目次
フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』(承前)
近世の課題とプロテスタンティズム
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近世の課題は,神の現実化と人間化——神学の人間学への転化と解消であった.
(Feuerbach 1843: 1,松村・和田訳8頁)
「近世」とは,歴史学における一つの時代区分を意味する用語である.「近世」は,およそ近代の始まりに位置しており,中世よりも後の時代を指している.「近世の課題」の背景にあるのは,具体的にはマルティン・ルター(Martin Luther, 1483-1546)の宗教改革運動*1に端を発するプロテスタンティズム(Protestantismus)である.フォイエルバッハはプロテスタンティズムについて次のように述べている.
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この人間化の宗教的あるいは実践的な仕方が,プロテスタンティズムであった.まさに人間であるような神,すなわち人間的な神,したがってキリスト——これのみがプロテスタンティズムの神である.プロテスタンティズムはもはや,カトリシズムのように,神がそれ自身何であるかを心にかけず,それが人間にとって何であるかを問題とする.だからそれは,もはや後者のように思弁的,すなわち観想的傾向をもっていない.それはもう神学ではなく——本質的にキリスト論,すなわち宗教的人間学にすぎない.
(Feuerbach 1843: 1,松村・和田訳8頁)
前節の「神学の人間学への転化と解消」という「近世の課題」を果たしたのはプロテスタンティズムであった.ここで「神学」とは,それが「宗教的人間学」へと転化する以前の「神学」のことであり,したがって「神学」とはカトリックの神学に他ならない.カトリック神学では「神とはそれ自身何であるか」が問われ,神それ自体の根本概念こそが問題であった.これに対して,プロテスタンティズムでは「人間にとって神とは何であるか」が問われ,人間を問題の中心的観測者に据えたのである.換言すれば,プロテスタンティズムは神それ自体を考察するのではなく,神を見ている人間の方を考察するのである.端的に言えば,カトリシズムは神を考察の対象とし,プロテスタンティズムは神を観照する人間を考察の対照とするのである.カトリックのように「神とはそれ自身何であるか」が問われるならば,そのような神学は「思弁的,すなわち観想的傾向」を持つことになるであろう.であるならば,プロテスタンティズムは神をどのように扱っているのであろうか.この点については次節で述べられている.