よく知っている人たちに教授しようなどと主張するつもりはない Je n'ai la prétention de rien apprendre à ceux qui savent déja beaucoup de choses, et les savent bien 」(Tracy1801: 17)。
*3:初版「教養 instructions 」(Tracy1801: 17)。