目次
フーコー「社会医学の誕生」(承前)
序(承前)
スペイン語の講演記録
さて、あらためて冒頭から読んでいきましょう。
Procuré demostrar en la 1ª conferencia que el problema fundamental no es el de antimedicina contra medicina, sino el del desarrollo del sistema médico y traté el modelo seguido por el “take-off” médico y sanitario de Occidente a partir del siglo XVIII.
一回目の講演で私は、根本的な問題は医学と反医学の対立のうちにあるのではなく、十八世紀以来の医療制度の発展と、西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」のために採用されてきたモデルの発展のうちにあることを証明しようとしました。その際、私には重要と思われる三点を強調しました。
(Foucault1977: 89,小島訳165頁)
ここでフーコーが「一回目の講演」と述べているところから察せられるように、この「社会医学の誕生」は二回目の講演です。フーコーによるこの一連の講演について、前川真行(1967-)は次のように述べています。
1974年の10月から11月にかけて、つまりコレージュ・ド・フランスで『異常者たち』と題された講義を開始する数ヶ月前、ミシェル・フーコーは、ブラジルを訪れ、グアナバラ州立大学の社会医学研究所で一連の講義を行なっている。「19世紀の精神医学の実践における精神分析の系譜」「都市化と公衆衛生」という二つのゼミナールが企画されたが、現在わたしたちが読むことができるのは、後者に関わる三回の講義だけである。いずれもフランス語の原稿はなく、ポルトガル語、あるいはスペイン語から、フランス語と英語に翻訳されたものがわたしたちに残されている。
(前川2021「生権力と福祉国家」421頁)
私たちが読んでいるのは、まさにそのスペイン語の原稿です。
講演が行われたブラジルの公用語はポルトガル語で、私は不勉強でスペイン語とポルトガル語の違いもよく分からないのですが、スペイン語とポルトガル語は方言ぐらいの違いしかなく似ているそうです。
ロストウの「テイク・オフ」
では、フーコーのいう「西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」」とは一体なんでしょうか。「
経済成長過程は便宜上20ないし30年という比較的短い期間に集中するとみなすことができる。その間に経済と、それを一部とする社会は自ら変換し、続いて起こる経済成長は多かれ少なかれ自動的になる。この決定的な変換は、ここではテイク・オフと呼ばれる。
テイク・オフは期間と定義されるが、その間に一人当たり実質生産高が上昇するような形で投資率が増大し、このような初期の増加がそれとともに生産技術の急激な変化と、新しい投資規模を永続させるような所得フローの処分をもたらす。
(Rostow1956: 25,岡田清訳)
ロストウの「テイク・オフ」という用語が、飛行機の離着陸に着想を得たものであることは明らかだと私は思います。飛行機の初飛行は1903年のライト兄弟によるものだといわれていますので、およそ19世紀以前の人々に「テイク・オフ」と言ってもなんのことだかさっぱり通用しないでしょう。あるいは飛行機の発明以前の人々に「テイク・オフ」といえば、船舶が陸から離れていくことを観念するかもしれません。船舶における「テイク・オフ」は水平的に移動するイメージに他なりませんが、これでは経済発展が横ばいであるかのように捉えられてしまいます。これに対して、飛行機の発明以降の「テイク・オフ」は明らかに高度を上げて空まで飛び立つような急上昇のイメージを含んでいます。これはつまり「テイク・オフ」の観念が、20世紀に入ってから刷新されたとみるべきでしょう。
したがって、「西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」」とは、飛行機の離陸のように、ある期間に医療制度が急激に変化し発展し、その後の医療活動を自動化するようななんらかの現象を指しているものと考えられます。
ちなみにフーコーは『監獄の誕生——監視と処罰』(Surveiller et punir: Naissance de la prison, 1975)でも「テイク・オフ」(フランス語では«décollage»)を用いています。
Si le décollage économique de l'Occident a commencé avec les procédés qui ont permis l'accumulation du capital, on peut dire, peut-être, que les méthodes pour gérer l'accumulation des hommes ont permis un décollage politique par rapport à des formes de pouvoir traditionnelles, rituelles, coûteuses, violentes, et qui, bientôt tombées en désuétude, ont été relayées par toute une technologie fine et calculée de l'assujettissement.
西洋の経済的な離陸上昇が、資本の蓄積を可能にしたさまざまな方式とともに始まったとすれば、伝統的で祭式的で暴力的で費用のかかる権力形態、しかもやがて通用しなくなって、服従強制の巧妙で計画的な一つの技術論全体によってとって替わられたこの権力形態からの政治的な離陸上昇を可能にしたのが、人々の蓄積を管理するためのもろもろの方法だと、多分言ってよいだろう。
(Foucault1975: 222,田村訳221頁)
長原豊さんは「この一文でフーコーは、当時の読者をして冷戦下でその政治的機能を縦横に担ったW・ロストウの経済成長論を想起させることを仕組んだのではないかとさえ邪推させる」と述べていますが、実際そうでしょう。
この後にフーコーは(1)「生命゠史 bio-historia」、(2)「医療化 medicalizatión」、(3)「健康をめぐる経済学 economía de la salud」の三点についてまとめています。
文献
- Foucault, 1975, Surveiller et punir: Naissance de la prison, Éditions Gallimard.
- Foucault, 1977, «El nacimiento de la medicina social», Revista centroamericana de Ciencias de la Salud, n° 6, pp.89-108.
- Rostow, W. W., 1956, ‘The Take-off into Self-Sustained Growth’, The Economic Journal, Vol. 66, pp. 25-48.
- フーコー 1977『監獄の誕生——監視と処罰』田村俶訳,新潮社.
- フーコー 2006「社会医学の誕生」小倉孝誠訳,所収『フーコー・コレクション6 生政治・統治』小林康夫・石田英敬・松浦寿輝編,筑摩書房,165〜200頁.
- 岡田清 1999「経済発展と交通 ⑴」『成城大學經濟研究』147号,33〜49頁.
- 長原豊 2021「人間の群れ資本という近代と反復する本源的野蛮」,所収『フーコー研究』小泉義之・立木康介編,岩波書店,457〜476頁.
- 前川真行 2021「生権力と福祉国家——ミシェル・フーコーの70年代」,所収『フーコー研究』小泉義之・立木康介編,岩波書店,421〜439頁.