まだ先行研究で消耗してるの?

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テレビドラマ『Doctor-X 外科医・大門未知子』所感

 ここ最近Netflixでテレビドラマ『Doctor-X 外科医・大門未知子』(2012〜)を非常に楽しく視聴している。なぜこのドラマが面白いのかというと、単に医局の批判というだけでなく、医療の中で起きている事柄が、サラリーマン組織のヒエラルキーと同じ問題を抱えているからであろう。

 大門未知子とは何者か。冒頭では毎回、「大学の医局に属さない、一匹狼のドクターが現れた——例えば、この女」というナレーションが入る。米倉涼子演じる主人公・大門未知子は、履歴書に「趣味・手術、特技・手術」と書くほど手術に強いこだわりを見せ、ここぞという場面で「私、失敗しないので」という決め台詞を放つ。雇用契約時には「致しません」リストが医師たちに伝達され、17時になると仕事を切り上げて帰るという点も徹底している。優秀なフリーランスの姿は『ハケンの品格』(2007)の別バージョンのようにも見える。

 各シリーズの中で大門未知子が勤務する病院は、基本的に「東帝大」系列の病院とされている。「東帝大」が実在する大学医学部かどうかは、このドラマを楽しむ上では何ら問題ではない。注意すべきは、この東帝大出身の「医者」は男性ばかりであるという点であろう。つまりこのドラマに登場する病院は、一般企業における男性中心の組織と同じ宿痾を抱えており、その男性ヒエラルキーと強烈なコントラストを成しているのがフリーランス外科医という大門未知子のキャラクターなのである。

 このドラマの放映開始が今から12年前の2012年であるから、当時と今では女性の躍進という面では大きな変化があった。今や「ダイバーシティ&インクルージョン」(D&I)をモットーとして、いわゆる「多様性」を組織に採り込むことが推進されている。それゆえ、今から見れば、作中に女性の医者がほとんど数人しか登場してこないというのは異常な光景のように見える。その意味では『Doctor-X』の世界観はいまや終局を迎えようとしているのかもしれない。

 時代の変化を感じる一方で、本作品には一貫したメッセージもある。医局のヒエラルキーの中で医者たちが派閥を形成し、論文などで実績を上げて上の役職へと登り詰めようとする人々に対して、主人公の大門未知子は眼の前の患者を診て療すことに集中する。本作品では医療行為が病院の名声を高める手段や、出世の手段に成り下がっている。が、そこに与することなく、目の前の患者の個別の症状の治療という医療本来の目的だけに集中することが大門未知子のキャラクターとして描かれている。手術の腕前が超一流であるからだけではなく、大門未知子による一人一人の患者への気遣いが観るものを感動させるのである。