目次
フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』(承前)
プロテスタンティズムの理神論
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しかしながら,プロテスタンティズムは,神それ自体あるいは神としての神を——神それ自体が本来の神である以上は——ただ実践的に否定しただけで,理論上はそれを存続させていたのである.神は存在するが,しかしただ人間にとって,つまり宗教的な人間にとっては存在しない.それは彼岸的な
あり方 であり,いつかあの天国ではじめて人間にとって対象となるものである.しかし,宗教の向こう側〔彼岸〕にあるものは,哲学のこちら側〔此岸〕にあるし,前者にとって対象でないものこそ,まさに後者にとって対象である.(Feuerbach 1843: 1-2,松村・和田訳9頁,訳は改めた)
プロテスタンティズムが「ただ実践的に nur praktisch」否定しただけの「神それ自体 Gott an sich あるいは神としての神 Gott als Gott」*1とは,いかなる神であったか.プロテスタンティズムが否定したのは,カトリシズムがまさに実践的に示しているような世俗的のあり方であって,「彼岸的なあり方 jenseitiges Wesen」としての神ではなかった.
ここでルターは「神それ自体」と「人間にとって」の観点からプロテスタンティズムの神について整理しているが,このような手法は〈
(つづく)
文献
- Feuerbach, 1843, Grundsätze der Philosophie der Zukunft, Zürich und Winterthur. (Koninklijke Bibliotheek, 2012)
- フォイエルバッハ 1967『将来の哲学の根本命題 他二篇』松村一人・和田楽訳,岩波書店.
*1:「神としての神 Gott als Gott」については本書第六節を参照.「神としての神——精神的あるいは抽象的本質としての神,言いかえれば,人間的でなく,感性的でなく,ただ理性あるいは知性にとってだけ近づくことができ対象的である本質としての神とは,理性そのものの本質にほかならず,ただ普通の神学や有神論が,それを,想像力によって理性とは別の独立した存在として表象しているのである.」(Feuerbach 1843: 2,松村・和田訳10頁).