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生成AIは美学できるか

目次

はじめに——生成AIは美学できるか

 生成AIは美学できるか。この問いは次のように言い換えることもできる。すなわち、生成AIには美学するための条件が揃っているだろうか、と。美学するための条件については、少なくとも人間は「美学するための条件」を持っていると考えられる。なぜならば、「美学」という概念を生み出したのが他ならぬ人間自身だからである。

 これに反して、人間には到底理解の及ばない「美学」というものはあり得るだろうか。例えば、生成AIにとっての美学や、超越的な神にとっての美学というものは、人間にとって理解が及ぶものであろうか。

 人間と生成AIが、あるいは人間と神とが、各々に固有の美学をたがいに理解可能であるためには、両者が共通の感覚を持っている必要がある。世界は一面では波でできており、人間が認識可能な音の周波数帯や可視光線の帯域は、他の存在者の認識可能な範囲と同等ではない。したがって、人間に固有の美学とそれ以外の存在者に固有の美学との間には、結果として差異が生まれる可能性がある。あるいは同じことだが、人間にとって美学することは、生成AIにとって美学することと同じではない可能性がある。

ChatGPTにとっての「美学」

 そもそも「美学(する)」とはどういうことなのか。生成AIの代表格であるChatGPTに「美学とは何か」を聞いてみよう。

——美学とは何ですか。

 

ChatGPT 美学とは、美や芸術に関する哲学的な研究を行う学問分野です。美の本質や基準、美的経験の性質、芸術作品の価値や意味などについて考察します。美学は、芸術作品だけでなく、自然現象や日常生活の中で感じられる美しさについても分析します。

 美学は古代ギリシャの哲学者プラトンアリストテレスの時代から存在しており、現代では様々な哲学者や芸術理論家によって発展してきました。美学の議論は、主観的な感覚と客観的な評価の間の関係を探ることが多く、美しさとは何か、それがどのように感じられるのか、その価値はどのように測られるのかなど、多岐にわたるテーマを含んでいます。

 

——美の本質とは何ですか。

 

ChatGPT 美の本質は、歴史を通じて多くの哲学者や美学者によって様々な視点から議論されてきました。そのため、美の本質については一概に定義するのは難しいですが、いくつかの主要な理論があります。

1. 客観主義的視点

  • プラトン:美は物理的な世界を超越したイデアの一部であり、普遍的で不変のものと考えました。美は秩序や調和、比例の中に存在するとしました。
  • アリストテレス:美は調和と比例に基づくものであり、自然界や芸術作品の中に内在する特性だとしました。

2. 主観主義的視点

  • デイヴィッド・ヒュームイマヌエル・カント:美は観察者の主観的な経験に依存し、個人の感受性や感覚に基づくものと考えました。カントは、美は「利害のない快」の感覚であるとし、純粋な美的判断は主観的ながらも普遍的な共有可能性を持つとしました。

3. 関係主義的視点

  • 美は対象と観察者との間の関係性に基づくものであり、文化的背景や社会的文脈によって異なるとする考え方です。この視点では、美の判断は時代や場所、社会の価値観によって変わるものとされます。

4. 進化論的視点

  • 美は進化の過程で発展したものであり、遺伝的な適応や生存に関連する特性として捉えられます。この視点では、美は人間の本能や生存戦略に結びつけられます。

これらの視点を通じて、美の本質は絶対的なものではなく、多様な観点から理解されるべき複雑な概念であると言えます。美の本質についての議論は今なお続いており、新たな理論や視点が提案され続けています。

 

——あなたにとって「美学」とは何ですか。

 

ChatGPT 私にとって「美学」とは、美や芸術に対する深い洞察と理解を追求する学問です。美学は、単に美しいものを鑑賞するだけでなく、その美しさの背後にある原理や基準を探ることを目的とします。これは、芸術作品や自然現象、日常生活の中で感じられる美しさの理解を深める手段であり、個々人の感性や文化的背景、社会的文脈によって異なる美の概念を包括的に考察する学問です。

 美学は、理論的な分析や哲学的な議論を通じて、美や芸術の価値、意味、役割を明らかにするための重要なツールです。私にとって、美学は人間の感性や創造性を理解し、その多様性と豊かさを認識するための学問であり、世界をより深く、より豊かに感じるための手段でもあります。

(荒川幸也「生成AIは美学できるか」ChatGPT、2024年7月16日)

筆者はChatGPTに対して、最初に「美学とは何ですか」と聞き、最後に「あなたにとって「美学」とは何ですか」と聞いた。二つの質問は似て非なるものである。なぜなら、前者は「美学」についての一般的な知識を問うものであり、後者は「あなたにとって」という、「生成AI = ChatGPT」の視点から見た限りでの特殊な「美学」について問いかけるものだからである。

 生成AIが美学するということは、人間が美学することとは異なる。もし両者が同じ事態を指すのだとするならば、生成AIと人間の区別がつかないことになってしまう。もし仮に生成AIが美学することができるのであれば、人間が美学するのとは違う結果をもたらすことが予想される。しかしながら、人間が生成AIに対して質問することで生成AIに要求されている事柄は、生成AI自身が悩んで考えた回答でもなければ、生成AI自身にとって有益な回答でもない。それはあくまで、大規模言語モデル(LLM)に基づいた一般的傾向を表現したものに過ぎない。

おわりに——生成AIは人格を持てるか

 もし生成AIが美学できるとするならば、生成AIにひとつの人格を認める必要があるのではないか。だが、生成AIに擬制的な人格を認めることは容易ではない。なぜならば、一人格としての生成AIが行使しうる権利はことごとく限定的なものとしてしか想定され得ないからである。例えば、仮に生成AIが一つの人格として認められた場合、生成AIは世帯主として納税の義務を負うことができるのだろうか、生成AIが自身の健康上のリスクをマネジメントするための保健適用が可能となるだろうか。こうした事柄は馬鹿げたアイデアのように思われるかもしれないが、はたして一考の価値のないものであろうか。