目次
はじめに
本稿では,ルソー『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳,岩波文庫)の読解を試みたいと思います.ルソー『社会契約論』については以前も少し触れたことがあったのですが,本格的に読むのは初めてです.
『社会契約論』の文字通りの正式なタイトルは,DU CONTRACT SOCIALです(Cが入っていることに注意してください).現代の表記では,DU CONTRAT SOCIALとなっています.
ルソー『社会契約論』
異版について
まずはルソー『社会契約論』の異版について見ていきましょう.
ドイツで印刷された海賊版
ルソー『社会契約論』のタイトルは,今日ではDu contrat socialとして知られていますので,これをそのままGoogle Booksで検索すると,以下の書籍がヒットします.
(Rousseau1762c)
しかし,この上の画像の表題紙は,ドイツで印刷された海賊版のものと推定されているものです.Google BooksでDu contrat socialと検索をかけても,このような海賊版のコピーばかりがヒットしてしまいます.
女神像の初版
では,どうしたら海賊版ではない『社会契約論』初版を検索することができるのでしょうか.そのコツは,検索ワードにDu contrat socialと入力するのではなく,当時の表記のままDu contract socialと入力することにあります.
(Rousseau1762b)
この表題紙の書籍については,早稲田大学図書館HPで次のように紹介されています.
この『社会契約論』の刊本は極めて多く,フランスでも八十種類を超えるとされる.その一七六二年の“初版”にも二種類あり,同一刊年の異版も六種が存在する.この中には標題紙の書名が *Du contrat…* で始まるものと *Principes du…* のものとがあり,標題紙の女神像も異なるが,本学には両方の版が収蔵されており,ここに掲げたのは,そのうちの後者の標題紙である.
ちなみに,この標題紙の前に付された略標題紙には *Du contrat social* と記されている.
上の紹介では「この標題紙の前に付された略標題紙には *Du contrat social* と記されている」と説明されていますが,実際には,Du contrat socialではなく,Du contract socialと印刷されています.
八つ折り版の初版
ルソー『社会契約論』初版の書名が,Du contrat socialではなく,Du contract socialであった証拠が,もう一つの初版にあります.
(Rousseau1762a)
この表題紙は,Benjamin Samuel Bolomeyが素描し,それをCharles Ange Boilyが彫ったとされています.この絵を見ると,女神が右手に天秤を手にしながら,左手で帽子を乗せた槍を持っています.その横には猫がいます.空には鳥が一匹飛んでおり,緑の向こう側には町が少し見えます.猫は先に見た異本にも描かれていますが,猫は一体何の寓意を持っているのでしょうか.
天秤と剣を持った像としては正義の女神として知られるユスティーティアの像が有名ですが,『社会契約論』の表紙に描かれているこの人物は,剣ではなくて槍を持っているように見えます.槍騎兵(ランシア,Lancier)と呼ぶべきでしょうか.そこに描かれているのは,ユスティーティアのような神性を持った女神ではなく,人間としての市民なのでしょうか.
ジュネーヴの市民
表題紙にルソーは,自分の名前の後ろに「ジュネーヴの
ジュネーヴ共和国の住民には,はっきりした地位の区分があった.市民総会に出席できるのは公民と平民だけであり,また公職に就けるのは公民だけであった.移住してきて居住権を認められた居留民,そのジュネーヴ生まれの二世である新住民,そして共和国領土に住む従属民には参政権はなかった.しかも公民の上層には特権的な有力者がいて,小評議会などの重要な公職を独占していた.その上,一六〇〇人の市民総会はめったに開かれるわけではなく,実権は小評議会と二〇〇人会議(大評議会)の議席を独占した特権的諸家族が握って,事実上の貴族政を行っていた.ふつうの公民にできるのは抗議に限られていたといってよい.こういう共和国を背景に,ルソーは『告白』においてあえて父母の公民の身分を特記し,後年自ら「ジュネーヴの公民」であることを誇ったのである.
(福田2012:27)
ルソー自身は『社会契約論』の中で,「
ウェルギリウス『アエネーイス』
『社会契約論』の表題紙には,いずれもウェルギリウス『アエネーイス』がエピグラフとして引かれています.
われらは協約の公平なる法を明言し
(Rousseau1762,訳12頁)
このエピグラフは,『社会契約論』においてどのような意義を持っているのでしょうか.この点について,梅田祐喜は次のように述べています.
国家設立のための成員相互の合意,すなわち契約のさいの契約当事者間の対等性(平等)がルソーの引用したフレーズに含意されていること,そしてその直後のフレーズに含意されている「仲間として主権に結合していく」ことは,『社会契約論』のライト・モチーフとして展開されていくことになります.あわせて,この地にとどまってもいいし,他の土地に行きたければ,それもよし,というラティーヌスのことばに見られるように,国家設立の契約の際の,契約当事者の自由な意思が,ウェルギリウスのテキストに読みとれることです.契約,契約当事者間の対等,自由な意思,この三者こそ『社会契約論』の導きの糸なのです.
(梅田1997:8)
もしかするとウェルギリウスの『アエネーイス』を読むことで『社会契約論』を読解する手がかりが得られるかもしれません.
文献
- Rousseau 1762a, Du contract social; ou, principes du droit politique, Amsterdam.
- Rousseau 1762b, Du contract social; principes du droit politique, Amsterdam.
- Rousseau 1762c, Du contrat social; ou Principes du droit politique, edition sans cartons etc., Amsterdam.
- ルソー 1954『社会契約論』桑原武夫・前川貞次郎訳,岩波書店.
- 梅田祐喜 1997「『社会契約論』ノート(1)」静岡県立大学短期大学部研究紀要第11-1号.
- 川合清隆 2007『ルソーとジュネーヴ共和国 人民主権の成立』名古屋大学出版会.
- 橋詰かすみ 2018「ジュネーヴ共和国の政治論争と『社会契約論』——意見書(1763年)の分析から——」一橋社会科学 第10巻.
- 福田歓一 2012『ルソー』岩波書店.