まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

パワハラ対策としてのアジール

 かれこれ10年以上前になるが、「アジール」という言葉を私が知ったのは、網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー、1996年)を学生の頃に読んだときだった。アジール(Asyl)とは、概して「権力の及ばない圏域」を意味する。「権力 Gewalt」とはすなわち統治者のそれである。社会秩序のあるところには必ずと言っていいほど「権力」が存在する。網野善彦(1928-2004)は、アジールの機能を西欧の文脈から切り離して日本の中の「縁切り」や「神社」のうちに見出していた。

 仕事をしている間に、アジールという概念がふと出てきたのは、パワハラ対策として、逃げ場としての稼働場所を部下のために確保したときだった。「ここは『アジール』だ」と私は部下に伝えたが、いきなり「アジール」と言われても何のことかわからないだろう。私と同じレイヤーのパワハラ中間管理職から自身の部下を守るために、私が私の領分を確保したことを指して、其処を「アジール」と名付けたのだが、思わず「アジール』とは要するに『パワハラ』から逃れ得る場所を指示するだったのではないか」という考えが頭をもたげてきた。もちろん中世に「パワハラ」という言葉はないから、この考えが厳密には間違っている、と言われてしまえば、そうなのだが。

 しかし、このことは私にとって大きな発見であった。なぜなら、「アジール」と「パワハラ」という二つの概念を相互連関して考えたことなど一度もなかったからである。このアイデアは忘れぬうちに何としても書き残しておかねばなるまいと思い、PCを立ち上げてここに記すことにした。私は学生時代に網野善彦の『無縁・公界・楽』を漠然と読んだに過ぎなかったのだが、目的意識のない漠然とした読書経験が10年以上を経て蘇ることもあるという点も併せてここに記しておく。