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フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』覚書(2)

目次

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フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』(承前)

近世の課題

 先ず最初にフォイエルバッハは,いきなり「将来の哲学」について語る前に,それ以前の「近世の課題 die Aufgabe der neueren Zeit」を議論の出発点とする.

 §. 1.

 近世の課題は,神の現実化と人間化——神学の人間学への転化(Verwandlung)と解消であった.

(Feuerbach 1843: 1,松村・和田訳8頁)

ここで〈転化 Verwandlung〉が強調されている点については,本書の中で徐々に明らかにされるであろうが,さしあたりこれに関連するところではすでにフォイエルバッハは『哲学改革のための暫定的命題』(1842年)の中で「神学の秘密は人間学である」と述べていたことが注目される.

 神学の秘密は人間学である.だが,思弁哲学の秘密は神学——思弁神学である.思弁神学と通常の神学との区別は,後者(通常の神学)が畏れと無知ゆえに彼岸へ遠ざけていた神的存在を,前者(思弁神学)が此岸へ移しかえていること,すなわち現在化し,規定し,実現していることにある.

(Feuerbach1846: 244,松村一人・和田楽訳97頁,訳は改めた)

フォイエルバッハはここでは〈思弁哲学——思弁神学——人間学〉をひとつながりの連関のうちに捉えている.フォイエルバッハのこのような理解を可能にした背景には,〈人間〉という存在から大きな乖離状態に陥っていた〈通常の〉哲学や神学に対するアンチテーゼとして,思弁神学と思弁哲学を「此岸」的なものと位置付ける論理が大きく作用している.

 『暫定的命題』(1842年)のこの一節を援用した解釈が可能であるならば,フォイエルバッハが「神学の人間学への〈転化〉」と述べた際の「神学」が,厳密には「思弁哲学」を意味するというように理解できよう.実際,フォイエルバッハは「思弁哲学」と「通常の神学」という区別を『根本命題』でも引き継いでおり,次のように述べている.

 §. 8.

 通常の(gemeine)神学は,人間の立場神の立場にする.これに対して思弁神学は神の立場人間の立場あるいはむしろ〔ヨリ精確にいえば〕思考者の立場にする.

(Feuerbach 1843: 8-9,松村・和田訳16頁)

 ちなみに「近世」とは,歴史学における一つの時代区分を意味する用語である.「近世」は,およそ近代の始まりに位置しており,中世よりも後の時代を指している.「近世の課題」の背景にあるのは,具体的にはルター(Martin Luther, 1483-1546)の宗教改革運動*1に端を発するプロテスタンティズム(Protestantismus)である.

Ferdinand Pauwels(1830–1904), Luther hammers his 95 theses to the door, 1872.

プロテスタンティズム

 §. 2.

 この人間化の宗教的あるいは実践的な仕方が,プロテスタンティズムであった.まさに人間であるような神,すなわち人間的な神,したがってキリスト——これのみがプロテスタンティズムの神である.プロテスタンティズムはもはや,カトリシズムのように,神がそれ自身何であるかを心にかけず,それが人間にとって何であるかを問題とする.だからそれは,もはや後者のように思弁的,すなわち観想的傾向をもっていない.それはもう神学ではなく——本質的にキリスト論,すなわち宗教的人間学にすぎない.

(Feuerbach 1843: 1,松村・和田訳8頁)

前節の「神学の人間学への転化と解消」という「近世の課題」を果たしたのはプロテスタンティズムであった.ここで「神学」とは,それが「宗教的人間学」へと転化する以前の「神学」のことであり,したがって「神学」とはカトリック神学に他ならない.カトリック神学では「神とはそれ自身何であるか」が問われ,神それ自体の根本概念こそが問題であった.これに対して,プロテスタンティズムでは「人間にとって神とは何であるか」が問われ,人間を問題の中心的観測者に据えたのである.換言すれば,プロテスタンティズムは神それ自体を考察するのではなく,神を見ている人間の方を考察するのである.端的に言えば,カトリシズムは神を考察の対象とし,プロテスタンティズムは神を観照する人間を考察の対照とするのである.カトリックのように「神とはそれ自身何であるか」が問われるならば,そのような神学は「思弁的,すなわち観想的傾向」を持つことになるであろう.であるならば,プロテスタンティズムは神をどのように扱っているのであろうか.この点については次節で述べられている.

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文献

*1:ルター『95ヵ条の論題(95 Thesen)』1517年.