目次
はじめに
さしあたり、何を底本として参照するのかという問題がある。今回は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより北村季吟『枕草子春曙抄』(1674年跋文)を参照することができた。
北村1674(早稲田大学図書館古典籍総合データベース:文庫30_e0094_0001_p0001)
本書はくずし字で書かれているが、くずし字については、2021年8月30日に提供開始された「みを(miwo)」(人文学オープンデータ共同利用センター(CODH))という画期的な「AIくずし字認識アプリ」の登場により、我々にとってその可読性が極めて身近なものとなりつつある。
「みを」は、江戸時代のくずし字の画像をデータベースとして用いて機械学習を行うことによって、AIでくずし字を翻刻することを可能とした。この手法を応用すれば、例えば、マルクスの手稿の筆跡が„nir“か„nur“かという問題(大谷2004)についてもAIが判別してくれるかもしれない。
昨今ではデジタル・ヒューマニティーズ(digital humanities)という言葉も聞かれるようになった。このブログでもインターネットを通じて原著の参照を行なっている点では、筆者はデジタル人文学を実践してきたとも言えるのではなかろうか。
ところで清少納言『枕草子』を実際に読んだことがある人はどれぐらい居るだろうか。おそらくは、学校の古典の授業等で読んだ、という声が大半であろう。しかし、筆者は今回、北村季吟『枕草子春曙抄』の本文を見て、ある種の困惑を覚えた。というのも、『枕草子』をくずし字で読むという体験そのものが、現在流通している版を読むこととは非常に異なっていると言わざるを得ないからである。
北村1674(早稲田大学図書館古典籍総合データベース:文庫30_e0094_0001_p0006)